毎月の朝礼や卒業式などでのメッセージをまとめています

107 S University StNormalIL 61761, USA

+1.3097067473

Bloomington/Normal Japanese School

Wonder. Learn. Grow. 

2023年12月2日
さあ、もう12月になりました。

12月は日本の暦では師走といいます。これは教師の師、すなわち先生が走ると書いて師走と読みます。なぜ12月が師走なのかははっきりとした理由が分かっていないのですが、中にはお坊さんがお経をあげるために東西走り回ることからきているという説もあるようです。一般には落ち着いた先生でも走らなければいけないほど忙しい月というようにも言われています。いずれにしても一年を締めくくる月で年内にいろんなことを片付けておこうというのが特に日本の古い時代には強く思われていたみたいでなにかと忙しく感じる月ではあるようです。

先週の感謝祭からはじまってクリスマス・正月までがこちらではホリデーシーズンですね。中にはクリスマスプレゼントに何が欲しいかもう決まっている人もいることでしょう。

クリスマスとはキリストの誕生を祝う日がもとになっています。今から2000年前のことなので今みたいにテレビ・ラジオ・インターネットなどという記録を残すものが全く無い時代ですから正確にこの日にキリストが生まれたということは分かりません。12月21日は冬至といって北半球では一年中で夜の時間がもっとも長い日になります。だからこの日を過ぎるとだんだん昼間の時間が長くなっていき人々の気持ちも次第に明るくなってくると言えます。そんなこともクリスマスが12月25日になった一つの理由かも知れません。いずれにしてもキリストがこの頃に生まれたということは間違いないので正確な日付は問題ないと言えます。

キリストは人間にとって何が一番大事かという問いに対して「愛」ということを何度も繰り返して教えています。極端な場合には敵や悪人に対しても愛しなさいと言っているので、なかなかあーそうですか、と言いにくいところもあるのですが、人間社会を生きていくうえでそういった気持ちを持ち続けることは大事なことだと思います。

先生は中学生に歴史も教えているので中学生はもう知っているけれども歴史の中で人類の文明の発祥はいつかということが教科書の初めに書いてあります。教科書によると世界では四大文明といってエジプト、メソポタミア、インド、そして中国の4か所でいまからほぼ5から7千年前に一気に文明が始まり次第に周りに広がっていったものと考えられています。この時に文明とはなにかというと、まず農耕、すなわち食料の生産が行われて人々が集中して住むようになるということが一番大切なことです。そして人々がいろんなところから集まり、そこから新しいものが生まれてくることになります。新しい技術が生まれ、文字が次第に完成していき、芸術も発展していくことになります。そこで都市が生まれるわけです。4大文明の発祥地はみな大きな川のほとりにあたります。水が農耕を含めて人間の生活に大きな意味を持つことはわかると思います。

こうして人間が集まって集団生活をするようになると当然秩序が保たれないとバラバラになってしまい、争いごとばかりに追われることになります。
社会集団としては小さいものでは家族、それから隣人、町、とだんだん大きくなっていきますが、それぞれの集団がうまく機能するためには仲良くして、協調していくことが必要ですね。

今日本の教科書による文明発祥について4大文明の話しをしました。歴史を研究する人たちのことを考古学者といいます。土に埋もれていた古い家、建物、などを掘り起こしてそこから食器だとか人間の骨、獣の骨、なかには恐竜の骨などもありますが、こういったものを調査することによって昔々の人々がどういう生活をしていたのかを探っていくという非常に手間・時間のかかる研究をしている人たちが考古学者です。こういった人たちが古い文明を解明してきているわけです。

もうだいぶ前に亡くなった学者にマーガレット・ミードという人がいました。有名な研究者でしたが、この人が大学で教えているときにある生徒から質問を受けました。「人類の最初の文明、この場合Civilizationという言葉ですが、が起こったということを言うためには何をもってはじめだと言えるでしょう?」という質問です。おそらく食器か何かの陶器のかけらが見つかったというような答えではないかと思ったのかも知れません。
その答えとしてミード博士は1万5千年ほど前のものと思われる人間の骨を挙げました。その骨は大腿部、というと太もものところにある太い骨で、それは一度折れて、要するに骨折して、それが治ったという形跡があるものでした。この時代に太ももの骨が折れるということは動物の世界では死を意味します。弱肉強食の時代ですから、動けない状態になってしまうということは、肉食動物の餌食になってしまうということです。しかしこの骨はちゃんと治ったことを示していました。こんな太い骨が治るまではかなり時間がかかります。その間周りの人たちがこの人の面倒を見ていたという証拠が読み取れるというのがこの博士の考えです。一つの人間集団ができていて、けが人を大切に扱い面倒を見たということがすでに文明の発祥を意味するということです。

愛を感じるのは心を温かくしてくれた時に感じるもので、これは動物の中でも人間だけが持っているものだという実験結果もあります。他人の面倒を見る、要するに他人に対して愛をもって接するということがいろんな動物の中でも特に人間が持っている大きな特徴といえるのではないでしょうか。

クリスマスを迎えて、ツリーの飾りやプレゼントなども大事ですが、キリストが言った人間愛をもって他人と接するということも大事だということを覚えておいてください。

さあ、来週は餅つきです。日本にいてもなかなか実際に餅つきをする機会がありません。みんなで楽しくもちをついて、おいしいお持ちを食べましょう。




2023年11月4日
このところ朝晩の気温が下がり時には肌寒さを感じるようになっています。
その一方、日中はわりと暖かくなり。寒暖差の大きいのが秋の特徴です。皆さんも目にしている木の葉っぱの色が緑から黄色や赤に変わっていくのはこの寒暖の差が大きいとよりきれいになっていくようです。われわれ人間もこういう時には体のバランスが崩れやすく、「なんとなく体がだるい」「胃腸の調子が悪い」「疲れやすい」「頭痛がする」といった体調不良の原因となります。

秋が深まれるにつれ、空気がどんどん乾燥していきます。空気が乾燥すると、汗をかいてもすぐに乾いてしまうため、汗をかいていることに気づかず、水分補給のタイミングを逃してしまうことがあります。特にたくさん歩いたときや、スポーツの後などは気づかぬうちにたくさんの汗をかいていることもあります。ですからのどを潤す程度ではなく、しっかりと水分補給をしましょう。

また乾燥してくると、体の中で空気を取り込む役目を担う「肺」を中心とした鼻・口・喉などの、いちばん最初に外気に接する肺系統が、この乾燥により潤いを失ってしまい、さらには冷気も重なって、風邪やインフルエンザ、アレルギー性の鼻炎、気管支炎、喘息といった病気にかかりやすくなります。
水分補給とともに特に外出から帰った時にはよく手を洗う習慣をつけることと同時にうがいも効果があります。
正しいうがいというのはうがい薬をつかうのもいいですが、ただの水でも効果があるので、しっかりと喉の奥まで水がつかるようにできれば15秒くらいガラガラと喉を潤すのがよいやり方です。これで口の中やのどにたまった細菌やウイルスを外に出してしまいます。

秋になると気温とともに日照時間が減少します。それに伴って気分が落ち込み、夏場は気にならなかった事が心配になったり、くよくよと悩んで過ごしてしまうことも。何をするにもやる気がおこらなかったり、炭水化物を食べ過ぎてしまう、朝起きられないなどの症状がでてきたりします。

こんな時に自分自身でコントロールして
十分な睡眠をとって 睡眠不足を防ぎましょう。
バランスの良い食事を心がけましょう。
運動は免疫力を高める効果があります。適度な運動を取り入れましょう。
感染症予防には手洗いとうがいが重要です。こまめに手洗いとうがいをしましょう。
 

2023年10月7日
もう10月になりました。9月の朝礼で話したトウモロコシも今は収穫の時期に入っていて農家の人たちが一年で一番忙しいところです。畑がどんどん裸になっていってこれから寒い時期を迎えることになるのでちょっと寂しい感じがします。

さて、4月の入学式の時にみなさんにお願いしたことが三つありました。忘れちゃった人がいるかも知れないし、その後でこの補習校へ入ってきた人もいるので、もう一度繰り返します。
一つ目は「挨拶をしっかりしよう」、ということです。その人の顔を見てしっかりと挨拶するとすてきです。図書室にも貼ってありますが、「あいさつ あいうえお」という標語があります。相手の目を見て、いつも自分から、うつむかないで、笑顔でにこやかに、大きな声で元気よく。というのが目標です。
二つ目は「仲よくしよう」ということです。お友達と仲良くするには、やさしくお話をすることです。
そして三つ目は「ものを大切に扱おう」
ということでした。

これらと共に今日は「みんなを笑顔にする言葉」について話をしたいと思います。
昔日本で、16歳以上の人を対象に「あなたを笑顔にしてくれる言葉は何ですか?」というアンケートを実施しました。さて、もし、みなさんが同じことを質問されたら何と答えますか。
その時の、アンケートの結果によると、 1位の前に、まずは第2位から言いましょう。2位は「大好き」という言葉です。お家の人や友達から「大好き」と言われたら、思わずにこっとなりますよね。
さて、第1位は「ありがとう」です。なんと、調査した人の半分はこの言葉を選びました。つまり、断トツの1位ということです。確かに「ありがとう」と言われてうれしく思わない人はいませんよね。
この「ありがとう」という言葉を漢字にすると「有り難う」となります。漢字の意味から、「有ることが難しい」ということから「めったにないこと」を意味します。昔は、ものをもらったり、親切にしてもらった時、あることのむつかしいことを、あなたは私にしてくださいました。「ありがとうございます」と言っていました。それがやがて、感謝を表すお礼の言葉になってきたそうです。

「ありがとう」の反対の言葉は何でしょうか。「有り難い」の反対は「有り難くない」、つまりそれは「当たり前」という言葉になります。人からしてもらうことを有り難いと思わず、当たり前に思っていることはないでしょうか。当たり前のことがありがたいことだと、大事にしていかなくてはいけないと思います。黙っていても、毎日ご飯が食べられる、洗濯した服が着られる、布団で寝られるなど、普段当たり前と思っていることも、時代や国が違えば、「有り難い」ことなんです。おうちの方に感謝ですね。

感謝の気持ちを表す「ありがとう」の言葉は、言われる人はもちろん、言う人にとっても嬉しいものです。そして、「ありがとう」の言葉は、お互いの関係をよりよくしてくれます。それだけではありません。感謝の気持ちをもつことは、自分自身の成長にもつながると校長先生は思っています。わたしたち人間は、互いに支え合って生きていますから、ありがとうを言うべき場面は、きっと一日に何回もあるでしょう。成長するチャンスが一日に何回もあるということです。そのチャンスを感じ、一日に一回以上は「ありがとう」を口にできるよう心掛けましょう。

もし、昨日、お母さんにありがとうと伝えられなかった人は、今日家に帰ってからでも遅くはありません。「いつも、○○してくれて、ありがとう」感謝の気持ちを伝えてください。そして、これからも「ありがとう」の言葉と気持ちでいっぱいの補習校にしていきましょう。




2023年9月2日

今はちょうど夏が終わりかけているところで、毎日の天気が大きく変わりますね。暑かったと思ったら急に冷え込んだり、朝と昼間では気温がずいぶん違ったりというところですが、こういう季節の変わり目に風邪をひいたりすることがよくありますから気を付けましょう。


さてここイリノイの真ん中でしょっちゅう見ているものにトウモロコシ畑があります。気が付いた人もいると思いますが今トウモロコシは2メートルを超える高さに成長していますね。4月に種をまいて、5月はじめに芽がでてきて、それから2か月あまりでその高さまで成長するのですからすごいスピードだと思いませんか。一日平均3センチ以上になります。実際には成長期にはもっと早いスピードなんでしょう。トウモロコシはすらっと長くて、種がだんだん大きくなってくるととても重くなります。こういったわれわれが見ている部分を支えているのが根っこなのは知っていますよね。植物には必ず根っこがあり、そこから水や栄養分を吸収して成長に役立てているわけです。また、根は上の部分が風で吹き飛ばされたり倒れたりしないようにしっかりと地面の下で支える役目をはたしています。トウモロコシの根はとてもしっかりと地面にしがみついているのでわれわれがこれを抜こうとしてもとても抜くことができません。それほどしっかりしているのでちょっとした嵐なんかでは吹き飛ばされないわけです


植物は自分で場所を変えることができません。当然ですよね、われわれみたいに足があるわけではないのでいったん育ち始めたら自分で環境を変えることができません。そこで自分たちが自分の置かれた環境に合わせて生きていく必要があります。ここで大事になってくることは根っこの役目です。さっきもいったように植物が生きていくための大事な部分は根っこが吸収するわけです。植物が比較的栄養分の高いところで育つ場合の根っこと条件の悪いところで育つものとでは根の生え方も違ってきます。従って植物と一口でいっても根の育ち方に違いがでてきます。条件の悪いところではより根の長さや表面面積を大きくしてやせた土地から少しでも多くの栄養分をとれるようにしています。要するに苦しい時に根はより長く伸びるのです


例えばライムギという麦があります。これは普通の小麦が育たないような寒いところでも成長することから特に北の方の寒いところで昔から主食の材料として使われてきました。ライムギは地上に出ている長さはせいぜい20センチとか30センチくらいですが、根っこの長さはとても長いのです。根っこといっても太い根からものすごく細い毛のような根がいっぱいはえています。これで長さ、表面面積をふやしているのです。これらの小さな根も全部つなぎ合わせたらどのくらいの長さになると思いますか? 50センチ? 30メートル?だいたいバスケットボールのコートの長さです。それとも1キロ? もっともっと長いでしょうか?
実は驚くべきことに全部合わせると1万1千キロ以上になります。東京からシカゴまで飛行機で12時間ですが、この間の距離が約1万キロですから、これよりも長い距離になります。とんでもない長さですよね。これだけの根が風にそよぐライムギを支えているのです。
漢字の根という字は植物のね、という意味の他に「物事のもと」「物事に耐えうる気力」などの意味があります。根を使った単語では根拠、根底、根幹、根気、根本などがあります。
このように根というのは植物のとっても大事な部分であるとともに人間の生きていくうえで大事なことにも使われているわけです。
目に見えないけれども大切なものがあるということですね。
相田みつおという人が言った言葉にこういうのがあります。

「夢はでっかく 根はふかく」という言葉があります。
大きな花,沢山の花を咲かせるためには,枝も幹も太くなければいけない。 それを支える根は,もっと太く深くなければ,大きな花を咲かせることはできない。 私達が夢という花を咲かせるために大きな根をはるには,様々な経験を通して努力や失敗を繰り返す必要がある、ということだと思います。


2023年6月3日

おはようございます。さて、6月になりました。今週は気温も30度を超える夏なみの天気にもなってきました。ここイリノイでは春がほとんどなくてあっという間に暑い日がきてしまいますね。でも日本のような梅雨がないからしのぎやすい日が多いといえるかも知れません。6月は日本の暦では水無月といいます。水が無い月と書きます。でもこの無いという字は「の」の意味だという説があります。水の月ということでしょうか。日本ではちょうど今頃に田植えを行うタイミングになりますので実際には水がたくさん必要な時です。だから梅雨は大事なことだと言えるでしょう。
6月は今日を入れて4日授業があります。もう現地校は終わってしまって平日は学校に通うことが無くなっていますが、補習校はまだしばらく続きます。がんばっていきましょう。
みなさんも自由な時間がずいぶん増えましたね。これをどう過ごすかは自分次第です。遊ぶのもいいでしょう。外でスポーツを楽しむのもありですね。お母さんの手伝いをするとか、掃除をするというのもいいことだと思います。また、本を読むというのもとてもいいことだと思います。補習校が終わると2か月近くも休みになってしまうので、その時も何か自分に役立つことをするように心がけてほしいと思います。
読書がいいのはいくつか理由があります。
一つには会話力や文章力がつく、ということです。本の文章を読んでいくと上手な言い回しや普段自分が使わないような文章に触れるために自然に文章能力が上がります。また言葉の表現が豊かになって、相手との会話の中で自分が伝えたい内容をしっかりと伝えることができるようになっていきます。
次にボキャブラリーが増えるということが言えます。本を読んでいて知らなかった漢字や言葉がでてきて、そういった単語を調べていくことで知識が身につくことになります。
同じように知らなかった知識や教養を芋づる式で身につけることができるようになります。テレビやインターネットでもいろんなことを知る手立てはありますが、本から得られるものはそれぞれの著者の生き方やその人生に基づいたもので細かに書かれているもので、自分ではない人の人生を知ることができて、より多くの大切な情報を得ることができます。
さらに読書の効果としては想像力が豊かになるということです。文章から情景や背景、登場人物の感情や考え方などを想像することになります。こういう経験が日常でも相手のことを考えて共感することにつながるというのが読書をしていくメリットと言えます。
さらに自分では思いつかなかったアイデアや想像が本の中に詰まっていて自分の生活や人生の大きなヒントになるかも知れません。
いろいろと挙げましたが読書にはいろんなメリットがあります。
だからこれからの2・3か月特に本を読むということを目標の一つにしてもらえるといいと思います。有り余った時間をできるだけ有意義に過ごすことを考えてみてください。


2023年5月6日

もう新学年が始まって1ヶ月経ちました。早いですね。
季節もすっかり春を迎えて木々も緑になり、いろいろな花が咲き出しました。気持ちのいい時期です。
春になると一斉に世の中が生き返ってきたような感じを受けます。日本で春の花というとなんといっても桜ですね。桜はもともとはヒマラヤのほうが原産地だそうですが、中国を通って日本に伝わり今では桜というと日本の花というほど日本ではとてもきれいに咲きます。日本は木や花が育つにはとてもいい条件を持っています。気温は比較的温暖で、周りを海に囲まれているので湿度も高く植物が好むのでしょう。それと昔の人たちの木々に対する扱い方も良かったのでしょう。われわれはきれいな花々を見ることができます。

さて、アメリカでもきれいな桜を見ることができるところがあります。首都のワシントンには真ん中を流れるポトマック川のほとりにきれいな桜並木があり、毎年春になるときれいな花を咲かせて桜祭りなども行われます。この桜は実は日本がプレゼントしたのですよ。今から100年ちょっと前に東京市が2千本の木を持ってきてこれが毎年ワシントンの春を飾っています。でもこの木を実際に持ってくるのにお金をだしたのは東京市ではなくて個人がやったことなのです。当時のアメリカの大統領夫人が日本で桜を見てこんなきれいなものをアメリカでも見れないかしら、と言ったのを聞いた東京の知事がそれではプレゼントしましょうと約束しました。でもそのあと実際にやろうとしたら大変なお金がかかることがわかり、これはとてもムリだ、断るしかないか、という状態になりました。これを聞いたある人がこれは絶対に実現しなければいけない、と、自分のお金を出してすべての手配をしました。この人の名前は高峰譲吉といいます。高峰譲吉はタカジアスターゼとアドレナリンの発見者として有名な化学者です。この発見と仕事の成功で大変なお金持ちになったので、この大変な事業を行うことができました。

なぜこの人の話をしているかというと、実はこの人はペオリア
に住んでいたことがあるのです。この人が生まれたのは今から150年ちょっと前、ちょうど日本がアメリカの軍艦によってそれまで外国と一切の付き合いをやめていた鎖国から大きな変化を遂げた時期にあたります。従って高峰さんは明治維新をいう日本の大変化の真っ只中に育ちました。お父さんが医者で、お母さんはお酒を造るうちに生まれました。最初は日本の政府に働いていてアメリカに来るチャンスがあり、この時にアメリカ人の女性と知り合い結婚し、そのあと一人でアメリカにやってきました。その時シカゴに来たそうです。この人は化学が好きでいろんな研究をしていたのですが、日本のお酒造りの作り方をアメリカのウイスキー作りに利用したらより安く、いいものができるに違いないと思ってこれを実現するために当時のウイスキー作りの本場であるイリノイに来たそうです。そしてペオリアで工場を作りました。ところがこの工場も研究所もある晩火災で丸焼けになってしまいました。おそらくこの安く造る方法が成功するとそれまでウイスキーを作っていた人たちが自分たちの仕事が無くなってしまう、ということからの放火だったのでしょう。今から100年以上も前のことではっきりとは分かっていません。何れにしても高峰さんにとってペオリアはあまりいい思い出のある場所ではなくなってしまいました。そのあとシカゴに戻り、そしてニューヨークに移り、さっき言った発見をすることになります。高峰さんのタカジアスターゼは有名ですが、それ以外はあまり知られていません。100年以上も前に一人でアメリカにやって来たこと自体とても大変なことだと思います。大変な苦労をして、ある時は邪魔をされて嫌なこともあったのですが、そんなことにへこたれず目的を成し遂げた努力は立派ですね。



2023年4月7日(令和5年度入学式)

柔らかな春の光がふりそそぎ、と、言いたいのですが、あいにく昨日から天候が荒れていて相変わらずの不安定なイリノイの春です。でも今日4月1日に令和5年度の入学式・始業式を行える幸せを心から感じています。
小学校・中学校一年生のみなさん、ご入学おめでとうございます。特に小学校入学のみなさんはブルーミントン・ノーマル日本語学校補習校の一年生です。みなさんが入学してくるのをお兄さん、お姉さん、そして先生方もみな楽しみに待っていました。私もみなさんの元気な顔を見てとてもうれしく思います。早く学校に慣れて、この補習校を大好きになってほしいと思います。


さて、今日はみなさんに三つのお願いがありますので、よく聞いてください。
一つ目は「挨拶をしっかりしよう」、ということです。その人の顔を見てしっかりと挨拶するとすてきです。相手の人も自分も気持ちがよくなります。「あいさつあいうえお」、という標語があります。あいての目を見て、いつも自分から、うつむかないで、笑顔でにこやかに、大きな声で元気よく、というのがその内容です。図書室に大きな紙に書いてはってあります。気持ち良い挨拶が増えると学校が明るくなります。それから呼ばれたときに「はい」という元気な返事も忘れないようにしましょう。
二つ目は「仲よくしよう」ということです。お友達と仲良くするには、やさしくお話をすることです。やさしく接していればみんなうれしい気持ちになります。学校はたくさんのお友達となかよく、気持ちよく勉強するところです。人がいやがること、悲しむことは絶対にやめましょう。
三つ目は「ものを大切に扱おう」ということです。私たちの教室は現地校から土曜日だけ借りています。月曜から金曜までは現地校の先生、生徒たちが使っていて、教室内にはいろいろなものが置いてあります。例えば自分のものがほかの人に勝手に触られたり、こわされたりしたらとてもいやですよね。だからここでは私たちも現地校の机・椅子とかそこに置いてあるものを大事にしましょう。特に自分のものではないものには絶対に触らないようにしてください。
今お話しした三つのことを今日の大事なお約束にしてください。


さて、保護者の皆様にお話しさせていただきます。
この六年間手塩にかけてこられたお子様が無事晴れの入学式を迎えられたこと、誠におめでとうございます。ぜひお子さんを励まし、元気に学校に送り出してください。子供たちはそれぞれが宝石の原石のような存在であり、無限の可能性を秘めております。小学校は子供たちが自分でできることを増やしていく場でもあります。ご家庭でもお子さんの自立の過程の見守りをお願いします。教員一同心を込めて一人一人のよさや可能性を引き出し輝かせていけるよう、またしっかり自立できるよう全力で取り組んでまいります。またご協力をお願いすることも多々あるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
それでは子供たちが健やかに、たくましく育つことを念じて私の式辞といたします。


2023年3月18日(令和4年度修了式・卒業式)

今日で一年間が終わりました。それぞれの学年でいっぱい勉強してきた成果が先ほどみなさんにお渡しした修了証書です。そして新しい学年へと一歩階段を上ることになります。また、小学校・中学校をそれぞれ卒業された生徒のみなさんおめでとうございます。小学校から中学校、中学校から高校へとおおきなジャンプをすることになりますので勉強も一段と難しくなるかも知れませんが、これまでの知識の蓄積と創造力を生かして頑張っていかれるもものと確信しています。
私はこの日が一年中で一番好きな日です。授業がなく半日で終わる、というのも一つの理由ですが、それよりもみなさん生徒一同の晴れ晴れとした顔、証書を受け取るときのうれしそうな顔を見ることができるからです。
さて、これからの時代は、少子高齢化、高度情報化、グローバル化と、急激に且つ急速に変化しています。その結果、不確実性の高い世の中になると言われています。また、地球資源の枯渇や自然災害の多発、コロナ禍というような突然起こる感染症の危険は常に付きまとうものでもあって、テクノロジーと自然の共存がキーワードとなります。 そしてこれまでの既成概念では対応できない、新たな概念や価値観の創造が求められる社会へ変化しています。このような社会では、解決のための道筋や答えが一つとは限らない、それどころか、何が課題かもはっきりしないこともあるでしょう。皆さんには、自分でしっかり考え、正しい判断、選択をして、課題の解決に努めてほしいと思っています。

19世紀から20世紀にかけアメリカで活躍した詩人に、Robert Frostという人がいます。その人の詩に“The Road Not Taken”「選ばなかった道」という詩があります。
「黄色に彩られた森の中、道は二手に分かれていた 残念だが両方を進むことはできない」
という言葉ではじまります。
よく人生は旅に喩えられることがあります。この詩の内容は「ひとりの旅人が森の中を歩いていて、分かれ道にさしかかりました。そこでどちらかの道を選ばなくてはならなりません。それぞれの道の行く先を眺めて見ましたが、どちらの道も途中で曲がっていてその先は全く見えません。どちらも同じようなものだけれど、どうも一つの道はより人通りが多かったみたいでした。そこでこの旅人はあえて人通りの少なそうな道を選びました。その時主人公は多分ここに二度と戻ってくることはないかも知れないけれど、もしいつかまたここに来たときの為にもう一方の道を取っておこう。後になってあの時、この道を選んだことで、どれだけ人生が変わったことかとを話すかも知れない。
というような内容で、主人公はあの日選んだ道を後悔しているのか、あるいは長い年月を経た今、あの時の選択が正しかったことを懐かしく振り返っているのか、それとも、結果として苦労の多い道を歩むことになったが、あの時自分のした判断に間違いは無かったと誇りを抱いているのか、これは読む人の想像にまかせています。

皆さんもこれまでに「あの時、別の選択をしていたらどうなっていただろう」と思うことはないでしょうか。人生は、小さなことから、一生を左右するような大きなことまで、常に選択の連続です。わたしは物事の選択や意思決定は自分の判断で下すべきだと思っています。それが、自分の人生に責任を持つことだからです。自分で決断したからこそ、困難に立ち向かうことができます。人に決めてもらった場合、うまくいかなかったときに、人のせいにしたり、踏み留まって頑張ったりできないでしょう。
孤独と闘いながら様々な困難に挑戦し続ける姿を描いた小説にロビンソン・クルーソーという物語があります。図書室にもあるので読んだ人もいるかも知れません。イギリスのダニエルデフォーという人が書いたものです。ロビンソンは船乗りになりたくてうちを飛び出し念願の船に乗ることができました。そのあと大西洋を何度も横断しながら次第に成功してお金もためていったのですが、ある時大きな嵐に会い海に放り出されてしまいました。幸いにも島にたどり着くのですがそこは無人島でした。それから自分一人で住むための住みかを作り、周りに柵を作り、次第に作物を育て、ヤギを飼い、カレンダーを作り、自分一人で生活ができるように知恵を絞って生活を始めました。そしてなんと28年間もこの島に住んでいたのです。その間のいろいろな出来事がこの物語に冒険として書かれています。
ロビンソンがたった一人であきらめそうになった時にも何とか自分を奮い立たせ、また神様を信じて生き残ることを続けた結果、最後にうちに帰ることができました。
この話と似たような話でTom Hanksが主演したCast Awayという映画がありました。主人公がやはり嵐にあって、この場合は飛行機ですが、一人海に投げ出されてようやくたどり着いたのが南太平洋の無人島でした。そこで4年間住むことになるのですがその間同じ飛行機から落とされた荷物にあったバレーボールに顔を書いてウイルソンという名前を付けてこのボールに話しかけて独りぼっちを癒す相手にしました。この主人公もロビンソンと同じように住みかを作り食べ物も確保して長い間あきらめずに頑張り続けたのです。
このように人生のなかではとんでもないことに直面するようなことが全くないとは言えません。ましてそれが自分の選択の結果であったとしたら、それこそ困難に挑戦するんだ、という気持ちを忘れないでほしいと思います。

皆さんは、この先、生き生きと悔いのない人生を送るために、色々なことに挑戦し、学び、考え、自分で決断し、時には選択しなかった道の先に、どんな未来が待ち受けていたのだろうかと思いを馳せることもいいかも知れません。そして実り豊かな人生を切り開いていってほしいと願っています。卒業生の皆さんの限りない前途を祝福するとともに、今後のご健勝とご活躍を心から祈念しています。
最後になりましたが、保護者の皆様にお祝いとお礼を申し上げます。本日はお子様のご卒業、誠におめでとうございます。お子様の健やかな成長を願って支えてこられた皆様には、さぞや苦労も多かったことと思います。今日の佳き日を迎えられ、立派に成長されたお子様の姿に感慨もひとしおかと存じます。教職員一同、心よりお慶びを申し上げます。コロナ禍における教育活動では、多くのご迷惑とご心配をおかけいたしました。今日まで本校にお寄せいただきましたご支援とご協力に深く感謝を申し上げます。今後とも本校の教育に益々のお力添えを賜りますようお願いを申し上げまして、式辞といたします。



2023年2月5日

2月になりました。1月に引き続き厳しい寒さの日が続きます。暖かな春が待ち遠しいですが、もう少しの辛抱ですね。
2月は28日か、29日ですから小の月になります。大の月、小の月って知ってますよね。1月から12月までの間でひと月に31日ある月が大の月、30日以下の場合が小の月です。
西向く侍小の月、といいますね。今われわれが使っているカレンダーは今から2千年ほど前にローマという国で作られたものがもとになっています。このころ3月が一年のはじめだったので2月が一番最後の月になります。そこで一年365日を調整するために2月は28日、または29日と短い月になってしまいました。もっと詳しいことが知りたい人は調べてみてください。

日本の2月の行事にはみんなも知っている節分があります。昨日がその日でした。
節分は、「みんなが健康で幸せに過ごせますように」という意味をこめて、悪いものを追い出す日です。
「鬼は外、福はうち」と言いながら豆まきをします。 節分という言葉には、「季節を分ける」という意味があって、昔の日本では、春は一年のはじまりとされ、特に大切にされたようです。ローマでは3月が一年のはじまり、日本では2月が一年のはじまり、と国によっても違いがありますね。

ところで鬼って聞いたら、どんな姿を思い浮かべるだろう?
ツノの生えた、赤色や青色のこわ〜い姿を思い浮かべる人が多いかな?
実は、もともとは鬼の姿は決まってなかったのだそう。
見えない悪いものを鬼と呼んでいて、いろんなお話を通じて、だんだんとイメージが今の姿になってきたのでしょう。

ところで豆まきには火を通した大豆を使います。これは悪いものを追い出すために使うので、もし生のままの豆をまいて芽がでてしまったら、追い出したはずの悪いものが育ってしまうかも知れないので火を通した豆を使います。

ところで、鬼はどこにでもいて、子どもたちの心の中に入ってくることもあります。
泣き虫おに、おこりんぼうおに、やだやだおに、ちらかしおに…。いじわるおになんていうのもいるかもしれませんね。
みんなの中にいるかもしれないおにも、まとめて追い払っちゃいましょう!
要は気をゆるすとこういう悪い考えが心の中に入ってきてしまいます。こういうたぐいの鬼は実は豆が無くてもみんなの気持ちさえしっかりしていれば追い払うことができます。
油断(ゆだん)は大敵(たいてき)です。いつも気を引き締めて悪が入ってこない、またもし入ってきても追い出してしまう、ということをやっていきましょう。

学年末に向けて文集用の作文も大分進んでいることでしょう。作品を楽しみにしています。
まだまだ冬は続きます。寒い時もまだあるでしょう。でも寒さに負けずに頑張っていきましょう。



2022年12月17日(二学期終業式)
さて、今日で二学期はおしまい。来週・再来週と2週間のお休みになります。
来週の日曜日はクリスマスです。その一週間あとはお正月ということで、一家そろって楽しい時間を過ごすことになります。どこかに旅行に行く人もいるかも知れませんし、ずっとうちにいてゲームなどを楽しむ人もいるでしょう。天気予報では来週にはもしかしたら雪が降るかも知れないといってますので、ホワイトクリスマスになるかもしれません。クリスマスといえばプレゼントを思い出す人も多いでしょう。今日はプレゼントのお話をしましょう。これまで何回か話していますが最後にこの話をしたのが5年前なので聞いたことのある人は少ないでしょう。これは今から150年ほど前に書かれた話なので、お金の価値が今とはだいぶ違いますのでその点は覚えておいてください。



昔、ジムとテラという若い夫婦がいました。ジムは働いていたのですが給料が安くて二人はやっとのことで生活をしていました。テラは買い物をするにも安いものを探して、恥ずかしい思いをしながら値段をまけてくれないでしょうか、と頼んだりしてなんとか貯金をためてジムにクリスマスプレゼントを買ってあげたいと努力してきたのですが、明日はクリスマスだというのに貯金箱には1ドル87セントしか入っていません。悲しくて涙ぐんでしまいました。
さて、この二人にはそれぞれ自慢できる宝物がありました。テラはながーい美しい髪の毛が宝物でした。膝の下まであるとてもきれいな髪でした。ジムは金時計を持っていました。この当時は腕時計ではなくて、ストップウォッチみたいな時計が普通だったのですが、この時計は金でできていておじいさんからお父さん、そしてお父さんからジムへと受け継がれてきた大事な時計だったのです。
テラはイブの日に町を歩いていました。そうすると「かつら」という看板が目に入ってきました。「かつら」って知ってますよね。要はにせの髪の毛で僕みたいな髪の毛がない人、病気で髪が薄くなった人などには大事なものです。いずれにしてもそこでテラは店に飛び込んで私の髪を買ってくれませんか?と聞きました。店の人は髪の毛をさわりながら20ドルなら買ってあげるよ、といいましたのでテラは喜んで髪の毛を切って20ドルを手に入れました。そしてテラは有頂天になって店から店を廻ってジムへのプレゼント探しをしました。そして見つけたのはとてもきれいな時計用のプラチナの鎖でした。これならジムの金時計にピッタリだ、と思って店の人にいくらですか?と聞いたら、21ドルです、という返事が返ってきました。これなら髪の毛の20ドルと貯金の1ドルで買うことができます。そして急いでうちに帰り夕食の準備をしました。
やがてジムが帰ってきたのですが、ドアを開けてテラを見た瞬間にぴたりと動かなくなってしまいました。その目はテラの頭を穴のあくほどみつめていました。テラはジムが髪の毛を切ってしまったことに怒っているのかと思い、急いでそのわけを話しました。クリスマスプレゼントを買うために売ってしまったこと、そして髪の毛はまたすぐに伸びるから問題ないと言いました。やがてジムはポケットから箱を取り出してテラに渡しました。開けてごらん、僕がなぜ変な顔をしたら分かるよ、と言いました。テラはさっそく箱を開けてみると、そこにあるのは櫛でした。ある店のウインドウに飾ってあって前からあこがれていた櫛が入っていました。
テラはありがとう、私の髪はすぐに伸びるわ、と言うとジムにプレゼントを渡しました。町中を探してあなたにピッタリのものを見つけたの。
ジムは包みを開けて中身を見ると、ベッドにひっくり返り、頭の後ろに手をやって微笑みました。そして言いました。「テラ、僕たちのクリスマスプレゼントをかたずけてしばらくしまっておこう。今すぐ使うには勿体なさすぎる。実は君の櫛を買うためにあの時計を売ってしまったんだよ。さあ夕ご飯を食べよう」
二人は自分の最も素晴らしい宝物をお互いのために台無しにしてしまったのです。



さあ、この話を聞いてどう思いますか?馬鹿だな、と思いますか。なんとなく悲しい感じがしますか。でも心が温まる感じがしませんか。贈り物で一番大事なのは思いやりの気持ちです。
クリスマスというのはイエスキリストが生まれたことをお祝いするものです。キリストが生まれたときに星に導かれた東の方の国の賢者、賢い人が訪れて高価な贈り物を差し出す話があります。この贈り物はキリストの一家にとってそのあと役立ったのです。さっきの話は「賢者の贈り物」というお話です。繰り返しになりますが贈り物は心のこもったものであることが大事ですね。さて、キリストが生まれた時の話しではその時に羊飼いたちの前に天使が現れてキリスト、すなわち救い主が生まれたこと、そして地上の平和が神によってもたらされることなどを伝えました。今でも世界のいろんなところで戦争やもめ事が起こっていますが、いつかこんなことのない、平和な世の中になってほしいと思います。それにはみなさんのような若い人たちの平和への願いとちょっとした行動が大事なものになってきます。


2022年11月5日
みなさん「あいさつ あいうえお」という標語を知ってますか? 図書室の壁の上の方にこの標語を書いたポスターが貼ってあります。「あいうえお」はそれぞれ合言葉の頭文字を表しています。「あ」は「あいての目を見て」、「い」は「いつも自分から」、「う」は「うつむかないで」、「え」は「えがおで元気よく」、そして「お」は「おおきなこえで、げんきよく」です。



「あいさつ」という字の漢字は「あい」が「挨」でその意味は「相手の心を開く」です。そして「さつ」「拶」は「相手の心に近づく」という意味を持っています。だから「挨拶」とは「自分の心を開いて、相手の心を開き、そして相手と通じ合う」というような意味をもった言葉になります。



みなさんはいつも大人から挨拶をちゃんとしなさい、と言われていると思います。ではなんで挨拶が大事なんでしょう。
先ず、挨拶はする方もされる方も「気分」がよくなります。人によってその日の気分がいい時と悪い時とがあります。
挨拶をして相手の反応によってその人の気分が分かることも言えます。気分のわるい、機嫌が悪い時には返事が小さな声だったり、無視されてしまうこともあるかも知れません。でも無視されてもいいのです。まずは自分から標語・モットーに従って大きな声で「おはようございます」「こんにちわ」と言ってみましょう。最初は無視していた人も次第にあなたに対する印象が変わってきます。そして相手の心を開いていくということにつながり、相手との距離感が近づいていきます。
われわれ共同社会の中で生きていくためにはほかの人たちとのつながりがとっても大切です。



「挨拶」というとても簡単なことで周りの人たちと仲良く暮らすことができるので、みなさんもこれまで通り大きな声で元気よく声をかけるようにしましょう。


2022年10月1日
10月になりました。先週秋のお彼岸と秋分の日があり、これから一挙に冬に向かっていきます。
すでに朝晩は大分冷え込んできて散歩するのにもほぼ冬支度が必要になってきました。
この土地では春と秋がほとんど無くて日本のようにいい季節を楽しむ余裕が少ないのがちょっといやですね。ま、これは文句言っても始まりませんが。



いずれにしてもイリノイではいまやトウモロコシや大豆の刈り入れの真っ最中ですね。農家の人たちは約1か月半の間大忙しの季節です。このところ雨も少なくて仕事ははかどっているようです。刈り取りというのは結構危険な仕事でもあり、毎日長時間働くためにこの期間は大変な時ですので、事故などが起こらないように祈りましょう。



ところで日本に海外子女教育振興財団という団体があって、海外にいる児童・生徒を支援する事業を行っています。
毎月月刊誌の「海外子女教育」という雑誌を発刊していたり、毎年海外の学校に寄付をしたり、先生の支援をしたり、といろいろな仕事をしています。
この団体が最近始めた活動としてGLOBAL STUDENT SUMMITといって児童生徒が世界的課題に対して関心を持ち、「自ら調べ、考え、発信し、行動する」主体性を養い、異なる視点を持つ仲間と連携・協働して磨き合って、その課題解決・改善に向けた取り組みを進めていくきっかけとなる学びの場を提供する目的はじめられたものです。
そのメインイベントとして9月にノーベル賞を受賞した山中 伸弥 教授による講演と質疑応答の機会がありました。みなさんにも紹介して一家族から参加希望があり、その内容の録画を送ってもらいました。世界中で9000人以上の参加があったそうです。



山中教授は知っている人もいるかと思いますがIPS細胞、日本語で人工多能性幹細胞といって従来考えられなかった皮膚の細胞を内臓器官や体の他のどこにでも対応できるような細胞に変えることを長い研究の結果発見しました。
この技術が再生医療とか新しい薬の開発など、医療の発展に大きな功績を残しました。
山中先生はお父さんが若い時に病気になり、長い間病気と闘ってきたことからお医者さんになって病気の人たちを助けたいということで医師になることを決意したそうです。
お父さんの病気は当時その原因が全く分からなかったのですが、あとになって肝炎という肝臓を侵すウイルスが原因だということがわかりました。そしてこのウイルスが発見されてからなんと25年かかってやっとそのウイルス退治の薬が使えるようになったのですが、その少し前にお父さんは亡くなってしまっていました。
そこで山中先生はこれから研究で病気を克服する研究者として医学の世界に貢献する道を選んだそうです。
そして選んだテーマが人工多能性幹細胞の開発でした。
非常に難しいもので10年以上、失敗の繰り返しなどを経てついに難関を突破したそうです。この間にいろんな人たちの助言や励ましがあったことは言うまでもありません。
そこで学んだいくつかの教訓の紹介がありました。
• 異分野の人と交流しよう。 山中先生は研究が行き詰って悩んでいるときに植物研究の専門家から植物の細胞は自分で親の細胞に変えることがごく当たり前にやっていますよ、と助言してもらい、大きな参考になったそうです。
• 変化を味方にしよう(ピンチはチャンス)
• 若い力は無限 成功したのは実際には3人の研究者による努力
• そしてジャンプするためにはかがまなければならない。失敗したときなど落ち込んでいるときにはジャンプの前のかがみと考える、という気持ちが大事だと思ったそうです。
また海外子女教育振興財団からお知らせが来たらみなさんにも紹介しますので、いろんな機会をとらえて知識を増やす助けにしてください。

 


2022年3月19日 卒業式(令和3年度)

いよいよ今年度最後の日を迎えましたね。この一年間、最初はZoom,そして二学期からみんなで集まって授業という変則的な一年でしたが去年に比べるとずっとよい結果となりました。
いずれにしてもみなさん毎週土曜日の学校で大変だったと思いますが、よく頑張りました。
先ほど、修了証と卒業証書をお渡ししたわけですが、よい区切りができたと思います。時間は常に経過しているわけですから、切れ目はないのですが、やはり何事につけ区切りをつけて、新たな一歩を歩みだすきっかけにすることは大事なことです。

私は2005年から校長としてこの日を迎えているので、これで18回目になります。一年のうちで年度の最後のこの日が一番好きです。特に卒業生の皆さんに卒業証書を渡す瞬間、そして卒業生の嬉しそうな顔を見る時が何とも言えず好きなのです。

一週間に一度しかない学校ですので授業以外には運動会と学習発表会しか組めませんですが、これらの活動を精一杯取り組むなかで、友達と、また先生方と語り合い、絆を深めることができました。みんなが力を合わせることで、本当に補習校生活が充実し、どんな時でもみなさんの明るい声が学校中に響いていました。小学校・中学校それぞれの卒業生諸君は下級生にとって憧れと目標を与えてくれたと思います。どうもありがとう。

これまで卒業式ではいろんな話をしてきました。多くは有名な人たちの行動や発言をもとにみなさんに少しでも役に立つようなことを心のすみにでも持っておいていただきたいからです。
そこで今年も昔の人のことを紹介してみたいと思います。


今日お話しする人の名前は緒方洪庵という人です。この方は江戸時代も終わりに近いころにいたお医者さんです。もともとは今の岡山県に武士の家に生まれました。当時はもちろん今のような学校はありませんから、ごく一部の階級、すなわち侍の階級かお金持ちの家の子供たちだけが塾などの場で勉強したわけです。洪庵も武士の子供だったので漢文などの難しい勉強とあわせて剣道などの武道の稽古も仕込まれました。


ところがこの人は体があまり強くなかったので武道はあまり得意ではなかったようです。一方勉強は好きでいろんなことを積極的に学びました。そして自分も病気がちだったのでしょう、どうして人間は病気になったり、体が弱ったりするのだろうかと真剣に考え、将来は医者になって他の人たちを助けたいと思うようになりました。


そしてそれを実行したのです。当時はまだ中国から古くから伝わっていた漢方という医学が多かったのですが、ヨーロッパの近代的な医学としてオランダから入ってきた、いわゆる蘭学という医学を学ぶことになったのです。医学専門の学校はありませんから、医者になろうとしたらお医者さんの先生に弟子入りして勉強する他ありません。洪庵は大阪で、さらに東京で蘭学を勉強して、オランダ語も読み書きができるようになりました。そして長崎に行き、オランダ人のお医者さんのもとで二年間勉強したあと大阪に戻って医者を開業しました。
このころ日本は外国との付き合いを一切しない、鎖国という制度をとっていました。ようするに日本は国全体を真っ黒な小さな箱の中に自分から閉じ込めていたようなものです。その箱に針の孔ほどもないような小さな穴が開いていました。これが長崎です。ここからだけオランダを通してヨーロッパの光が差し込んでいたのです。従って新しい考えを持った学問好きな人たちは勉強するために長崎まで行かなければならなかったということです。


さて、大阪に帰ってきてお医者さんを始めた洪庵はそれだけではなく、若者に学問を教えなければいけないと思い、学校を始めました。適塾という名前のいわゆる塾です。この学校は入学試験がありません。また身分は一切問わないので武士の子弟もいれば商人、町人、さらに農家出身者もはいれます。この塾は次第に大きくなり、大阪だけでなく次第に全国から志望者が集まるようになりました。多いときには200人ちかい生徒がいたそうです。そしてこの塾から明治時代を代表するような人々が多くでています。有名な人としては日本の陸軍を作った大村益次郎、慶應義塾を作った福沢諭吉だとかタカジアスターゼで有名な高峰譲吉と言った人たちがいます。この適塾は今の大阪大学の前身です。
尾形洪庵は医者というとても忙しい身でありながら、日本の将来を担っていくわか者たちの面倒をみることにとても真剣に取り組んだわけです。それは自分の恩師から引き継いだ松明を次の世代の人たちに、さらに大きくして受け継いでいったということに、この人の偉大さがあります。


私はもともと学校の先生になるなんて思ってもいなかったのですが、毎年この時期になると先生方の指導を受けた生徒たちが一層たくましくなっているのを見て、本当に感慨に堪えません。

みなさんは一段階を終え、新しいステージへ向かいます。将来、社会の荒波に負けず、これからも本校で育んだ心、経験を活かしてどんな場所でも自分らしさを忘れず、夢や目標に向かって大きく羽ばたいてください。

最後になりましたが、卒業生のご両親、ご家族のみなさま、本日は誠におめでとうございます。毎週遠い道のりを送り迎えするだけでも大変で、しかも保護者監督業務、種々の学校行事等にご協力いだいたこと心から御礼申し上げます。



2021年3月13日卒業式
今日はちょと勝手が違いますね。いつもは壇上からみなさんに挨拶するのですが、Zoomでの終業式で座ったまんまカメラに向かってしゃべることになりました。もうこの一年間毎週Zoomでやってきているのでもうすっかり慣れましたね。
いずれにしても一年間みなさん本当に頑張ってきました。最初は慣れないリモート授業だったので不安もあったし、いろんな不満もあったことでしょう。中にはいつまでたっても慣れきれない人もいたかもしれません。やはり対面授業でないとカバーできないところもありましたので、みなさんには気の毒だったというほかありません。しかし、一年間の課題を全部やり通すことができましたので、今日皆さんに修了したことを確認する式を迎えることができました。おめでとうございます。
併せて今日は小学校を卒業する4人の生徒、そして中学校を卒業する一名と、それぞれひとつの区切りをつけることができる晴れ晴れしい日を迎えました。みなさん、ご卒業おめでとうございます。
中森春歌さんは9年間この学校に通いました。これまでこの補習校の35年の歴史で9年間在籍したことがあるのは6人だったと思います。ですから中森さんは7人目になります。今まで延べで言うと千数何百人という生徒がこの学校に通った経験を持っていますので、その中でも非常にまれなケースですね。現地校もハイスクールになると勉強も難しくなり、宿題も多くなるので補習校はより負担が多くなります。そういう中、頑張って9年間やり遂げたということだけでも誇りにしてもらっていいです。将来日本語そのものが、どういうふうに役立つかはわかりませんが、人よりも多くのことをやり遂げた努力は必ず自分にとって大きな経験であり、自信につながっていきます。

小学校卒業生は一段階上のレベルにアップするわけですから、やはり大きな節目ということができます。もちろん学ぶ内容も高級になり、難しさが増すかも知れませんが、これまで6年間築き上げてきた基礎をベースにより大きな飛躍されることでしょう。
さて、卒業式の挨拶というと、また、何か一言みなさんにためになることを言うのが通例です。
みなさんが聞いていたかどうか分かりませんが、二学期がはじまってから毎週数分間ビデオメッセージを流してきました。いろんなことを言ってきましたが、ほぼテーマは決まっていました。人間社会で生活していく上での基本的なことがらをみなさんに身につけていただきたいので何度も何度も繰り返してきたつもりです。われわれの周りにはいろんな誘惑が渦巻いて存在しています。誘惑というとイメージが悪くなってしまいますが、魅力的なこと、と言った方がいいかもしれません。もちろんこれらすべてが悪いわけではなくて、われわれの人生を豊かにしてくれるものも多くあります。しかし、中には反社会的なこと、すなわち人間社会のルールに違反するようなことも少なくありません。こうした悪い面での誘惑に誘われそうになったときに自分自身で善悪の判断をすることができるために基本的なことがらを学んでおいていただきたい、ということです。

今年は2021年です。と、いうことは21世紀も5分の1が終わりました。みなさんは当然21世紀に生まれて、そだっているわけです。 みなさんは21世紀を生きていきます。 私は20世紀の中ごろに生まれたので、いわば20世紀人といえます。 この短い期間にとっても大きな変化がありました。 社会の変化、科学技術の進歩、医学の進歩、これらの変化の度合いはどんどん早くなっているので、これからのみなさんの活躍する時代にはもっともっと大きな変化が起こることでしょう。 私にはなにが起こるのかは予測もつきません。  
一部の人はご存じですが、私は学校で社会科を教えていてその中で歴史の授業をやっています。学校の社会科の授業を好きな人はあまりいないません。自分自身も学生時代はあまり好きな授業ではありませんでした。しかし大人になってからいろんな本を読むようになって、歴史がとても好きになってきました。その一番大きな影響を与えたのが作家の司馬遼太郎という人の作品です。一番最初に読んだのが『 項羽と劉邦 』という本で、中国の漢という国を作った劉邦という人と、そのライバルの項羽との闘いを中心とした物語です。その後、次から次へと司馬さんの本を読み続けました。歴史上の多くの人たちのドラマを非常に上手に語っています。大変な情報収集作業をもとにした立派な本ばかりです。
歴史にはこの世に存在しいた何十億、何百億という人たちの人生が詰め込まれています。 歴史を読んでいて学んだことは人間の生き方の基本的なことは決して変わらないということです。 いまから千年、2千年、三千年前の人たちの生活様式は違いますが生き方はみな同じです。 これからの世の中がどうなっていくのか予測がつかないことには変わりありませんが、こういった人間の生き方は変わりません。さてそれでは、どんなことが基本的なことなのでしょう。 司馬遼太郎が亡くなる少し前に小学校六年生の教科書用にひとつの文章を書きました。 「二十一世紀に生きる君たちへ」と題したもので君たちのように21世紀を担っていく若い人たちに期待する気持ちを書き表した文章です。その中で、司馬さんは3つのことをあげています。 
 
1. 自然に対するすなおな態度を持つこと、 
 
2. 自己を確立すること、 
 
3. たのもしい人格を持つこと、 

これらについて教科書の言葉をすこし引用させてもらい紹介します。 
自然について: 「昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があるということである。 人間は自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。ところがこの態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。 人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。しかし、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、終わっていくにちがいない。 この自然へのすなおな態度こそ21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。」  
 
自己の確立について: 「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。 自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。 そして、すなおでかしこい自己を。自己といっても、自己中心におちいってはならない。 人間は、助け合って生きているのである。 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。 助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。 他人の痛みを感じることと言ってもいい。 やさしさと言いかえてもいい。 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。」 

たのもしさについて: 「鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。」 

これら3つのことは人間にもともと備わっているものではなく、訓練しなければ自分のものにできません。 だから常にこういった気持ちを持つことが大事です。 もう一度繰り返します。 自然を大事にすること、自己を確立すること、そして頼もしさを持つこと、これらのことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえといえます。 そして、みなさんにはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持ってもらいたいと思います。 また、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩いていって欲しいと思います。  

昔ドイツの学者でイマヌエル・カントという人がいました。 この人は「世界における一切のものは何らかの目的に役立つ、世界には何一つ無駄なものはない」と述べています。 あらゆるものは意味があって宇宙に誕生し、偉大な連関の中で自分の役割をまっとうしているということです。 みなさんひとりひとりがこの宇宙に生を受けたことが、どれほどの奇蹟でありどれほど深い使命を持っているか、そのことに想像をめぐらせてほしいのです。 
 
最後になりましたが、卒業生のご両親、ご家族のみなさま、おめでとうございます。お子様がどんどんたくましく成長される姿を見て、さぞお喜びのことと思います。これまでのご家族の努力があったからこそ、今日があるわけで、皆様の努力に敬服するとともにお慶び申し上げます。

2021年3月13日
おはようございます。さあ、いよいよ学年最後の日がきました。
二学期が始まってから毎週、朝の体操の時間に3・4分でみなさんにお話しをしてきました。今日で一応、ひとつの区切りがつきます。あとで修了証書の授与式がありますのでその時にまた何かしゃべらなければいけないので、今日の朝の挨拶はやめようかとも思ったのですが、まあ、これまでやってきたことを止めてしまうのもちょっと納得がいかなかったのでとにかくまたまた登場しました。
明日から夏時間に変わります。Spring forwardということなので寝る前に時計を一時間早めますから、明日の朝は一時間早くやってきます。だから体の時計も調整する必要があります。
このところ気温もぐっと上がって、いよいよ春が到来ということでしょうか。ゴルフ場もいくつかオープンしたし、パンデミックの規制も少しずつ緩み始めて、学生のスポーツもすこしずつ元に戻りはじめています。
僕もワクチンの第一回目の注射を受けました。これからどんどんワクチンの接種機会が増えていきます。全てがシャットダウンしたのがちょうど一年前になります。来年度の途中から事情が変わっていくでしょう。もう少しの我慢なので、これまで通り手を洗うとかいう注意事項を守りながら頑張っていきましょう。

2021年3月6日
3月3日は桃の節句、お雛様の日でした。ひな人形を飾ったおうちもあるかも知れませんね。
うちにも7段飾りのセットがあるのですが、今年は内裏雛だけを出してきました。全部出すのがめんどくさいということもあったのですが、、、 これはわが家の奥様のものですからもう何十年も経っているので、手に持つものなど、見当たらなくなったものがいくつかあります。でもきれいなお顔は変わりません。日本人形はとてもきれいによくできていますね。
ところでいよいよ天候も春めいてきました。もうゴルフができるくらいになってきて、来週は17℃、18℃なんて予報がでています。うれしいですね。
さて、今日はひな祭りの歌を聴いてください。いっしょに歌える人は是非あわせてうたってみてください。

2021年2月27日
もう2月も終わりになります。早いですね。
ここ数日とても暖かくなってきました。まだこのまま春に、ということではないでしょうが、日差しも春の訪れを思い浮かばせるような感じになってきましたね。厳しい冬の寒さに比べると春はやさしい、といってもいいのではないでしょうか。やさしい、という言葉には二つあります。一つは簡単だ、という意味の易しい、例えばこの問題は易しい、などに使います。もうひとつは優勝の優と書いて、やさしいという言葉があります。この言葉にもいろんな意味がありますが、顔かたちが優しいといったら、美しい、という意味。他人に対して思いやりがあるという意味もあれば、性質が素直だ、というような意味もあります。同じような言葉に「柔和」という言葉があります。柔道の柔に平和の和、でにゅうわと呼びます。これは性質や態度が、ものやわらかであることを指します。英語で言えばKindとか、Gentleという言葉がそうです。他人に対してGentle、やさしい、柔和であるということをぜひみなさんに心がけてほしいと思います。先週「心暖かい」ということを言いました。「柔和であれ」というのも同じことです。こういういい言葉を覚えて、そして実際にこころがけるということがとても大事です。何度も同じようなことを言いますが、われわれの気持ちはちょっと油断すると甘い誘いのことばに誘惑されてしまいがちなので、しつこく繰り返してみなさんにお願いしているのです。
では今日最後にマザーテレサの言葉を一つ
あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。
あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。

2021年2月20日
今日は先ず先週みんなに投票してもらった文集の表紙に使う絵のコンテストの結果を言います。全員で30人が投票して、そのうち14人が1位に選んだ磯野百花さんがダントツのトップでした。ちなみに2位はマシューズさくらさん、3位が赤松千沙さんでした。そして学校要覧の表紙には中森春かさんの絵を使うことになります。
さて、今週は寒かったですね。雪もちょっと積り久しぶりに寒い中雪かきなどもしました。
こんな時はなんとなく暖かい家の中にこもって気分もすっきりしないという人もいるかも知れませんね。
でも心まで冷たくならないように気を付けましょう。
心が温かい、という表現があります。こころが温かいとはどういうことでしょう。
先ず「他人にやさしい」ということでしょう。気持ちに余裕があり、自分のことばかりではなく他人に対しても優しい態度で接することがでる人です。そして「他人に対して気配りが効く」すなわち他人の立場に立って物事を考えられる人。さらに「どんな人の意見も先ずは受け入れる、それから自分の意見も考える」、
常に「Give」の精神を持っている、また誰か困っている人がいたら必ず手助けする人がそうです。そして何か恩を受けたら必ず「ありがとう」、と素直に感謝することができる人。
こういったことは考えてみればあたりまえですが、何か自分に不愉快なことや不満足なことがあったときなど、つい忘れてしまうことがあります。
暖かい心で人に接していると周り全体が温かくなってきます。
また、こういう人の方がもてますよ。
とにかくわれわれ集団社会で生活している人間は一人一人の心の持ち方で全体の様子が変わってきます。常に他人への思いやりを忘れないで、いい社会をつくるようにこころがけましょう。
さ、寒さに負けず、今日も頑張りましょう。


2021年2月13日
おはようございます。
今日は苗字制定記念日だそうです。1875年、明治8年にこの法律で国民全員が苗字を名乗ることを義務付けたのです。江戸時代までは貴族と武士しか苗字を持つことを許されなかったんですね。だからそれまではどこどこに住んでいる何べえ、とか太郎の娘の花子とかいうことで言い分けていたわけです。明治時代になって、欧米の諸国の事情などを調べた結果、日本でも個人個人に苗字をもたせるべきだ、ということでこの法律ができたのです。もっともヨーロッパでも大昔は苗字がないのが一般的だったようです。マクドナルドのマックとか、オヘアのオなどは、なになにの息子という意味に使う前置詞のOfなどの名残です。
いずれにしても名前は大変重要なものです。その人に一生つきまとうことになるわけで、たとえきらいでも勝手に変えるわけにいきません。苗字はその家についているのでこれこそ勝手に変えられません。ファーストネイムのほうは親がかんがえるのですが、子供が生まれるときその子になんという名前をつけようか、というのがとっても大事なことです。子供が将来どんな人に成長してほしい、などという意味合いが含められているでしょう。
みなさんの名前もご両親が苦心して考え出したものなのでその意味をよく考えて、大事にしてくださいね。
さて、2月は28日間、ちょうど4週間です。今日が2週目なので今日が終わるとあと2週間、そして3月は2週で学校も終わりになります。残り少ない3学期ですが、寒さに負けずみなさん健康に頑張ってください。

2021年2月6日
おはようございます。今週のはじめに節分がありました。鬼は外、福は内と豆まきをするのがこの節分です。
いつもは2月3日が節分ですが、今年は124年ぶりに2日が節分になったんだそうです。節分は立春の前の日になります。立春とは春が立つと書きます。冬至と春分のちょうど真ん中の日で暦の上では春になる日です。実際にはまだ冬ですが、冬の一番厳しい時を過ぎて少しずつ春めいてくるころにあたります。と、いうのは実は中国とかここアメリカの大陸の内部での話しなんですが、海に囲まれた日本では実際の季節は少しずれているので2月は一番寒い時期になっているようです。
ちょうどこの頃のことを歌った有名な歌があります。早春賦という題の歌で小学校唱歌の一つなので知っている人も多いでしょう。歌詞は今から100年以上前に書かれているのでちょっと難しいところもありますね。
僕が歌ってみようかと思ったけど、東京放送児童合唱団のきれいな歌声を聞いてもらった方がいいと思うのでちょっと聞いてください。

2021年1月30日
おはようございます。
もう1月もほぼ終わりです。つい先週アメリカの大統領が新しくなりました。これまでの4年間とポリシーが全然違うみたいなのでどうなるでしょう。まずはコロナ退治ですが、これは大変な問題でまだ時間がかかりそうです。 さて、先週から新しいお友達が加わったことはもう知ってますよね。山本のぶこさんとひろこさんのお二人でご一家は日本からこられたばかりです。これから1年半シャンペンに住むことになるそうで、しばらくみなさんと一緒に勉強と、それから学校で集まれるようになったら一緒に遊ぶことができますね。
メットキャフの関係者にその後の状況を聞いているのですが、彼らもまだフルタイムでの対面授業に戻る見通しがたっていなくて、外部のグループには、まだいつから校舎がオープンできるか決まっていません。分かり次第連絡をします。
今のような先が見えない時は不安になりがちです。先が見えないのはわれわれの生活で常につきまとっていきます。こんな時にできることは、まず不安を取り除きましょう。どうしたってわれわれができることは当たり前のこと、平凡なことの積み重ねです。一発勝負をかけるのではなくて、こうした地味な努力の積み重ねがやがて大きな結果を生じることになるわけです。毎日たとえ5分でも10分でも勉強机に座ってみるなんていうのも、こういった地味な努力の一つです。いやなことは後回しにしないで、どうせやらなきゃいけないことがあったら、積極的に挑戦するようなことを考えてくださいね。
さ、これから勉強の時間です。がんばりましょう。

2021年1月23日
おはようございます。
今日はまずお正月はじめに行った書初め大会の表彰と、漢字大会の結果発表を行います。

はい以上でした。字を書くということはコミュニケーションの一環だと思います。と、いっても僕らが子供のころと今ではまわりの環境が全く違うので、どこまでみなさんの参考になるか、ちょっと不安ではあるのですが、やはり紙に字を書いて、友達に手紙を書く、メモを書くということを通じて、まず字を覚えていきます。そして自分の言いたいことが相手に伝わると、とてもうれしく感じることができます。そして、頭の中で文章をまとめる力もつくと思いますよ。
学年のまとめに文集を作るので、みなさんも頭をひねりながら作文をしていきますが、こういった経験を通じて自分の考えを作ることができますので、ちょとがんばってみてください。

2021年1月16日
おはようございます。また土曜日がきました。
1月の第2月曜日は成人の日です。今年はこの月曜日12日がそうでした。人が成長するなかで、社会的に大人になったことを祝うのが成人式です。今は日本の法律では20才になると成人と認めらるようになっていますが、来年から18才に引き下げらるそうです。もともとこの祝日ができた時は1月15日に成人の日を祝っていました。これは15日が小正月にあたり昔、どんな昔かというと奈良時代と言われますので1300年くらい前からですが、元服という式をこの日に行ったというのが由来とされています。これは貴族とか武家の間での儀式ですが、元服では髪のかたちを変え、服も大人のものに変えて、元服が過ぎると大人として扱われることになります。これはだいたい11才から15才くらいになると行われていました。だから今と違って中学生くらいになると大人の仲間入りができていたことになります。
大人になるとちょっとえらくなったような感じがしますが、同時に責任がぐっと大きくなります。昔の人たちが特に成長が早かったわけではありませんが、貴族・武家といった当時の支配階級、要するに人々の上にたつ階級ですが、こういう人たちはその数が限られていて、おそらく早くから特別の訓練がなされていたのでしょう。
いずれにしても小学校から中学校で教えられることは基本になるとても大事なことばかりです。そしてさらに育っていくための基礎がつくられます。だからみなさんの勉強は大事だということを改めて言いたいので今日は成人式の話しをしました。
それでは今日も一日がんばりましょう。

2021年1月9日
明けましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いします。
さあ、2020年は過ぎ去っていきました。大変な年だったですね。
クリスマスからお正月もおそらくみなさんはいつもと違うパターンで過ごされたことでしょう。でも少なくとも、クリスマスプレゼントがあったり、おぞうにを食べたり、とそれなりの楽しみ方があったのではないでしょうか。特にお正月は日本人にとってとても大切なものだと思います。なんといっても一年の区切りですね。たしかに大晦日から正月へ一晩過ぎただけなので、夜が明けて朝になったと、いつもと変わらないと言ってしまえばそれまでですが、暦が新しい年になるというのは、やはり気持ちの上で大きな違いになります。新年の願いとか、誓いなど、人によって、「さあ、今年はこういうことをやろう」などと張り切るのはお正月によくやることです。私もみなさんに何か一年の目標を立ててほしいとよくお願いします。
この目標ですが、そんなに高望みする必要はありません。目標があまりに高すぎると、途中であきらめてしまう可能性が高くなります。目標づくりに一番だいじなのは「動機」、つまりその目標を達成するための目的がしっかりしてないと結局3日坊主で終わってしまうことになるでしょう。途中でこの目標はあきらめよう、と思ったときに動機や目的がはっきり分かっていると、そうだ、こういう目的でやっているんだから、もうちょっと頑張ろうということになります。
今年は丑年です。赤松千沙さんが丑年かな? 丑年はよいことの前触れの年といわれることがあるそうです。
牛は古くから酪農や農業で人間を助けてくれた大切な動物でした。大変な農作業を最後まで手伝ってくれる働きぶりから、丑年は「我慢(耐える)」、「これから発展する前触れ(芽が出る)」というような年になるといわれています。
いずれにしても今年はぐんといい年になってほしいですね。

2020年12月19日
おはようございます。いよいよ今日が今年最後の授業になりましたね。来週はクリスマス、その次はお正月と一年を締めくくり、新しい年を迎えることになります。この一年間、どうでしたか?コロナという超異常の状態発生ですべてが狂わされてしまいましたね。4月以降学校に行けず、外出も思うようにできず、不便だったけれども病気は怖いし、しかたがありません。と、いうことで今年の目標も人によっては途中で変更しなければならなくなったケースもあるでしょう。いつも12月の話しや終業式で一年間の見直し、反省と新しい年への目標つくりについて話ししますが、今年もみなさんに一度一年間を振り返ってもらい、自分なりにいい年だったか、不満足だったかを評価してみてもらいたいと思います。そして来年2021年に向けて何をしようか、と思いをはせてみてください。一年の終わりはちょうどいい区切りになりますし、補習校も2週間お休みでもあるのでとてもいい機会だと思います。みなさんは現地校で英語、そして土曜日には日本語での勉強をしなければいけないので、普通の人よりもずっと大変なことをしているのです。おそらく兄弟とは英語、親とは日本語、ということもあるかも知れません。いろんな研究でバイリンガルの人たちは幾つかの面で特徴をもっていると言われています。例えば、1つの言語しか話さない人(モノリンガル)と比べて、認識の柔軟性が高い。つまり、新しい状況や予期しない状況に直面しても、流れに乗るのがうまいのだそうです。その他、より冷静に判断ができるというようなこともいわれているようです。いずれにしても二つの言葉がしゃべられるのはそれだけでも将来いろんな役に立つことでしょう。これからもうまく両立させていってください。
それではメリークリスマスとハッピーニューイヤー!

2020年12月12日
おはようございます。また土曜日がきました。コロナの中での生活もずいぶん長くなってきました
われわれ人間は同じ生活パターンを繰り返していると知らず知らずにそのパターンにはまってしまいます。
英語でBad habitという言葉があります。よくない癖、とでもいうのでしょう。なんでも楽にしたいという気持ちがだれにでもあるので、かならずしもいいやり方ではなくても、その方がやりやすい、楽だ、というものにひかれてしまって、結果としてよくない癖が身についてしまうのです。なにがよくてなにが悪いかの判断は人によっても違うと思いますが、自分で考えたらだいたい分かりますよね。特に今のように思うように外出ができない、友達とも一緒に遊べない、親戚とも会えない、などなど、いろんな制約がある中で、家族以外の目に触れられていないと、気持ちもいわゆる「締まり」がなくなってしまいがちです。周りが見ていないと、楽な方向に向かってしまうということが往々にして起こります。ここまで言えば何をいいたいか、だいたいわかってくると思うけど、要するに、毎日少しづつでも自習の時間を設ける、読書をする、といった習慣をつけるように心がけてもらいたいと思います。習慣になってくると、苦痛ではなくなり、かえって抜けると何か足りない、といった感じがでてくるものです。

2020年12月5日
おはようございます。
サンクスギビングは楽しく過ごしましたか? 我が家ではいつも通り大きなターキーを焼いて、家族みんなでディナーを楽しみました。
いよいよ12月ですね。今年ももうあとわずかになりました。まさにコロナにはじまり、コロナに終わろうとしていて2020年はとっても思い出深い年ですね。ワクチンがもうほぼできているというビッグニュースもあります。実際にはわれわれのところまで回ってくるには相当時間がかかるでしょうが、大きな進展があったことは大変喜ばしいことです。
イリノイの状態はぜんぜんよくなっていないので、みなさんもとても変則的な授業をまだ当分続けなければならないので勉強の面からも、友達との付き合いという面からも不便を強いられる形になり、本当にかわいそうに思います。逆に考えてみるとこういう時こそまさに自分で努力することの大事さをよく理解できるのではないでしょうか。
これから3学期にかけて毎年恒例の文集つくりが次の大きなプロジェクトです。それぞれ担任の先生方がその方法など考えられていますので、よく相談しながら進めてください。
さ、それでは今日もがんばって一日日本語での勉強をしましょう。

2020年11月21日

おはようございます。学習発表会、みんなとてもよくできましたね。自分でも満足している人が多いことでしょう。何かをまとめて発表していくということはこれから将来いろんな機会に起こってきます。大事なことははっきりと聞いている人によく分かるようにしゃべることです。せっかくきちんとまとめたのにしっかりと相手に伝えることができないと、意味がありませんね。発表会は大事な勉強の機会だったということです。
また、日ごろからピアノ、バイオリン、その他の練習に時間をかけて頑張ってきた結果を発表してくれたみなさんの技量には大変感心させられました。これからもがんばってください。
さて来週木曜日は感謝祭の日です。一年間の豊作を祝い、神様にお礼をするところからこの習慣ができました。畑で穀物や野菜を作るのには大変な努力と時間がかかります。作物が育っている間、病気はないか、害虫がついていないか、嵐で倒れていないだろうか、雨が降らないと枯れてしまう、などなど心配は絶えません。というように半年かけて一生懸命に面倒を見ていく必要があります。それだけに秋になってその収穫があると、その喜びはひとしおということになります。昔から自然は人間が左右することのできない、神様だけがコントロールしているものと信じられてきていたので、秋に収穫があり、食料の確保ができた時にお祭りをして神様にお礼をする習慣が世界中で行われてきています。日本でも秋祭りなどはその一つです。
今年のトウモロコシ・大豆などの収穫はパンデミックの影響は特になく、去年よりもかなり多く採れたそうです。よかったですね。今世界の経済が大きな影響を受けていますが、われわれひとりひとりは自分たちにできることを地道に行っていくことがだいじです。

2020年11月14日
おはようございます。Zoomでの学習発表会の第1日目は大変うまくいきましたね。しっかりと準備ができていて、さらにZoomだからこそできるような企画も入っていて、担任の先生方の努力もうかがえました。今日も楽しみにしています。
さて、先週手紙の書き出しの文章で秋に関係するものをいくつか紹介しました。だから今日は俳句の季語について話しましょう。国語の授業でもう習った人もいますね。俳句とは日本独特の詩の形式で五七五の17文字で表すものです。しかもその詩の中に季語といってその季節を表す言葉が入っていなければいけないというルールがあります。似たような詩の形式に短歌、または和歌というものがあって、これはみそ一文字、五七五七七と、31文字で表すものがありますが、これは季語は必要ありません。いずれもそれらの詩をよむ人々の喜びや悲しみ、感激したり、落胆したり、さまざまなその時々の気持ちを言葉に表すもので読む人のこころにもよく伝わってきます。俳句に季語が必要なのはおそらくその時の季節を、しかも適切に表す言葉で聞くことで作者の微妙な心の動きなどを読む人に伝わるようにとの、意味合いがあるのでしょう。日本は四季がはっきりしていて、それぞれに特徴があるから、ことさら季語を使うことで表現力を豊かにする作用があるものです。
秋の季語にはいろいろとあります。初秋、文月。長月、霜月などから、新涼、二百十日、八朔、白露、水始めて涸る、律の調べ、爽やか 、かりがね寒し とか 天高くなどもそうです。中には中国の古い言い伝えから来た雀ハマグリとなる、なんてものがあります。これは雀が水に入ってハマグリになるというような思いがけないことが晩秋に起こる、という言い伝えからきているそうです。面白いですね。
詩をかいたり、俳句、短歌を書くのがあまり得意ではない人もいるかも知れませんが、なにも難しく考えることはなくて、自分の気持ちを言葉に表してみるというのも、自分の気持ちを治める効果があって、いいものですよ。この素晴らしい秋の季節の中で、そんな時間を見つけてみてはどうでしょう?

2020年11月7日
おはようございます。さて11月になりました。日本の暦では霜月といいます。朝には霜が降り始めるころですね。日本で手紙を書くときにはその書き出しにその時折の時節に関することを使うのが一般的です。友達同士の手紙ではそんな面倒なことしませんが、ちょっとあらたまったものになると、いきなり本文に入らないで、やはり何か書き出しが必要になってきます。そこで時候の挨拶といい、その時の季節に関することを書きます。
11月の初旬につかわれる文句をいくつか紹介しましょう。
菊の香り漂う霜月を迎えましたが、いかがお過ごしでしょうか。
秋されの時節となりましたが、お変わりございませんでしょうか。
かえでは紅、いちょうは黄金、はなやかな錦の秋となりました。
暦の上でははや立冬となり、めっきり日脚も短くなってまいりました。
街路のいちょうもすっかり黄金色に色づきました。
秋気身にしみる頃となりました。
日だまりの恋しい季節となりました。
洗い物をする水が、いよいよ冷たく感じられる季節になりました。

と、いうことでちょうど今頃のことがいろいろと書かれています。日本のこういった手紙の書き方は、ただ「ご機嫌いかがですか」というだけよりも、なんていうかな、やはり日本独特の細やかな文化の特徴をよく表していると思います。情緒という言葉があります。意味は、事に触れて起こるさまざまの微妙な感情、ということですが、こういった気持ちを大切にしていきたいと思います。
さあ、今日・来週と2週間にわたって学習発表会ですね。楽しみにしています。それではあとでまた会いましょう。

2020年10月31日
おはようございます。今日はハロウィーンです。いつごろこのハロウィーンという習慣が始まったのかについてはいくつか説があるのですが、もともとは今から何千年も前にヨーロッパに住んでいた民族の習慣がいつの間にか形を変えてきて、今行われているようにジャッコーランタンを飾ったり、Trick or treatをするような形に定着してきたもののようです。さて、今年はいつもと違いますね。残念ながらいつものように着飾ってあちこち回るということが制限されてしまうので楽しみも半減ですね。われわれもお菓子を用意したものか迷います。アメリカ全体でもこの時期はクリスマスに次いでいろんなものの売上高が高い季節なんだそうですが、今年はいつもの半分しか売れていないそうです。こんなときは気が滅入りがちですが、首をうなだれて下を向いてばかりしてはいけません。とにかくわれわれの人生も世の中の動きも常に波があります。小さい波、大きな波、上向いている波、下向いている波、それぞれですね。まさに悪いときもあればいいときもある、ということです。とにかく、自分の目標を見失わないようにしましょう。
明日から冬時間、というか、標準時間にもどります。Spring forward, Fall backといいますから秋の変更の時は手時計の針を1時間遅らせるので、それまでより1時間余計に朝、寝ていることができます。1時間だけですよ、それも明日だけですよ。毎日1時間遅くまで寝ていたらそのうち昼間中寝ていることになってしまいます。
いよいよ11月なので来週・再来週は学習発表会です。準備も着々とできていることと思いますので、楽しみにしています。

2020年10月24日
おはようございます。今日10月24日は世界ポリオデーです。ポリオとは日本語では小児麻痺とも呼ばれる病気です。これはポリオのウイルスによる感染症の一つで、麻痺などを起こすことのある病気です。ひどい場合には死にいたります。
日本でもアメリカでも、みんな小さいうちにワクチンを受けているので、もう40年以上前に完全に姿を消しています。この病気は1900年代半ばまで世界中で見られていました。この病気に対してはワクチンを投与すればまず大丈夫だということでWHOと呼ばれる世界保健機関 は、全世界での根絶を目指して各政府にも働きかけてこれまで大きな成果を上げてきています。またコンピューターのウインドウズで有名なマイクロソフトの創始者であるビルゲイツと奥さんのメリンダゲイツが作っている財団が巨額の後押しをしているのも有名です。そして世界中にあるロータリークラブという福祉団体もポリオ根絶運動を推進しています。こうした努力のおかげで現在では世界中で2か国を除いて完全になくしてしまったというところまで来ています。2か国はパキスタンとアフガニスタンで、数は少ないのですが、毎年数件ずつ発生しています。これは宗教と習慣上の理由でワクチン投与ができないことが理由です。
ポリオはさっき言ったように今から5・60年前ごろまではずいぶん発生していました。これにかかった有名な人として第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトとか、ローマオリンピックの女子短距離優勝者のウィルマ・ルドルフなどがいます。
人間の歴史は感染症との闘いでもあります。今はコロナウイルスに翻弄されていますが、きっと近いうちに対策が生まれるでしょう。でも、その次には別のものがでてくることが十分に考えられますね。
いずれにしてもこれからはインフルエンザの季節にもなります。とにかく、感染症は常に身近に存在していますので、一年を通しての感染対策が必要です。まずは、毎日の「正しい手洗い」を心がけるようにしましょう。

2020年10月17日
おはようございます。このところ木々の葉が赤や黄色に変わってきていてとてもきれいですね。これはブルーミントンのちょっと南にあるファンクスグローブというところの写真です。今週天気のいいときにちょっと行ってきました。うっそうとした林の中に小さなチャペルがあり、きれいなところです。
葉っぱの色が変わることを紅葉というのは知ってますね?落葉樹という種類の木は冬になると葉っぱがおちてしまいます。その前に色が緑から変わります。どうして葉っぱの色が赤だとか黄色に変わるのか、興味のある人は調べてみてください。日本の中学校の理科の授業で「植物の世界」というのがあって、そこでしくみを勉強することになります。でもインターネットで調べればすぐに分かります。
植物が化学反応で自分の栄養分を作るときに酸素もいっしょに作り出し、これが人間を含めた生き物に大切なものだということを知っている人も多いと思います。
さて、話は戻って葉っぱの色が変わることですが、落葉樹という仲間の木は葉っぱがすべて落ちてしまいます。その前にきれいな色に変わるのですね。なんとなく葉っぱが死んでしまう前に一度ぱっと、きれいな姿を見せる、という感じですが、これは木が冬に向かう準備の一つなわけで、また春になるときれいな緑の若葉を見せてくれます。今われわれの世界ではコロナウイルスに追っかけられて大騒ぎしていますが、植物の世界ではきっちりと例年通りに時(とき)が流れています。これを思うとちょっとほっとします。ところでこの繰り返しですが、やはりそれぞれの変化にはタイミングがあります。たとえばチューリップの場合、春先に水が十分に与えられていないと、遅く葉はでてきてもきれいな花は咲きません。だからタイミングを外すのは問題です。育つにはタイミングが必要なんですね。人間が育つにもそれぞれタイミングがあるようです。皆さんのように小学生・中学生くらいのときの頭は知識をどんどん吸収していくことができます。楽器・語学・スポーツのようなものもこのころの習得力というのは高いのでいろんなことに挑戦してみてください。


2020年10月10日
おはようございます。ちょっと寒い日がありましたが、また暖かさがもどってきましたね。こんな繰り返しがあるうちにだんだん秋が深くなってきます。さて、今日の話しですが、昔ビートルズというロックミュージックのグループがありました。イギリスのリバプールというところから出てきた4人組のロックバンドです。一時世界中で最も有名なバンドだったと言えます。それまで無かったスタイルで登場してきてあっという間に世界の音楽界のトップに立ちました。ちょうど僕が中学生から高校生のころだったのでとても強烈な印象をよく覚えています。みなさんの中でもイマジンという歌を聴いた人があるかも知れません。今バックグランドで聞こえていると思います。この歌はグループのメンバーの一人、ジョンレノンという人が作って歌った曲です。「想像してごらん、すべての人々が平和に暮らしている姿を」と、世界がひとつになればけんかやいさかいも起こらなくなる、そういう世界が来てほしいし、きっとそうなると思う、というような歌詞です。この人は200曲以上の歌を作りました。これらには結構いい歌詞が多いのですよ。平和や、愛などのテーマが多いのですが、人生についても語る歌詞があります。「人生は短いのだから、言い争いなんかしているひまなんかないのだ」とか「いろんなことを考えたり計画しているうちに人生は進んでいく」というような言葉です。これはジョンが自分のこどものために作った曲「ビューティフルボーイ」の中の言葉です。みなさんはまだとても若いから人生なんてこと考えたことが無いかも知れませんが、すべての親が子供に対して、「幸せに、健やかに育ってほしい」「いい人生を過ごしてほしい」と、願っているもので、このことを表しているわけですね。親のこどもに対する愛、兄弟愛、そして皆さんが親や兄弟に対して感じる愛というものを大事にして、これを周りのみんなの人たちにも同じように示していくことがとても大事だと思います。そしてその積み重ねが、けんかや戦争の無い世界につながるということを考えてください。さて、音楽というのはとても素晴らしい、人間にとって大昔からとても大事な存在です。歌を歌う、楽器を演奏する、好きな音楽を聴く、また中には音楽を作る人もいる、これらは自分自身に大きな満足感を与えてくれます。その中から学ぶことも多いことでしょう。今日のお話しでした。

2020年10月3日
おはようございます。10月は日本の暦では神無月といいます。神がない月と書きます。一説では日本中の神様が出雲という神様の本部みたいなところに集まるので日本中どこにも神様がいなくなってしまう、という言い伝えもあります。従って出雲ではこの月を神有月というそうです。漢字で「八百万」とかいて「やおろず」と読みますが、その意味は非常にたくさんとか、無限ということです。そして日本にはやおろずの神がいるといわれています。すなわち、とってもたくさんの神様がいることになります。森羅万象、というのは、存在 している ありとあらゆる 物事 や 現象 、に神が宿ると考えられていて、また偉大な祖先を神格化、というのは神様としてまつります。だから神話の中の神様から、有名な人など、たくさん、たくさんいることになります。日本人の神様に対する考え方は、いいこと悪いことすべての自然現象が神のコントロールによるものなので、お祈りすることによって、いいことが起こりますように、悪いことがないように、とお願いするわけです。だから、お正月の初詣だとか、七五三のお参り、豊作を願うお祭り、などなど、ことあるごとにお祈りをする習慣が今でも残っています。
今週木曜日10月1日は満月でした。この日は日本では十五夜と呼ばれて、古くから美しい月を眺めて楽しむ習慣があります。これはもともと中国の風習が日本にも伝わってきたものです。平安時代といいますから今からおよそ千年前の貴族たちが、月は一旦欠けてもまた満ちることから、生きること、不死、すなわち永遠に死なない象徴と考えて、その月を愛して詩や歌を詠むことから始まったそうです。その後江戸時代には、この時期は農作物の収穫期とも重なるので、豊作を祈る収穫祭を行う日として一般庶民にも親しまれるようになっていき、一般家庭にもお月見が定着していきました。お月見には月見団子とススキの飾りをします。団子は月と同じように丸くて、さっき言ったように月は不死の象徴と言われていることから、それを食べることで健康と幸せが得られるという考えにもとづいています。ススキは稲穂の代わりです。子孫や作物の繁栄を見守ってくれる月の神様がおりてきてススキに乗り移ると考えられています。満月は年に12回まわってきますが、この時期の月が特にきれいに見えることからこの習慣ができたのですね。秋は空が澄んでとてもきれいな時期です。

2020年9月26日
おはようございます。
今週火曜日22日が秋分の日で、昼間と夜の時間がまったく一緒になりました。アメリカではFirst day of fallといいます。また日本では9月の第3月曜日が敬老の日という、ぼくみたいなおじいさんや、おばあさんを敬おうという日がありますので月・火と続けて休日になってシルバーウイークだとかいうそうですね。いずれにしてもいよいよ秋が本格化してきます。トウモロコシなどの色が変わってきて、木々の葉っぱの色も次第に紅葉してきます。空はきれいに澄んだ青い色で、白い雲が対照的にぽっかりと浮かんでいます。朝晩が冷え込むようになってきました。でも日中は暖かくて気持ちのいい日が続きます。きれいなものに心奪われるのもまさにこのころです。
きれいなもの、美しいものと思う感覚は他の人とコミュニケーションをとるうえで大事なことです。こういう感覚は人間だけに与えられたもので、ほかの動物にはありません。
さて、私たちの住んでいる地球ですが、この地球はひとつの星としても非常に美しい星です。宇宙飛行士が撮った地球の写真などを見たことがありますか?とても美しいものです。それは地球には美しいものであふれているからでしょう。
だけど、最近、この地球は人間によってどんどん汚染されて、つまりよごされてきています。表面上では美しく、青い地球ですが、いろんなところで地球は悲鳴をあげています。温暖化によるバランスのくずれもその原因の一つです。わたしたちは地球が無ければ生きていけません。
わたしたちが美しいものを見て、美しいと思えるのも地球があるおかげです。
これからも、美しいものをわたしたちが眺めていけるように、また感じていけるように、自分でできること、たとえ小さくてもかまわないので実行していきましょう。
そして最後にもう一回、敬老の日にちなんで老人を大事にしましょうね。

2020年9月19日
おはようございます。
このところ急に朝の明けるのが遅くなってきて、夕方日が暮れるのがぐっと早くなってきました。幸い日中とてもいい天気が多くて気持ちのいい日が続いていますね。トウモロコシや大豆の刈り入れがはじまっています。秋の気配が周りいっぱいというところです。
さて、先週は自分勝手なことについて話しました。とは言っても、実は自分勝手なことをしないというのはそんなに簡単ではありません。なぜなら自分で正しいと思っていることが、他の人の考えとかならずしも一緒ではないからです。
社会的に何が正しくて何が間違っているかというのは簡単に言えません。
人によってちがうし、国家によって、思想によって、宗教によって、年代によって、それぞれのグループによって、立場によって、男女によって、正しいの基準は違ってきます。
人は本能的には正しさをもとめるのではなくて、結局何が好きで、何がきらいか、ということが判断基準のベースになっています。だから社会的に正しくないものが好きだという場合もいっぱいありえます。
こんなことを言ってしまうと、さあ、私どうしよう?僕はどうしたらいいのだろう?と考えてしまいますね。
われわれは集団社会の中で生活をしています。人間は集団の中でないと生きていけません。家族、学校からはじまり、町、県だとか州、そして国もそうだし地球全体も大きな集団です。
こういった集団の中で生活をしていくときに必要になってくるのが他人との協調ということです。
先週もいいましたが、人間はそれぞれじぶんの欲求や希望を持っています。そこで大事なことは誠実さを持つことです。他人への思いやりを持って、誠実な気持ちで相手に接していくことを心がけてください。そこでもう一つ大事なことですが、実行する、ということです。いくら心で思っても実行しないと意味がありません。自信をもってことにぶつかっていく勇気を出しましょう。

2020年9月12日
おはようございます。
夏の強烈な暑さはなくなり、朝晩はだいぶ涼しくなってきました。このところ天気の変化が多いです。大雨が降ってみたり、ときには雷を伴う雷雨が襲ってきたりしています。次第に夏が去っていきます。
さて、今日の話しは自分勝手ということです。手前勝手とか、身勝手なんて言い方がありますが、人間はほとんどの人がこの傾向を持っています。もちろん自分が大事だということで当然そう考えるのが自然でしょう。
自分勝手といってもいろんなケースがあります。
人の言うことを聞かない。
自分の話しは聞いてほしいけど、人の話は聞かない。
思い通りにならないと不機嫌になる。
自分の考え・価値観を押し付ける。
否定されたり注意されると怒る。
今の世の中では自分が聞きたくないことには耳をふさぐ、とか、言ってほしいことをいう人だけを自分の味方にする、などという傾向がどんどん増えているように思えて仕方がありません。
自分の欠点や、考えの間違いだとか、他人の意見を素直に聞くという態度が絶対に必要ですね。
人間としての欲求や希望はだれもが同じです。そこで大事なことは誠実さを持つことです。誠実を持ってすれば人を動かすことができるし、自分が心の底から感動すれば人を感動させることもできます。自分が信じなければ人を信じさせることはできません。
垣根は相手がつくっているのではなく、自分がつくっているといわれています。誠実な気持ちで相手に接して気持ちのいい世の中をつくっていきたいものです。

2020年9月5日
おはようございます。もうみなさん休み明けのペースをつかんだでしょうか。現地校がリモートの人はうちから出かけられない生活がまだ続きますね。最近よくニューノーマルという言葉を聞きます。世の中の変化はめまぐるしいものがあるので何がノーマルか本当によく分かりませんね。そのときそのときの状態に応じた順応性が要求されます。
さて、今日は新しい仲間の紹介です。と、いってもみなさんと顔合わせがすぐにできないのですが、新しく小学校2年生に河野いつき君が入ってきます。仙台から今月シャンペンに引っ越してきたばかりで、これから約1年こちらに住むことになるそうです。2年生のクラスメートがいないので一人だけのクラスで、しかもリモートでの授業開始という、まさにコロナウイルス影響をじかに受けての変則的なスタートです。これもニューノーマルということになるのでしょうか。
そこで今度はまたまた新しいことですが、2年生の先生として昔この学校で教えていたアンダーソン先生という方が国語の受け持ちとして復帰されます。アンダーソン先生はテキサス州のサンアントニオという町に住んでいるのですが、リモート授業だったら世界中どこに住んでいても授業ができるのですね。サンアントニオはここから1000マイルも離れていますから対面授業だったら考えも及ばないのですが、これもニューノーマルのひとつでしょう。
さて、「あたりまえ」という言葉があります。自分のまわりにはあたりまえなことがいっぱいあります。あったりまえじゃないか、なんて思ったり言ったりするけど、このあたりまえのことが特にうれしいとは思わない、のが普通に、ノーマルになっていますね。お父さんがいる、お母さんがいる、手が二本あって足が二本ある、だから行きたいところへ自分で歩いて行ける、手を伸ばせばなんでもとれる。でも、こんなあたりまえなことができない人たちが世の中には大勢います。できなくなったり、なくなったりして初めてあたりまえが素晴らしいことだと分かります。健康でいることがいかに素晴らしいことか、うれしいことか、特に今のようなときにはよく分かりますね。

2020年8月29日
おはようございます。今週は暑い夏の日が、ぶりかえしましたね。日本では相変わらず酷暑、めちゃくちゃ暑い日が続いているようです。
暑いときはプールや海に飛び込んで、といいたいところですが、コロナウイルスはここでもわれわれの邪魔をして思うようにいきません。ウイルスの開発もどんどん進んではいるようですが、まだもう少し時間がかかりそうです。
みなさんの現地校も対面であったり、リモートであったりそれぞれ違った対応をされているようですね。とにかく指示に基づいて毎日の生活を精いっぱいやっていきましょう。こんなときに自分を見失わないことが大切です。
今日は「今日」ということについて考えてみましょう。あたりまえのことだけど今日という日は今日しかありません。時間というのは止まることなく川の流れのようにどんどん流れていきます。
イタリアの詩人ダンテが「今日という日は二度と来ないことを思え」とその著作の中で言っています。これから得られる教訓としては・・・
今日という日が2度と来ないということは誰もが知っているだろう。
今日という一日は過ぎてしまえばもう2度とはやって来ない。こんな説明不要の当たり前のことだが、今日やるべきことを「明日」あした、また明日・・と先延ばしにしてはいないだろうか?
今日できること、やるべきこと、やらなくてはいけないこと、やったほうがいいこと。いろんなことがあると思うけど、今日一日という貴重な時間を浪費、空費、無駄に使っていないだろうか?
仏教の創始者お釈迦様も「今日なすべきことを熱心になせ」と言っています。
これを覚えていて、今日一日を有意義に過ごしましょう。

2020年8月
二学期をはじめるにあたって
みなさんこんにちは、
二学期からはみんなと一緒に机をならべて授業ができると期待していたのですが、結局これまでと同様Zoomでの授業ということになってしましました。一学期を通してリモート授業をやってきたので、やり方などはもう分かっています。だからそんなに混乱はありません。でも、やはり顔をみながらお互いの表情なども感じて授業をするのとはだいぶ違います。生徒のみなさんも、もっと聞きたいこと、言いたいことなどが思うように伝えられなかったことも多かったのではないでしょうか。

しかし、そんなことを言ってもCOVID-19がいまだに猛威を振るっている中、しかも現地校が校舎を使わないことを決めてしまい、自動的にわれわれも校舎での授業ができなくなってしまったのですから、とにかくできる手段を使ってみなさんと授業を進めていくことにします。
授業中の指導だけでどうしても足りない場合があったら、まずは担任の先生と相談してみてください。そのほかのことでもご意見があれば私に言ってきていただいて結構です。

感染症は人間の歴史上なんども大変な危機を人類にもたらしてきているので、そういう意味ではなにも新しいことではありませんが、私の長い人生の中でもこんな事態になったことは一度もありません。
そこであちこち文献や動画を見て歴史を振り返ってみました。そこで言えることはまさに人類の歴史は感染症との闘いが非常に大きな部分を占めていることがあらためて確認できました。
今から4千年前にも古代文明の地、メソポタミアで疫病がはやったことがあり、エジプトの王のミイラに天然痘や結核の後が認められたりしていますし、聖書の中の記述など、いろいろな文献に感染症の流行が書かれています。

また、人間は戦争がいやだと思いながらもずーっと戦争を繰り返してきています。戦争によって歴史の大きな変化が起こってきているわけです。ところがこの戦争がまた、感染症拡大に大きな役割も果たしてきていて、俗に伝染病は兵隊の後ろから行進してくる、といわれるくらいに人類の歴史の形成上に大きな影響を与えてきていました。そして戦争の結果にも大きな影響を与えました。
古くは古代ギリシャのアテネとスパルタの戦いの際にアテネが疫病のために人口の3分の1を失い、結局アテネは負けてしまいました。ローマ帝国の滅亡もペストの大流行により帝国内の人口が半減し、その後まもなくイスラム勢力によってつぶされてしまいました。白衣の天使として知られるナイチンゲールが活動したイギリスとロシアのクリミア戦争では赤痢のために戦死者の何倍もの人間が死んでしまいました。また、フランスのナポレオンがロシアを攻撃した際チフスがはやり50万人にものぼる感染者が出てしまったのが冬将軍と合わせて、フランスが敗退するひとつの原因とされています。それがなければフランス大帝国の領地が大きく変わっていたかもしれません。
日本でも江戸時代にコレラがはやり、これをころりと死んでしまうのでコロリンと呼んでいたそうですが、江戸の町の数万人の市民がなくなったことがありました。

これは19世紀後半になるまで感染症の原因が細菌・ウイルスなど目に見えないものによるということが分かっていなかった時代の話しです。
現代ではいろいろな対処法ができる体制ができているので、昔のように人口の2分の1、3分の1などの人間が死ぬことはありませんが、病原菌も次から次へと彼らの生き残りを目指して変化しています。

人間が家畜を飼うようになって以来この感染症との付き合いが始まったとのことの様ですが、いやでも今後ともその脅威には脅かされながら戦い続けていくことになるそうです。

さて、今回のCOVID-19ですが、目下ワクチン開発が世界中で進められていてそう遠くない時点で一旦は人類がウイルスに優勢に立つことになるでしょう。それまでの間は言われているように三密「密閉」「密集」「密接」を避けて我慢していくほかなさそうです。

メールでご連絡した通り現地校・Metcalf校がリモート授業を決めましたので同校舎はしばらく使えません。ISUからは他の大学の施設利用の可能性も示唆されたのですが、登下校時、休憩時、昼食時、図書室、キャビネット使用などロジスティクスの面で周到な準備が必要になることからそう簡単に変えることもできず、結局しばらくこの体制で行くことにしました。
事態は流動的ですので今後数か月間の間にもいろいろな変化がでてくると思います。その段階でみなさんの健康第一を考えて、且つ教育の成果が最大となることを見つめながらみなさんと相談しながら学校運営を進めてまいりますので、ご理解・ご協力をひたすらお願いする次第です。

2020年6月 一学期の終わりに
https://youtu.be/OMK4Dw7RqTo


2019年6月
6月は日本の暦では水無月といいます。水が無い月と書くのですが、実際には日本では田植えが終わって水が一杯いる時期でちょうど梅雨にかかるころですから水はいっぱいあります。「無い」の字は音だけを使って水の月というのが正解かも知れません。
今日は怒る、怒りということについてちょっと話します。全ての生き物は自分に危害が迫ったときとか気分を害したときに怒るという反応がでます。この怒りがだんだん溜まってきてある一定の線を越えるといっきょに爆発します。みなさんもこれまでに何度もそういう経験を持っています。ある一定の線は人によって違いがあります。すぐに破裂する人、我慢強い人、それぞれです。もちろん破裂すると喧嘩になります。口げんかからはじまって、そのうち取っ組み合いの喧嘩になったり、度が過ぎると大きな怪我、または極端な場合には殺人ということまで発展することもありえます。これが大規模になると戦争という形になるわけです。今はやっている映画にアベンジャーズというのがあるけど知ってますか?キャプテンアメリカをはじめとしたいろんなスーパーヒーローが一緒になって悪と戦うものです。このスーパーヒーローにハルクというキャラクターがいます。普段は天才的な物理学者のバナー博士が怒りが爆発すると巨人ハルクに変身してしまいます。体中筋肉もりもりで色も緑色に変わります。普通怒ったら赤くなりますがハルクは違います。そして辺りにあるものをみんなスマッシュして壊してしまうという恐ろしい力を発揮するわけです。ハルクは昔は自分でもコントロールできなかったのですが、最近は怒っているときでもコントロールができるようになったようです。だから他のヒーローたちと一緒に戦えるようになっています。
さて、このハルクのようになってしまっては力による解決しかなくなってしまいますね。ハルクになる前に一度怒りの原因を考えてみて、爆発しないようにするのも大事だと思います。怒りが溜まってきたとき、ぐっとこらえて6秒間、数を6つ数えてみてください。そうすると少し怒りの度合いが収まります。そして、どうしてそうなったかを考え、力によらない解決法がないかを探ってみてください。もし他人との喧嘩だったら、相手に自分の考えを言ってみるのもいいかも知れません。相手もかっとなっていると、そう簡単にはおさまらないかも知れませんが、もしかしたら何かの糸口が見つかるかも知れません。
ところで、喧嘩の原因ですが、他人からなにか不愉快なことをしかけられたとは逆に自分から相手を不愉快な目に合わせていることもいっぱいあると思います。今まで絶対に他人に意地悪をしたことがない、無理を押し付けたことがない、という人はいますか? 多分ないでしょう。 親や兄弟に悪いことをしたな、という経験がある人は、口に出して言わなくてもいいから、「はい、そういうことがありました、」と心の中で言って下さい。次に、「ごめんなさい、もうしません」と言ってみてください。そしてできるだけ周りのみんなと仲良く過ごすようにしましょう。
6月は補習校が5日あります。みんなで元気、仲良くこの学校でがんばっていきましょう。


2019年6月

6月は日本の暦では水無月といいます。水が無い月と書きます。実際には日本では梅雨に向かう月で雨が多いのでこの無いという字は「の」という意味で水の月というのが正解だという説もあるようです。米の成長には水が大切で田植えが終わってグッと 

今日は怒る、怒りということについてちょっと話します。全ての生き物は自分に危害が迫ったときとか気分を害したときに怒るという反応がでます。この怒りがだんだん溜まってきてある一定の線を越えるといっきょに爆発します。みなさんもこれまでに何度もそういう経験を持っています。ある一定の線は人によって違いがあります。すぐに破裂する人、我慢強い人、それぞれです。もちろん破裂すると喧嘩になります。口げんかからはじまって、そのうち取っ組み合いの喧嘩になったり、度が過ぎると大きな怪我、または極端な場合には殺人ということまで発展することもありえます。これが大規模になると戦争という形になるわけです。今はやっている映画にアベンジャーズというのがあるけど知ってますか?キャプテンアメリカをはじめとしたいろんなスーパーヒーローが一緒になって悪と戦うものです。このスーパーヒーローにハルクというキャラクターがいます。普段は天才的な物理学者のバナー博士が怒りが爆発すると巨人ハルクに変身してしまいます。体中筋肉もりもりで色も緑色に変わります。普通怒ったら赤くなりますがハルクは違います。そして辺りにあるものをみんなスマッシュして壊してしまうという恐ろしい力を発揮するわけです。ハルクは昔は自分でもコントロールできなかったのですが、最近は怒っているときでもコントロールができるようになったようです。だから他のヒーローたちと一緒に戦えるようになっています。 

さて、このハルクのようになってしまっては力による解決しかなくなってしまいますね。ハルクになる前に一度怒りの原因を考えてみて、爆発しないようにするのも大事だと思います。怒りが溜まってきたとき、ぐっとこらえて6秒間、数を6つ数えてみてください。そうすると少し怒りの度合いが収まります。そして、どうしてそうなったかを考え、力によらない解決法がないかを探ってみてください。もし他人との喧嘩だったら、相手に自分の考えを言ってみるのもいいかも知れません。相手もかっとなっていると、そう簡単にはおさまらないかも知れませんが、もしかしたら何かの糸口が見つかるかも知れません。 

ところで、喧嘩の原因ですが、他人からなにか不愉快なことをしかけられたとは逆に自分から相手を不愉快な目に合わせていることもいっぱいあると思います。今まで絶対に他人に意地悪をしたことがない、無理を押し付けたことがない、という人はいますか? 多分ないでしょう。 親や兄弟に悪いことをしたな、という経験がある人は、口に出して言わなくてもいいから、「はい、そういうことがありました、」と心の中で言って下さい。次に、「ごめんなさい、もうしません」と言ってみてください。そしてできるだけ周りのみんなと仲良く過ごすようにしましょう。 

6月は補習校が5日あります。みんなで元気、仲良くこの学校でがんばっていきましょう。 



2019年3月 卒業式 校長式辞
さあ、いよいよ今日はこの学年の最後の日です。この一年間みなさん、一懸命やってきましたね。 さきほど修了証書と卒業証書を手にしてその感慨もひとしおと思います。「おめでとうございます」。

わたしにとっても、毎年この日ほどうれしい日はありません。 今日のみなさんのすがすがしい顔を見ていると、この一年間のいろいろなことが思い出されます。 みなさんはどうか分からないけれども毎週土曜日が楽しみでした。 若い君たちと付き合いができたことは私にとっても、気持ちの若返りができたり、新しいことを覚えたり、なんにも増してみなさんが日一日と成長していくところをじかに見ることができたのは補習校の校長をしていたおかげです。
さて、今日は福元杏奈さんが小学校の課程をすべて修了してはれてご卒業されました。おめでとうございます。
その他のみなさんもこの一年間の成果をもとにそれぞれ学年を一つずつ上がっていくことになります。これもおめでたいことです。
 
さて、今日はひとつの詩を読んでみたいと思います。 これは小学校6年生の教科書にでているので、ここで引用させてもらっても問題ないと思います。 また読んだことのある人もいると思います。 これは詩人の谷川俊太郎という人が作ったものです。 谷川俊太郎という人は数多くの詩を作っています。 歌の歌詞となると、多くの学校の校歌も含めて何百もの作品があります。 また多くの外国の本を翻訳したりしているのでも有名です。 この詩の題は「生きる」です。 それではちょっと聞いてください。

「生きる」 谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ

人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

この詩では今聞いたように、「生きてるということ」ということばが何回も何回も繰り返されています。 「生きているということ」「いま生きているということ」がどういうことかということを、難しい理屈ではなく、私たちがふだんの生活の中で出会う具体的な体験や知識によって、わかりやすく歌っています。
一見するとまとまりのないように「生きているということ」の例をたくさん列挙しているだけのように見えますが、読み進んでいくと「おお、そうか。そうか。 これも、これも、生きているということか。 これもそうか。あれもそうか。」「そうだ、わたしは生きているんだ」と、改めて自分が生きていることを実感させられ、生きていることに喜びと自信を与えられます。そして、「生きているということ」は、「なにか特別なことではないのだ。何気ない、ごく当たり前の日常生活や日常行動、それがかけがえのない光り輝く生きていることの証しなのだ。」ということなんですね。

「今日の一日は、学校へ行って、勉強して、帰ってきて、ご飯を食べて、寝ただけ」と、そんなことしか思い出さない日もあるでしょう。でも、ほんとうは、この詩のように、さまざまなことの中で生きているのです。 生きている、そのあたりまえすぎて気づかない、すぎていく時間のゆたかさを、気づかせてくれる、と同時に、人生は自分が嬉々として作り上げていくものであることを知らせてくれます。
そして、とても大切なことですが、この詩の最後のまとめとして、「人は愛するということ/あなたの手のぬくみ/いのちということ」と書かれています。「他人を愛する」ことが大切であり、心温かな愛の手を差しのべることが人間として最も大切な行為であり、それが「いのち」を大切にするということにつながるのだと言っています。

それともうひとつ大事なことですが、世の中にはいろんな人たちが住んでいます。 中には恵まれた人、そうでない人、いろいろな人たちがいるのですが、おたがいに助け合い、愛し合い、いっしょに素晴らしい明日を築いていくことが必要です。 すくなくともそういう気持ちをずっと持ち続けていただきたいと心からお願いしたいと思います。

卒業の「卒」は「終える」という意味をもっていますから、卒業というと業を終える、すなわち、学校の規定の全課程を修了するということになります。 一方、卒業という言葉は英語ではGraduationですね。 けれども卒業式という言葉は英語ではCommencementといいます。 Commenceというのははじめる、スタートを切る、といった意味を持っています。 だからCommencementとはこれから新たなもののはじまりということで言葉の響きとしては私はこの英語のほうが好きですね。
 
最後になりましたが卒業生のご両親、今日は本当におめでとうございます。
さらに保護者の皆様も、お子様が成長されていくのをじかに見守り、さぞお喜びのことと思います。また、この一年間大変お世話になってまいりました。また引き続き補習校を守り立てていただくよう、この場を借りてお願い申し上げます。


2018年12月 「サンタクロースはいるか」
 さて、今日から12月です。早いもので今年もあと一月になってしまいました。みなさん、年の初めに思ったこと、目標の達成状況はどうですか? いいことが一杯ありましたか? うまく行かなかったこともきっとあるでしょう。この一月でまだやれることはがんばってやりましょう。
12月にはクリスマスがやってきます。みなさんもクリスマスはきっと待ち遠しいのではないでしょうか。おそらくクリスマスプレゼントが最も関心の高いものだと思います。このプレゼントは誰が運んでくるかというと、もちろん、サンタクロースですね。
では、このサンタクロースは本当にいるのでしょうか?みなさんはどう思います?

アメリカでサンタクロースに関する最も有名なお話があります。それは今から100年以上前にニューヨークの新聞に書かれたものです。
ニューヨークにある小さな女の子が住んでいました。この子はサンタがいると信じていたのですが、周りの友達がサンタなんていないよ、と言うのを聞いてとっても心配になりました。そこでお父さんに相談したのです。そしたらお父さんは、では新聞社に聞いてみたらどうだい、もし新聞社がサンタがいるといったら、きっといるんだよ、と言いました。そこでこの女の子は新聞社に短い手紙を書きました。女の子の名前はバージニア・オハンロンといいます。バージニアは『私 は8歳です.友達の中に,サンタクロ ースはいない,言うものがいます ………どうぞ本当のことを教えて下さ い。サンタクロースは,いるので しょうか。』と新聞社に聞きました。
そうしたらその何日か後になって、新聞は『サンタクロースは, いるか』という長文の社説を掲げ ました。その中で新聞は『バージニア,あなたの友達は間 違っている』と語りかけました。
この社説はちょっと長いので一応全部覚えたけれど、抜かしてはいけないので、読みますね。

中村妙子という人がきれいな日本語訳をしているので、それを読みます。

バージニア・お答えします。サンタクロースなんていないんだという,あなたの友達は、間違っています。
きっと、その子の心には、今、はやりの何でも疑ってかかる、うたぐりの根性というものが、染み込んでいるのでしょう。
うたぐりやは、目に見えるものしか信じません。

うたぐりやは、心の狭い人たちです。心が狭いために、よくわからないことが、たくさんあるのです。それなのに、自分のわからないことは、みんなウソだと決めているのです。けれども、人間の心というものは、大人の場合でも、子供の場合でも、もともとたいそうちっぽけなものなんですよ。
私たちの住んでいる,この限りなく広い宇宙では、人間の知恵は、1匹の虫のように、そう、それこそ.アリのように、小さいのです。
その広く,また深い世界をおしはかるには、世の中のことすべてを理解し、すべてを知ることのできるような、大きな深い知恵が必要なのです。

そうです.バージニア。サンタクロースがいるというのは、決して嘘ではありません。この世の中に、愛や、人への思いやりや、真心があるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです。
あなたにも、分かっているでしょう。世界に満ち溢れている愛や真心こそ、あなたの毎日の生活を、美しく、楽しくしているものなのだということを。

もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなに暗く、寂しいことでしょう!
あなたのようなかわいらしい子供のいない世界が、考えられないのと同じように、サンタクロースのいない世界なんて、想像もできません。
サンタクロースがいなければ、人生の苦しみを和らげてくれる、子供らしい信頼も、詩も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、私たち人間の味わう喜びは、ただ目に見えるもの、手で触るもの、感じるものだけになってしまうでしょう。
また子供時代に世界に満ち溢れている光も、消えてしまうことでしょう。

サンタクロースがいない、ですって!
サンタクロースが信じられないというのは、妖精が信じられないのと同じです。
試しに、クリスマスイブに、パパに頼んで探偵を雇って、ニューヨークじゅうの煙突を見張ってもらったらどうでしょうか。ひょっとすると、サンタクロースを、捕まえることができるかもしれませんよ。
しかし、たとえ、煙突から降りてくるサンタクロースの姿が見えないとしても、それが何の証拠になるのです。
サンタクロースを見た人はいません。けれども、それは、サンタクロースがいないという証明にはならないのです。
この世界で一番確かなこと、それは、子供の目にも、大人の目にも、見えないものなのですから。
バージニア・あなたは、妖精が芝生で踊っているのを、見たことがありますか。もちろん、ないでしょう。だからといって、妖精なんて、ありもしないでたらめだなんてことにはなりません。
この世の中にある見えないもの、見ることができないものが、何から何まで、人が頭の中で、作り出し、想像したものだなどということは、決してないのです。

赤ちゃんのがらがらを分解して、どうして音が出るのか、中の仕組みを調べてみることはできます。けれども、目に見えない世界をおおい隠している膜は、どんな力の強い人にも、いいえ、世界中の力持ちがよってたかっても、引き裂くことはできません。
ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、その、カーテンをいっとき引きのけて、幕の向こうの、たとえようもなく美しく、輝かしいものを、見せてくれるのです。
そのように美しく、輝かしいもの、それは、人間の作ったでたらめでしょうか。
いいえ、バージニア、それほど確かな,それほど変わらないものは、この世には、ほかにないのですよ。

サンタクロースがいない、ですって。
とんでもない!うれしいことに、サンタクロースは、ちゃんといます。それどころか、いつまでも死なないでしょう。
一千年後までも、百万年後までも、サンタクロースは、子供たちの心を、今と変わらず喜ばせてくれることでしょう。

この社説はフランシス・チャーチという人が書きました。その新聞社はその後毎年掲げ,米国 ではほかの新聞にも雑誌にも引用され るようになり、映画や本やいろんなもので紹介されています。
もう一度とっても重要なところを繰り返します。
目に見えぬ,輝か しい世界への幕を開けられるのは“ 信 じる心,想像力,詩,愛,夢みる気持ちだけです。

原文を紹介します。
VIRGINIA, your little friends are wrong. They have been affected by the skepticism of a skeptical age. They do not believe except they see. They think that nothing can be which is not comprehensible by their little minds. All minds, Virginia, whether they be men’s or children’s, are little. In this great universe of ours man is a mere insect, an ant, in his intellect, as compared with the boundless world about him, as measured by the intelligence capable of grasping the whole of truth and knowledge.
Yes, VIRGINIA, there is a Santa Claus. He exists as certainly as love and generosity and devotion exist, and you know that they abound and give to your life its highest beauty and joy. Alas! how dreary would be the world if there were no Santa Claus. It would be as dreary as if there were no VIRGINIAS. There would be no childlike faith then, no poetry, no romance to make tolerable this existence. We should have no enjoyment, except in sense and sight. The eternal light with which childhood fills the world would be extinguished.
Not believe in Santa Claus! You might as well not believe in fairies! You might get your papa to hire men to watch in all the chimneys on Christmas Eve to catch Santa Claus, but even if they did not see Santa Claus coming down, what would that prove? Nobody sees Santa Claus, but that is no sign that there is no Santa Claus. The most real things in the world are those that neither children nor men can see. Did you ever see fairies dancing on the lawn? Of course not, but that’s no proof that they are not there. Nobody can conceive or imagine all the wonders there are unseen and unseeable in the world.
You may tear apart the baby’s rattle and see what makes the noise inside, but there is a veil covering the unseen world which not the strongest man, nor even the united strength of all the strongest men that ever lived, could tear apart. Only faith, fancy, poetry, love, romance, can push aside that curtain and view and picture the supernal beauty and glory beyond. Is it all real? Ah, VIRGINIA, in all this world there is nothing else real and abiding.
No Santa Claus! Thank God! he lives, and he lives forever. A thousand years from now, Virginia, nay, ten times ten thousand years from now, he will continue to make glad the heart of childhood.


2018年6月 一学期終業式
今日が1学期最後の日になりました。この3ヶ月間みなさん頑張って現地校・補習校の両立をやってきましたね。来週から7週間の長い夏休みになります。その間でれっとした生活にならないように気をつけてください。読書も大変重要ですから、今日はいつもの借り出し制限をなくしますので4冊でも5冊でも図書室から借りていって結構です。

さて、今日はちょっと地球上の人口の話をします。今世界中には約76億の人が住んでいます。11年前にこの会で人口の話しをした時は66億人でした。だからこの11年間で約10億も人口が増加しています。今から2000年前は全部で1億人だったといわれています。それから1200年後には3億になり、1800年には10億人になりました。そして1960年には30億人にまで増えました。そしてその後がすごいのです。たった60年で45億人と2倍半に増えています。いいですか、1900年間で30億人増えたのに比べて60年で45億人も増えています。これはもちろん科学技術の発展、食料の生産量の大幅な増加もありますが、医学・医療の進歩が大きく影響していて、出生率の増加よりも、死ぬ人の数がどんどんと減っているのが大きな原因です。平均寿命が大幅に増えているわけですね。

さて人がどんどん増えてくるとどうなるか。みなさんが大人になったときにはいつか世界の人口が100億を超えているのは間違いないでしょう。人間は生きていくのに空気・水・食料がなければいけません。空気はまだ当分の間は大丈夫でしょうが、森林の減少、排気ガスの問題など、長期的には問題なしとはしません。水はわれわれの住んでいるところでは問題ありませんが、世界中のいろんなところで、飲み水を確保するのが難しいところがいっぱいあります。アフリカで井戸を掘る事業など、大事なことが行われています。しかし何と言っても食料の確保がそれだけ人口が増えると大きな問題になってくるでしょう。魚の量も次第に少なくなっているといわれています。また、新たな農地を確保するために森林が各地で伐採されています。長い目で見ると、これらが地球上の環境の変化に影響を与えていくことになるかも知れません。

こんな話をしているとちょっと心配になってきますが、人間はいつも知恵と工夫でいろんな困難に対応してきています。われわれができることは少しでも社会に寄与することをいつも考えて実行していくことだと思います。100億人もいる中で自分ひとりがやってもやらなくてもほとんど関係ないのでは、という考えが出るかも知れませんが、一人ひとりが大事です。みんなが少しでも前向きになれば合わせて100億の力になるわけです。

それでは今日一日みんなでがんばりましょう。暑いので充分に水分をとるようにしてください。


2018年6月
6月に入りました。1年は12ヶ月ですからもう半分近く経ったことになります。今月の末近くには夏至がやってきます。一年中で昼間の時間が一番長い日です。日本ではそろそろ梅雨がやってきます。梅雨といっても知らない人が多いと思いますが、雨の季節です。雨がしとしとと毎日降って、鬱陶しいのですが、水をいっぱい必要とするお米が育つにはとっても大事な時期でもあるんですね。
ここイリノイではトウモロコシとか大豆の植え付けがほぼ終わって、やはり雨が必要な時期でもあります。今年はなかなか暖かくならなかったのでタネをまくのがいつもよりも遅れているみたいです。

さて、先週はみんなで運動会を楽しみました。紅白ともにがんばって、見ていてもとても気持ちがよかったです。みんなといっしょに力を合わせて努力することはとても大事なことです。

他人とのお付き合いというのは、われわれが社会の中で一緒に暮らしていく上で非常に大切です。
ここで「思いやり」という言葉についてお話ししたいと思います。
思いやりとは他人の身の上や心情に心を配ることです。また、「同情」ということです。
思いやりについて、先生の思ったことをいくつか言いますね。

一つ目   思いやりは優しくされた人だけでなく、優しくした自分も幸せになれるということです。
人に優しくすると、相手もうれしいし、自分もうれしくなりますよね。反対に、意地悪をすると、そのときはおもしろかったり、胸がすっとしたりするかもしれません。でも、あとでとてもいやな気持ちになったり、寂しくなったりしませんか。思いやりには、相手も自分も幸せにする力があるということです。

二つ目 人に思いやりの気持ちを持って接すると、他人が自分に思いやりを持って接しているということが分からなくなってしまって、してもらっていることが当たり前に感じるようになってしまいます。そうすると人に対して感謝の気持ちを持つことができなくなってしまいます。だから思いやりの気持ちを持つことで、自分にしてくれたことに対して感謝することができて、喜びが2倍、3倍に感じることができるのです。

三つ目   いろいろな経験をすることが大事であるということが言えます。
思いやりのある行動をするためには、正しい判断ができることが大事です。そのためには脳みそが育たないとだめで、脳みそを育てるためにはいろいろな経験をすることが大事です。国語や算数だけでなく、体育も音楽も図工も、掃除の時間もみんな、みなさんの脳みそを育てる勉強なのです。学校でたくさんの経験をすることはとても大事なことですね。

四つ目   思いやる行動がとれなかったとしても、親切にしたいと思った自分の心を褒めてあげてください。
たとえば、スーパーだとか駐車場などでお年寄りが思い買い物カートを苦労して押しているのを見て、助けてあげたいと思っても、なかなか勇気が出ずに言い出せなかったという ことなどありませんか。恥ずかしかったり、人にどう思われるだろうなどと考えて親切を行動 に移すことができないのはよくあることです。そんなとき、勇気を出せなかった自分を責める のではなく、行動に移すことができなかったとしても「カートを押す手伝いをしたい。」とか「あの人に親切にした い。」と思ったことがえらいことなのです。そう思った自分を褒めてあげましょう。次にがんば ってみようと思えば良いのです。日本だったらバスや電車に乗っていてお年寄りが乗ってきたら席をゆずるなんてのも、ひとつのしんせつです。また、廊下や床に落ちているごみをちゃんとゴミ箱に入れるというのも、社会に対する親切ですね。

どうですか。自分も幸せになる思いやりのある子どもになるために、学校で勉強することやみんなで遊んだり、後片付けするといったようなことを大事にしていきましょう。そして、みなさんには、困っている人に気付く力や、人に優しくしたいと思う力があるのです。そんな力がある自分をほめてあげることから、始めましょう。


2018年3月 修了式
今日は学年の最後の日で、みなさんに修了証書を配りました。これはそれぞれの学年の課程を全てこなしたという印です。一年間現地校の勉強に加えて毎週土曜日に日本語での勉強ということで大変だったと思いますが、みんなよく頑張って立派な結果を出してくれましたね。日本の学校で使う教科書ですから、日本では週に5日間でカバーする内容を土曜日一日でやろうということですから、その分の負担はとっても大きいわけです。しかも、さっき言ったとおり月曜から金曜までは現地校で勉強しているので、これもきちんとやっていかなければいけません。特に来たばかりの人たちは英語も覚えなければいけないということですから、日本にいる生徒たちの何倍もの努力が必要になっています。そういう中でみなさんはきちんとやることをやって、この一年間でいろんな知識を身につけることができました。この修了証書はその努力の結果を示しているわけです。みなさんも自信をもってください。

さて、今年度は小・中学校ともに卒業生がいません。ですから、私のスピーチもいつもの最後の日のように卒業生に対する期待の言葉はないので、どういうふうにしゃべったらいいか、ちょっと迷いました。でも、一年間の最後の日だし、やはり何かみなさんに考えてほしいことを言うことにしようと思います。

いつも言っていますが、われわれは社会の中で生活をしています。 社会とは人が集まって生活を営む、その集団、あつまりのことを言います。また、辞書では同類の仲間、という定義もしています。
その社会の中にはいろいろなチームとかグループがあります。 家族、学校、会社、クラブ、地域社会、国、そして地球など、それぞれが人間の集まりとして存在しるわけです。

人間は本来はとっても自分勝手です。 その本能にまかせておくと社会はばらばらになってしまいますね。多くの人が住んでいる共同社会をうまくやっていかせるためには他人に対する「いたわりの気持ち」「愛情」「信頼」などの気持ちを持つことが大事です。

これらは自分から取り込んでいかないといけません。 みなさんの体の中でもいろいろなものが、それぞれの目的を持って動いているので生きていくことができます。 心臓などの内臓器官、血液、骨、つめ、髪の毛、これは僕の場合ちょっと少ないけど、いずれにしてもそれぞれが大事な役目をしていることは分かりますね。 このように人間が生きていくためには、その構成しているものがきちんと働かないといけないわけです。 たとえば血液は心臓がなければなんの役にもたちません。心臓も血がないと動き続けることができません。ばらばらな動きをしていたら人は生きていくことができないことになります。

さっき言った通り人間は本来自分勝手です。 みんなが本能にのみ従って行動をしたら社会はめちゃくちゃになってしまいます。じゃ、どうしたらいいでしょう。
ここで大事なことは他人、他の人の痛みを感じること、たとえばだれかが転んで怪我をしたときに、あぁいたいだろうな、と感じること、また他人にいたわりの気持ちを持つこと、愛情を持つこと、要するに他の人のこと身になって物事を考えるということがとっても大事なことになります。黄金率という言葉があります。これは多くの宗教や道徳だとか哲学で言われる「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容を言います。古くは中国の孔子が「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」と言ったことは逆のことを言っていますが、自分がいやだと思うようなことを他の人にしてはいけません、という意味です。その他、キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥ教、イスラム教などの教えでも同じようなことが言われています。

なぜみんなが繰り返し同じようなことを言うかというと、これらは自分から取り入れないと自分のものにならないからです。だからこういった努力をするようにしてください。そうすれば社会の一員としてすばらしい結果をもたらすことができるようになります。

マザーレテサという人がいました。長くインドのカルカッタで貧しい人たちの中に入って苦しんでいる人たち、世の中から見捨てられたような人たちを助ける努力を続けたカトリックの修道者です。この人はいろいろな名言を残しています。その中で私の好きな言葉の一つを紹介します。

「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなくし善を行い続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。」

これらは簡単なことではありません。でも、常に他の人に愛を持って接するという気持ちを忘れないでほしいと思います。
 もう一つ、マザーテレサの言葉を言います。「にっこり笑うだけでどんなに大きな善いことができるか、私たちには決してわからないでしょう。」
にっこり笑うというのも大変大事なことです。
それでは今学年はこれで全て終了です。もう春もそこまで来ています。新学年にまたみなさんとお会いするのを楽しみにしています。


2018年2月
2月は日本の暦ではキサラズといいます。古い暦では春になりかける時期にあたります。2月4日は立春といって季節が変わります。古い暦は今のカレンダーとは1ヶ月ちょっと違うので、とても立春という感じはしません。その立春の前の日が節分となります。みなさん節分に何をするか知ってますよね。そう、豆まきです。季節の変わり目には体をこわしやすいことから、邪気といって人に害を与えようとするものを追い払う行事が豆まきのはじめです。昔から鬼は人間を食べる悪者といわれていて、ちょうど邪気にぴったりということで、鬼は外、ということになったのでしょう。
中国地方に古くから伝えられている話しがあります。

むかしは、二月三日の節分の日は今の様な豆まきの日ではなくて、幸せを祈りに神社やお寺へお参りに行く日だったそうです。
ところが、そのお参りに行く人たちを、鬼たちが襲って食べるようになったのです。
それを知った神さまが、鬼の親分を呼び出して言いました。
「お前たちは、わしの所へ幸せを祈りにやってくる人間を食べているそうだな」
「はい、その通りです。しかし、むかしから鬼は人間を食うもの。他の食べ物では、体に力が入りません」
すると神さまは、鬼に豆粒を差し出して言いました。
「それでは、お前たちに豆をやるから、この豆を育てて実らせてみろ。見事に豆が実ったなら、今まで通り人間を食べてもよい。その代わり、もし豆が実ならなかったら、人間を食べるのは止めるのだ。どうだ、約束するか?」
鬼の親分は、笑いながら約束しました。
「豆を実らすなど簡単な事。約束しよう」
そして神さまから豆をもらった鬼の親分は、子分の鬼たちと畑を耕すと、豆をまいてたっぷりと水をやりました。
ところが、いつまでたっても芽が出てきません。
「おかしい。こんなはずでは・・・」
鬼の親分は、神さまのところへ行って尋ねました。
「あの、神さま。もらった豆が変なんです。もしかして、豆が腐っていたのでは?」
「何を言う、わしも同じ豆を畑にまいたが、ちゃんと育っているぞ。見てみるが良い」
鬼の親分が神さまについて行くと、そこには青々とした豆畑が一面に広がっていました。
それを見て、鬼の親分は首を傾げました。
「おかしいな。なぜ、おれたちの豆は芽を出さんのだろう?」
「それでは、もう一度やってみるか?」
鬼の親分は神さまからもう一度豆をもらうと、喜んで帰っていきました。

実は、神さまが鬼に与えた豆は、火にかけて炒った豆なのです。
これでは、どんなに頑張っても芽が出るはずがありません。

しばらくすると、また鬼の親分が神さまのところへやって来ました。
「神さま、豆がどうしても芽を出さないのです」
「それは、お前たちが人間を食べたりするからだ。何なら、もう一度豆をやろうか?」
神さまが言うと、鬼の親分は首を振って言いました。
「いや、もう豆を見るのも嫌じゃ。約束通り、人間は食わない。・・・だけど、道で転ぶほど弱った人間くらいは食わせてくれ。ただし、疲れて転んだ人間は食わんから」
鬼の言葉に、神さまは少し考えてから頷きました。
「よし、いいだろう」
そして鬼の親分が帰ると、神さまは人間たちにこう言いました。
「人間たちよ。もし道で転んだ時は、早口で『疲れた、休もう』と言うのだ。そうすれば、鬼が襲ってくることはない。それから、鬼は炒った豆が大嫌いじゃ。鬼が現れる節分の日は、炒った豆を鬼に投げつけてやるといい」

それから人間は、道で転ぶと、
「疲れた、休もう」
と、言うので、鬼は手を出す事が出来なくなりました。
そして、節分に炒った豆を鬼に投げつけるのも、この時からだそうです。

この話しはもちろん本当の話しではありません。いずれにしてもまだまだ寒い日が続くので、体には充分気をつけて、邪気がこないように、元気に過ごしてください。


2017年12月 二学期終業式・クリスマスプレゼント
今日で二学期も終わり、2週間のお休みになります。クリスマス・正月と続きますが、楽しみですね。クリスマスがなんの日か多分みんな知っていると思いますが、2000年ほど前にイエスキリストという人が生まれたのを記念する日ですね。12月25日に生まれたかどうかは分かりませんが、おそらく今頃の季節に生まれたのでしょう。いずれにしてもキリストという人が生まれたのは間違いありません。みなさんはクリスマスというと思い浮かべるのはプレゼントですよね。今日はプレゼントの話しをします。いまから150年ほど前に書かれた小説なのでお金の価値がぜんぜん違うので、その辺は頭に入れておいてください。この小説の名前は賢者の贈り物といいます。賢者は賢い者と書きます。英語ではマジャイといいますが、日本語ではほかに博士とも言っています。キリストが生まれてすぐに東の国からいろんな高価なものを持ってきてキリスト一家にプレゼントを差し上げたのです。これが一番最初のクリスマスプレゼントです。このプレゼントがキリスト一家にとってあとで大変役にたつことになります。


昔ジムとデラという若い夫婦がいました。ジムは働いていましたが、給料が安くて二人で暮らしていくのがやっとという生活を送っていました。
デラはいろんな買い物をするのに安いものを捜したり、値段を下げてくださいと、恥ずかしい思いをしながら自分の貯金をためようと一生懸命努力したのですが、貯金箱には全部で一ドル八十七セントしかありません。
明日はクリスマスというのに、これでは夫のジムに贈り物をすることができない、と、とっても悲しく涙ぐんでしまいました。ここ何ヶ月もジムに贈物を買うのに、何が一番いいだろう、立派な、珍しい、値打ちのあるもの…せめて、いささかでもジムの持物として相応しいようなものと、あれこれ考えながら、楽しい時を過ごしてきたのでした。
さて、この夫妻には、二人が大変自慢にしている品が二つありました。一つはジムの金時計で、おじいさんからおとうさんへ、おとうさんからジムへと譲られてきたものです。もう一つはテラの髪の毛で、その長さは膝の下まである、とてもきれいな髪の毛でした。
デラは急いでドアの外へとび出すと、階段を駈けおりて、通りへ出ていきました。そして、「かつら」という看板のある店に入っていきました。
「あたしの髪の毛を買っていただけますか?」とデラは言いました。
店の人はデラの髪の毛をさわりながら、「二十ドル」と言いました。
それからデラはバラ色の翼に乗って、店から店へとジムに贈るプレゼントをさがして歩きました。
そして見つけたのは上品なデザインのプラチナの時計の鎖で、それを見た途端に、デラは、それこそジムのものでなくてはならないと思いました。その鎖は二十一ドルだったので、髪の毛を売ったお金と貯金から一ドルを出して、買うことができました。デラは八十七セントをもって、わが家へ急いで帰りました。
七時にコーヒーが沸かされ、フライパンはストーヴの上で熱くなり、いつでもポーク・チョップができるように支度が整いました。
やがてドアが開いて、ジムが中へ入ってドアを閉めました。一歩部屋の中に足を踏みいれたジムは、ぴたりと動かなくなりました。眼はデラの上に釘付けになりました。ジムは、ただ奇妙な表情を浮かべたまま、穴のあくほどデラを見詰めていたのでした。
デラは髪の毛を切ってしまったことにジムが怒っているのかと思い、急いでその訳をジムに言いました。クリスマスプレゼントを買うために売ったこと、そして髪の毛なんかすぐまた伸びるわ、といいました。
「髪を切ったんだって?」ジムはやっと、こう聞き返しました。
「切って、売っちゃったの」とデラは言いました。
ジムはオーバのポケットから包を一つ、取り出して、テーブルの上へ投げ出しました。そして、その包みを開いてみたら、なぜ変な顔をしたのかが分かるよ、と言いました。
デラは手早く紐や紙を引きちぎり、包みを開けました。そこにあるのは櫛でした。ブロードウェイの店のウインドウに飾ってあって、憧れてきたものでした。そしてそれを胸に抱きしめ、涙を浮かべた目を上げて、「ありがとう、わたしの髪はすぐに伸びるわよ」ということができました。
ジムはまだ彼に贈られた美しいプレゼントを見ていませんでした。デラは、時計の鎖を見せて、ジムに町中捜し歩いて見つけたことをいいました。
ジムはベッドへひっくり返り、頭の後へ手をやって、ほほえみました。
「デラ」とジムは言いました。「僕達のクリスマス・プレゼントを片づけて、しばらく、そっと仕舞っておこうよ。今すぐ使うには、あまり勿体なすぎる。きみの櫛を買うために、金が要るんで、あの時計を売ってしまったんだよ。さあ、ポークチョップを出してくれないか」
二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。 


この話しを聞いてどう思いますか。なんとなく悲しいような、でも心が暖まる感じがしませんか。
贈り物で一番だいじなものは「思いやり」の気持ちです。みなさんも誕生日のプレゼントを贈ったりもらったりしていると思いますが、その品物にも増して贈り物をくれた人の思いやりがあるかどうかが大事なことだと思います。
さて、明日は雪が降るといわれているのでホワイトクリスマスになりそうですね。
みなさんも体に気を付けて風邪などひかないように元気にお正月を迎えてください。



2017年12月 コミュニケーション
先週は感謝祭でお休みでした。感謝祭はアメリカの休日ですが、これは1864年にリンカーン大統領が決めたものです。当時まだ南北戦争の最中で国が真っ二つに分かれて壮絶な戦いを続けていました。この4年間にわたる戦争は親子・兄弟を敵味方にしてしまい、60万人以上の死者を出したという大変な戦争でした。そうした中で国を一つにまとめなければいけないという気持ちから収穫時期を終えたこの11月の最後の金曜日に人間と自然を支配する神にお礼をするという意味で休日にしようというものでした。今ではクリスマスと同様、家族・友達が集まって食事をしたり、会話を楽しむなど、アメリカ人にとって重要なお休みになります。


さて、みんなが久しぶりに集まるといろいろな話しがなされます。その間にコミュニケーションが発生するわけです。
コミュニケーションを日本語に訳すと、やはりコミュニケーションですね。一言で言い表す言葉が日本語ではないと思います。意味は人間同士が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと、意思疎通を図るということです。
コミュニケーションというのはとても大事なことです。人間は社会のなかで生活をしています。一人では生きて行けません。従ってお互いに話し合い、意見を交換しながら生活が成り立っていくことになります。皆さんも家族、学校の友達、近所の友達、遠くの親戚などとコミュニケーションを行っているわけです。


ところで、今はインターネットの時代ですね。一瞬にして世界中で起こっていることがニュースとしてコンピューターに、スマートフォンなどに入ってきます。
いまやスマートフォンが大全盛で、これを持っていない大人はほとんどいなくなってきているのではないでしょうか。皆さんの中でもこれを持っている人はいますか?
アメリカ人の大人の90%以上が携帯電話を持っていて、そのうちの70%以上はスマートフォンを利用しています。ソーシャルメデア、フェイスブックだとかツィッターだとかは80%のアメリカ人がフォローしています。フェイスブックのアカウントの数が2.6billion、26億あるそうです。世界の人口は74億人だからその数はものすごいものです。もちろん、アカウントの多くは個人ではなく、会社・グループなども持っていますし、個人でいくつもアカウントを持っている人もいるでしょう。
10年前にはiPhoneはありませんでした。今町を歩くと半分くらいの人たちがこうやって携帯に目を向けています。アメリカ人の平均では一日に46回スマートフォンを見るそうです。これをスマートフォンのーザーの数に掛けると年間に860億回になります。また他の調べではレストランに入ったお客の71%はスマートフォンをチェックしています。
このスマートフォンは便利な時もあります。ほかの人と話したくないなと思ったとこきはこうやって見ていれば誰も邪魔しません。
みなさんはスマートフォンは持っていなくても、ゲームを持っている人も多いでしょう。そうすると学校から帰ってきてすぐに自分の部屋にこもってゲームをする、なんてこともよくあるのではないでしょうか。
さて、コミュニケーションはこれでよくなっているでしょうか?


もちろん、e-mailだとか、テキストは便利なコミュニの手段です。わざわざ出かけなくても、電話の場合は相手が話し中だとか、いないときには連絡がつきませんが、こういう時にはとて便利な道具であることは間違いありません
また、いやなことを言わなければならないときなどは、とってもいいですね。
私が思うには、本当のコミュニケーションはやはり面と向かっての話じゃないと、お互いの言いたいことを言い尽くせないのではないでしょうか。ソーシャルメデア、ゲームもいいですが、できるだけ家族・友達との会話の機会を増やすことを考えていただきたいと思います。

2017年10月 月見
10月は日本のこよみでは神無月といいます。ひとつの説ではこの月に日本中の神様が出雲というところに集まるのでそこ以外では神様がいなくなるから神の無い月と書いて神無月というそうです。


いよいよ秋も深まってきます。秋分のころ、ちょうど今頃が太陽と地球と月の角度からして一年中でも月が一番きれいに見えるタイミングなんだそうです。古くから、中国でも、中秋の名月といい、このころの月を鑑賞する習慣があります。中国では旧暦の8月15日を中秋節といってお正月と同じようにお祝いします。この習慣が日本にも伝わり、古くからお月見の行事が行われています。月見にはおだんごがつきものですね。旧暦の8月15日は今年は10月3日でした。
月は地球とは切っても切れない関係にあります。さてその月ですが、満月の時によく見ると黒い影のような部分があります。この形がなんとなくうさぎが餅つきをしているようだと、言われます。
日本の童謡にこういうのがあります。「うさぎ、うさぎ、なに見てはねる、十五夜お月さん見てはねる」 昔から月とうさぎと関係した話しが世界のあちこちにあるようです。


インドで古くから伝わっているお話しをしましょう。
昔、さるときつねとウサギが仲良く暮らしていました。
ある日老人が道を歩いてきました。このおじいさんは何日も何も食べずにいたのでおなかがすいて、つかれてしまい、倒れてしまいました。
そこで三匹は老人を助けようと考え、サルは得意の木登りで木の実や果物を集め、キツネは素早い駆け足で川に行って魚を獲り、老人の所へ運んできました。
ところがウサギだけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができませんでした。何とか老人を助けたいと考えたウサギは、サルとキツネに火を焚いてもらうと、「わたしは何も持ってくることができません。せめて私の肉を召し上がってください。」と言い残し、火の中へ飛び込みました。
倒れていた老人は、実は帝釈天という神様の一人だったのです。ウサギの捨て身の慈悲行に感心した帝釈天は、ウサギを月へと昇らせ、永遠にその姿をとどめさせました。


さて、まだまだ気温もあたたかくて外でいろんな活動ができます。元気に遊びまわりましょう。また、勉強の秋とも言うので、勉強も忘れずにがんばってください。

2017年9月 二百十日
9月になりました。日本の暦では長月といいます。これは多分夜がだんだん長くなってくるころからでしょう。長かった夏も終わりに近づき次第に秋が近づいてきています。
日本に二百十日という言葉があります。これは立春から数えて210日目の意味で、ちょうど9月1日がその日になります。なぜこんな言葉があるかというと、このころはよく嵐がやってきてダメージを起こすことが多いからです。台風は8月の中旬過ぎには進路を日本に向けてやってくることが多くなり、ちょうど稲が穂をつけているタイミングなのでこのころに嵐がくるとお米の生産量に大きな影響を与えます。
また90年ほど前に東京を中心とした大きな地震があり、東京中が焼け野原になるという大災害があったのも9月1日です。そこで日本では9月1日を防災の日としてみんなで災害に備えることが大事だということを再認識することになっています。われわれは再来週「火災避難訓練」を行います。いつも訓練の時に言ってますが、何か事故・災害が起こったときにあわてないこと、大人の指示に従って落ち着いて行動をとることが大事です。


さて、先ほど秋が近づいていると言いましたが、秋にはいろいろな形容詞がつきます。読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋などなどですが、最初に言った読書についてちょっと話しましょう。
昔二宮金次郎という人がいました。江戸時代の終わりの方にいた人で、この人の銅像がよくあちこちの小学校の庭においてありました。僕の行っていた小学校にもありました。どういう銅像かというと、背中に薪をしょって、本を読みながら歩いている姿をしています。この人は子供のころにお父さんとお母さんが死んでしまい、おじいさんの元で暮らしていたのですが、貧乏でとても努力をして、その上にとっても勉強好きでいつも本を読んでいたそうです。そして大きくなってから世の中のためにいろいろとためになることをすることができたわけです。一緒に暮らしていたおじいさんがとてもけちで夜家の中の明かりをつけるに使う油がもったいないから夜は読書はだめ、と言われてしまったそうです。そこで金次郎は考えて油を作るもとになる「アブラナ」という植物を自分で育てて、自分で油を作り、そして夜も明かりをつけることができたという話もあります。
さて銅像ですが、日本でも自動車が増えてきたころに本を読みながら歩くと事故を起こすもとになるからよくないという理由でどんどん取り払われてしまったそうです。でも、今じゃ大人も子供もみんな携帯に目を釘付けになって歩いていますよね。
それはともかく、読書は自分の知識を広げる大変有効な手段です。みなさんもどんどん本を読んで、いろんな知識を身につけてください。



2016年11月 渡り鳥
11月は日本の暦では霜月といいます。寒くなってきて霜が降りる季節になってくるのでそんな名前になっているのでしょう。
いつもこのころになると渡り鳥をよく見かけるようになります。 この辺でもカナダ雁がたくさん飛んでいますので、みなさんも見たことがあるとおもいます。 渡り鳥は寒いところがきらいでまた暑いのもきらいなんでしょう、何千キロもの長い距離を飛んで自分達の生活のしやすい場所を求めて動きます。 中には北極から南極まで2万キロ近くも移動する鳥もいますがこれは極端なケースとしても、われわれがこの辺でよく見るカナダ雁(カリ)も何千キロも移動します。 この鳥たちが飛ぶときの形はどうなってますか? 先ずは必ず群れで移動しますよね。 決して一羽・二羽とか少数では行動しないで多くの仲間で一緒に飛びます。 一緒に飛んでいることを編隊飛行といいます。 この編隊の形はVの字を逆にしたみたいな形になっています。 先頭の鳥を真ん中にしてその後ろにきれいに一列にならんで形を作っています。 丁度湖の上を進む船の後ろにできる波の形みたいともいえます。 この波は実は手でこぐボートでもうまく乗ると力をそんなに使わなくてもとっても簡単に前に進むことができます。 これは船の推進力の後押しを受けていることになるのですが、鳥たちの編隊飛行でも同じようなことがいえます。 先頭の一羽の生み出す波に乗ることであとに続く鳥たちはなんと30%のエネルギーでみんな一緒に飛ぶことができるそうです。 こうして何千キロもの距離をエンジンもなしに自分の力だけで移動することができるのですね。
さらに先頭の鳥は風をまともに受け止め、さらに後に続く鳥たちの後押しをしているわけですから、最初から最後まで一羽がこの役を務めることはできません。 そこで彼らはこの先頭の役目を次々と後方の仲間と交代しながら旅を続けるわけです。 このように雁はどの雁でもリーダーの役目を持っていて、常に仲間とお互いに支えながらチームワークを築いています。


さて、君たちに言いたいのは、雁だけでなく人間もだれでもリーダーになる資質を備えています。 自分にはそんなことできない、なんて簡単にあきらめないでみんなの先頭にたって自分をためしてみることも大事だと思います。 同時にチームワークがなんといっても大事ですね。
来週の学習発表会もクラスでまとまって立派な発表がされるものと楽しみにしています。
学習発表会の次の日には夏時間から冬時間に切り替わります。朝1時間だけゆっくりとすることができますが、夕方には早く暗くなってしまいますね。
いずれにしても、季節の変わり目には風邪などひきやすい状態になりますので、みんな自分で健康管理をして寒さに負けずに頑張っていきましょう。

2016年10月 どんぐりと山猫
今週になって急に肌寒くなってきました。1週間前に秋分の日を迎えて、これから次第に昼間の時間が短くなっていきます。いよいよ秋ですね。
秋のことをいろいろな表現であらわします。食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、行楽の秋、実りの秋、芸術の秋、天高く馬肥ゆる秋。
秋は柿・栗・お米など、収穫期を迎える食物が多く、これらをおいしく食べることができるのも食欲の秋といわれる理由でしょう。でもあまり食べ過ぎると太ってしまうので気をつけましょう。


ものすごい昔、僕がまだ小さかったころに田舎に住んでいる親戚のうちによく遊びに行きました。秋になると柿の木に真っ赤に熟した柿の実がなり、これをとるのが楽しみでした。そんな時にそのうちのおばあさんから柿の木の上の方にある実のいくつかを必ず残すように言われました。おばあさんはこれは「神様への贈り物」なんだよ、と説明していました。子供だった僕は「へエー」と深く考えもせずにいたのですが、後になってその時のことを思い出してみると、それは鳥たちにも柿の実を残しなさい、ということだったんだな、と思います。この地上に生まれてきたもの全てが自然の営みの中で一緒に生きていく、ということへの教えだったのでしょう。


また、日本の雑木林に行くとよく見るのがドングリです。大きな木の上から硬いドングリの実が一杯落ちてくるのもこのころです。ドングリころころドングリこ、という歌がありますが、みんな知っているでしょうか。これは動物にとって秋の重要な食料になります。また、ねずみ、リスなどは秋から冬にかけて食べるためにためておく動物もいます。こうしてためて置かれた実で食べ残されたものはそこで芽を出して大きな木に成長することにもつながります。自然のつながりは面白いですね。


ところで、宮沢賢治という作家がいるのは知っていますよね。彼の作品に「どんぐりと山猫」という童話があります。簡単に紹介しましょう。
あるところに一郎という少年が住んでいました。そしてある土曜日に彼は葉書を受け取りました。その葉書にはとてもきたない字で一郎にぜひ来て欲しいという招待状でした。差出人は山猫です。山猫は明日やっかいな裁判があるので来て欲しいと言ってます。一郎はとてもうれしくなり、夜もなかなか寝付けませんでした。翌朝起きると早速家族には何も言わずに山に出かけていきました。山猫の裁判だどこであるのか分かりませんが、山猫というくらいだから山に行けばいいのだろうと思ったのでしょう。そして途中いろんな動物に会ったりした後、山猫に会いました。山猫はとても気取った格好をしていました。さあ、何がはじまるのかと思ったら急にあたりが騒がしくなってきました。見るとドングリがたくさんやってきてみんなそれぞれに何か言ってます。山猫は一郎に実はドングリがだれが一番エライのかを決めて欲しいということで裁判になっているんだと説明しました。 あるドングリは自分が一番背が高いから一番えらいんだ、と言い、他のドングリは自分が一番大きいから自分だ、と言い、また他のドングリは自分が一番丸いから自分に決まっている、などとテンで勝手なことを言ってます。そして一郎の意見を聞きたいというのが山猫のお願いでした。そこで一郎は言いました。「いちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」と言い渡したらどうでしょうと告げました。「お説教できいたんです」といいます。なるほどと思った山ねこが、そう言い渡すと、どんぐりたちは、自分がそうだと名乗り出るものはなく、しーんとして固まってしまいました。


この話しはくだらない言い争いがどんなばかばかしいものか、また、山猫みたいにえらそうな顔をしていてもどう解決したらいいか分からない無能な管理者がいるんだ、というような人間世界にもあるようなことがらを面白おかしく表現しているように思えます。
これ以上はぜひみなさん本を読んでください。図書室には宮沢賢治の本がたくさんあります。読んでみて、作者が何を言おうとしているのかを考えてみて欲しいと思います。食欲の秋から読書の秋へいつの間にか話しが変わっていました。

2016年9月 二百十日
9月は日本の暦では長月といいます。おそらく夜が次第に長くなってくるところからきているのでしょう。でもまだまだ気候もよくて屋外でのスポーツ・遊びも充分楽しめる季節です。スポーツでは夏休み中にブラジルのリオでオリンピックがありました。みなさんもテレビで見ましたか? 世界のトップレベルの選手たちが普段の努力の成果を見せてくれました。僕もずいぶんテレビを見ました。選手たちの姿も素晴らしいですが、選手たちのお父さん・お母さんも何度かスクリーンに映されました。水泳のマイケルフェルプスのお母さん、それから女子体操のアリーフライスマンの両親、自分の子供の動きを全て知っているから、両親の動きを見ていれば選手が何をしているか分かるくらいだったですね。これはお父さん・お母さんたちが子供たちのことをよく見ていて、全て知っているからです。なにもオリンピック選手たちじゃなくて、皆さんのお父さん・お母さんも皆さんのことを全て分かっていていつも見守ってくれています。


さて話しは変わりますが、日本に二百十日という言葉があります。立春から数えて210日目で9月1日がその日になります。このころはよく台風が日本を襲い、大きな被害を出すことがあります。農作物がどんどん育っていよいよ刈り入れが近づいてきたこのころに嵐が大きな被害をもたらすので、このころは気をつけないといけないということです。日本では9月1日は防災の日といいます。今から100年近く前に東京を中心として大きな地震がありました。関東大震災といいますが、ちょうど昼ごろで昼ごはんを作っている家庭が多かったこともあり、火事があっという間に広がって東京中が焼け野原になってしまいました。このことから災害が起こったときの準備が必要ということで防災の日を決めたということです。われわれも火災・竜巻・侵入者への対応を忘れないように避難訓練をしますね。もうすぐ火災避難訓練をしますが、これらはとても大事なので真剣に取り組んでください。


ところで、パーフェクトストームという言葉があります。 これはハリケーンが大西洋の赤道付近で発生したあと次第に北上して行くとともに弱まりハリケーンとしての力がなくなり熱帯性低気圧になったものが、たまたま北大西洋の気象条件の悪いものと一緒になったときに起こりうる現象で何十メートルもの大きな波を作ることがあるそうで、こういう状態を言うそうです。 これはめったに起こりませんが、起こるときは突然おそってくるそうです。 ニュージャージーの沖合いでたまたまこのような嵐に巻き込まれたヨットがありました。 このヨットには父親をメリーという7才の女の子が乗っていたのですが、大きな波のためにヨットは転覆し二人は海に放り出されました。 岸から何マイルもの遠くの場所で父親は二人で泳ぎきるのは不可能と判断し、メリーを残して助けを求めにいくことにしました。 この時父親はメリーに必ず戻ってくるからあきらめずに待ちなさい、そして仰向きに浮かんでいれば何時までも浮いていることができるということを言ってから、父親は岸のほうに向かって泳ぎだしました。 それから2時間ほど泳いだとき、奇跡的に救助にでてきたボートに助けられました。 父親を乗せたボートはそれからメリーを探しに行き、これまた奇跡的に荒海の中でメリーを見つけて助けることができました。 こうして助けられるまでメリーはなんと6時間も海のなかにいたそうです。 あとでメリーはみんなから一人で荒海にいるあいだ何を考えていたかを聞かれたのですが、このときに彼女は「お父さんは私に上向きに泳いでいれば絶対にしずまないと教えてくれました。 そして必ず帰ってくるからあきらめずに待ちなさいと言いました。 「お父さんは今まで約束したことは必ず守ってくれたから、全然心配はしてませんでした。」と言ったそうです。さっきも言ったように親は子供たちのことをいつも見守っています。それを信じることで、家族の間での信頼関係が深まります。



2016年5月 高峰譲吉
もう新学年が始まって1ヶ月経ちました。早いですね。
季節もすっかり春を迎えて木々も緑になり、いろいろな花が咲き出しました。気持ちのいい時期です。
春になると一斉に世の中が生き返ってきたような感じを受けます。日本で春の花というとなんといっても桜ですね。桜はもともとはヒマラヤのほうが原産地だそうですが、中国を通って日本に伝わり今では桜というと日本の花というほど日本ではとてもきれいに咲きます。日本は木や花が育つにはとてもいい条件を持っています。気温は比較的温暖で、周りを海に囲まれているので湿度も高く植物が好むのでしょう。それと昔の人たちの木々に対する扱い方も良かったのでしょう。われわれはきれいな花々を見ることができます。


さて、アメリカでもきれいな桜を見ることができるところがあります。首都のワシントンには真ん中を流れるポトマック川のほとりにきれいな桜並木があり、毎年春になるときれいな花を咲かせて桜祭りなども行われます。この桜は実は日本がプレゼントしたのですよ。今から100年ちょっと前に東京市が2千本の木を持ってきてこれが毎年ワシントンの春を飾っています。でもこの木を実際に持ってくるのにお金をだしたのは東京市ではなくて個人がやったことなのです。当時のアメリカの大統領夫人が日本で桜を見てこんなきれいなものをアメリカでも見れないかしら、と言ったのを聞いた東京の知事がそれではプレゼントしましょうと約束しました。でもそのあと実際にやろうとしたら大変なお金がかかることがわかり、これはとてもムリだ、断るしかないか、という状態になりました。これを聞いたある人がこれは絶対に実現しなければいけない、と、自分のお金を出してすべての手配をしました。この人の名前は高峰譲吉といいます。高峰譲吉はタカジアスターゼとアドレナリンの発見者として有名な化学者です。この発見と仕事の成功で大変なお金持ちになったので、この大変な事業を行うことができました。


なぜこの人の話をしているかというと、実はこの人はペオリア
に住んでいたことがあるのです。この人が生まれたのは今から150年ちょっと前、ちょうど日本がアメリカの軍艦によってそれまで外国と一切の付き合いをやめていた鎖国から大きな変化を遂げた時期にあたります。従って高峰さんは明治維新をいう日本の大変化の真っ只中に育ちました。お父さんが医者で、お母さんはお酒を造るうちに生まれました。最初は日本の政府に働いていてアメリカに来るチャンスがあり、この時にアメリカ人の女性と知り合い結婚し、そのあと一人でアメリカにやってきました。その時シカゴに来たそうです。この人は化学が好きでいろんな研究をしていたのですが、日本のお酒造りの作り方をアメリカのウイスキー作りに利用したらより安く、いいものができるに違いないと思ってこれを実現するために当時のウイスキー作りの本場であるイリノイに来たそうです。そしてペオリアで工場を作りました。ところがこの工場も研究所もある晩火災で丸焼けになってしまいました。おそらくこの安く造る方法が成功するとそれまでウイスキーを作っていた人たちが自分たちの仕事が無くなってしまう、ということからの放火だったのでしょう。今から100年以上も前のことではっきりとは分かっていません。何れにしても高峰さんにとってペオリアはあまりいい思い出のある場所ではなくなってしまいました。そのあとシカゴに戻り、そしてニューヨークに移り、さっき言った発見をすることになります。高峰さんのタカジアスターゼは有名ですが、それ以外はあまり知られていません。100年以上も前に一人でアメリカにやって来たこと自体とても大変なことだと思います。大変な苦労をして、ある時は邪魔をされて嫌なこともあったのですが、そんなことにへこたれず目的を成し遂げた努力は立派ですね。


さて、これから先は実際に確かめられないのですが、高峰さんが桜をペオリアにも持ってきたという噂があります。もし誰かこれを調べることができたら是非教えてください。



2015年3月 木の根
3月になってやっと春らしい気候がやってきましたね。これまで厳しい冬のあいだ雪に閉ざされ、
氷につつまれて死んだように見えていた木々も決して死んでいたわけではなくて、じっと春の来るのを待っていました。
木には根っこがあります。 根を通して水分をとり、栄養分をとり、そしてどんな強い風が吹いても嵐がきてもたおれないようにするためにしっかりと地面にからだを支える重要な役目を果たしているわけです。


根が木にとってとても大事なものです。 人間にとっての根はなんでしょう? 人間を支えるベースにはいくつかあります。 先ず家庭・家族があります。
そして知識も大事なベースだといえます。 知識には自然に蓄えられていくものと、自ら意識して得ていくものがあります。
学校での勉強や読書によって知識を増やしていくのは意識して行う必要がありますね。 いろいろな機会を通じて知識を増やす努力をしてもらいたいと思います。


また物事をいろいろな面から見ること、考えることも大事です。 ポストイットという小さなメモ用紙を知ってますね? メモを書いてこれをいろんなところに貼り付けることができる便利なものです。
これは弱いノリがついてます。 実は今から40年ほど前にとっても強い接着力のあるノリを作ろうとして研究していた人がこのノリを発明しました。
結果として研究の目的だった強いノリとは全く逆の弱いノリができたということは研究は失敗だったわけです。
だからこの発明はしばらくほっておかれていたのですが、ある人が本のブックマークにする紙にこのノリを使ってみたらどうかと考えたのがきっかけで、今は誰でも知っている非常に便利なものができたのです。
ちょっとした工夫からこうした結果がでてきたということを覚えておいてください。


いつも目標を持って努力を続けることの大事さを言ってますが、自分の思ったことに自信を持っていくことがとっても大事です。
アメリカの第16代の大統領にアブラハム・リンカーンという人がいたのはみなさんもご存知だと思います。 ここイリノイ州から出た大統領です。
この方がスピーチの機会でよく「あなたは自分が成功するのだという信念を持つということがなんにも増して重要なことだ」と言ったそうです。 みなさんも自分で信念を持って努力を続けてもらいたいと思います。



2015年2月 漢字
2月になりました。2月の日本語の名前はきさらぎといいます。女偏に口を書いてじょ、という字があります。これに月を加えて無理やり如月を読ませています。普通にはこうは読めないのですが、この漢字は中国で2月を表す言葉なんだそうで、これを日本語の2月の別名きさらぎと読ませるようになったようです。


みなさんも毎週新しい漢字がでてきてこれらを覚えなければならないので大変だとは思いますが、みんなの頭はとても吸収力が強くて、どんどん吸収していくことができるので、心配はいりません。ただ、ちょっと努力は必要ですね。先ほど漢字大会の表彰を行いましたが、みなさんよく勉強してきていい成績を残すことができています。立派だと思います。


漢字はわれわれ日本人にとっては大事なものですね。 漢字はもちろん中国でできて何千年もの間引きついて使われてきています。 日本はこれを輸入して長い間つかって今日にいたっています。 日本人はあるものを利用するのがとてもうまく、この漢字にひらかな・かたかなを交えて文章をあらわすという方法を考え出し、これが今に伝わってきています。 漢字はそれぞれの文字が意味を持ってますので文章の意味を理解しやすいです。


学校にある漢和辞典を持ってきました。この辞典は全部で1万1千の漢字をカバーしているそうです。 漢和辞典には文字とともにその字を使った熟語が書いてありますが、熟語の数は4万くらいあるそうです。 すごい数ですね。 中には僕も知らない漢字がたくさんあります。 さて、小学校6年間で学ぶ漢字の数は教育漢字といわれて全部で1006あります。 補習校は年間41日で6年間だからみなさんは平均すると毎週4つか5つくらいの新しい漢字を覚えないといけない勘定になります。 でもこの1006だでで終わりではありません。 日本では日常の使用に必要な漢字を常用漢字として決めています。 この数は2000弱ですから教育漢字の倍になります。 これらを覚えれば新聞を読むなど通常の生活には差し支えない対応ができることになります。 あと社会に出て仕事をはじめるようになったらまた他に使われている漢字もありますし、名前などには常用漢字以外のものも多数使われているので実際には4千とか5千くらいの漢字を覚えることになります。 勉強はまだまだ続きますね。
漢和辞典については小学生用からはじまり、学生用、そしてここに持ってきた中辞典といわれるかなり大きな範囲をカバーしているものなどいろいろあります。 その中で最大のものは大きな漢和、大漢和という名前のものです。 これには実に5万以上の漢字が入っていて、これらを使った熟語の数は53万にものぼるそうです。 この大漢和は諸橋 轍次博士(もろはし てつじ はかせ)という方が作りました。


僕は勿論直接は会ったこともありませんが、この方の息子さんが昔僕の働いていた会社のえらい人だったので博士のことについて何度か話を聞いたことがあり、非常に強い印象を持ったのでいまだによく覚えていてみなさんにも話しをしたいなと思ったのです。
諸橋博士がこの大漢和をまとめるのに約20年もかかったそうです。そしてやっと辞典を発行できる準備ができたのですが、これが実は第2次世界大戦の最中のことでした。 日本がだんだんおされてきて、連合軍は日本の各地に爆撃を開始し、ある日印刷会社が空襲で爆弾を受けて建物すべてが焼けてしまいました。 そしてできあがっていた辞典の印刷用の準備が全てなくなってしまったそうです。 このとき博士は60才でした。 20年間の努力の結晶がほとんど無になってしまいました。 普通の人ならここでもうやめた、ということになるのかも知れませんが、ここで諸橋博士の偉かったのはこれであきらめなかったのです。 それまでの無理がたたって片目は失明しもう一つの目も一時はほとんど見えなくなるような条件にもかかわらず、辞典の作成にあらたに挑戦したのです。 そしてそれからなんとまた15年かけて大漢和を作り上げたのです。 結局プロジェクトをはじめてから実に35年もの時間をかけて完成させたのです。 すばらしい気力と努力ですね。


諸橋博士の好きな言葉は中国の古い論語の中にある「行不由径」音読みでは「こううふけい」と言いますが、訓読みでは「行くに径《こみち》に由《よ》らず」と読みます。径(こみち)は小道ですが、ここでは近道のことをいいます。 近道せずに大道を一歩一歩着実に歩むという意味です。 まさに博士ご自身で歩まれた道ですね。 合理化を進めるには近道をさがすのが大事ですが、必要なことをカットしてはなにもなりません。
このように地道に努力することの大事さを覚えておいてください。



2014年12月 ホリデーシーズン
おはようございます。 今日は特別ゲストがいるので紹介します。北海道の旭川市から交換留学生として来ている菅原渚さんです。ブルーミントン・ノーマルと旭川市は姉妹都市になっていて、毎年それぞれの町から高校生が一年間留学して違った文化を経験するという制度がもう何十年も続いています。若いときにこういった経験をするのはとても素晴らしいことです。


みなさんの中にも日本からアメリカに来て新しいことを体験している人がいっぱいいます。また、この補習校でアメリカの生活とちょっと違ったことを学んでもいるわけですから、必ず将来何かの役に立つことがあります。
さて、学校は2週間お休みになりますので、その間クリスマス・お正月を楽しんでください。再来週はクリスマスなのでそろそろサンタクロースもプレゼントの準備が終わる頃かも知れません。クリスマスプレゼントについては去年、賢者の贈り物という話しをしました。この賢者というのはクリスマスの話しにでてくるイエスキリストが生まれた時に東の方からやって来た3人の人たちのことで日本語では学者だとか、賢者・賢い人、と訳しています。この人たちがキリストとその両親にいろいろな贈り物をします。これはその後キリストの一家がキリスト
殺そうとした人から逃れる時などに役立ったと言われています。賢者の贈り物の話しでは若い夫婦がお互いに贈り物をする話しですが、贈り物の一番大事なことはそのプレゼントに心がこもっているかどうかということです。どんなに高価で素晴らしいものでも気持ちのこもっていないプレゼントには価値がありません。逆にみかけはたいしたことがなくても、値段が安いものでも贈る人の心がこもっているものは大変に価値があります。プレゼントをもらった時に、なんだこんなものと思う時があるかも知れませんが、その贈り物をしてくれた人がどんな気持ちでこれを自分にくれたのだろうか、と考えてみると、その思いやりにとても感謝する気持ちがでてくるものです。


ところで、休みの前にはいつもいいますが、休みで学校がないからといって、だらだらとした生活をしないである程度規則正しい生活をおくるようにしましょう。1日にちょっとでもいいから毎日読書をしたり、3学期はじめの漢字テストに備えて勉強も忘れずにやっておいてください。
3学期は1月3日からはじまります。日本だったら3日はまだ休みなんですが、アメリカでは2日から仕事もはじまるので、その土地の習慣に従うしかないですね。それでは寒さに負けずに頑張って過ごしてください。



2014年12月 有終の美
先週は感謝祭の週末でこの学校もお休みでした。 みなさんも各家庭でゆっくりと休みを楽しんだことと思います。
さてもう12月になりました。 12月にもいくつかの記念日・休日があります。 明日7日は日米の歴史の中でも忘れられない日です。 1941年の12月7日、これは日本では12月8日ですが、に日本がアメリカの太平洋艦隊を真珠湾で攻撃して太平洋戦争がはじまった日です。
日本がアメリカと付き合いをはじめて150年以上経ちますますが、この中で一度戦争をしました。 このきっかけとなったのがこの真珠湾攻撃でした。 それから4年間第二次世界大戦に突入したのです。とても暗い時代でした。 今でも12月7日になるとアメリカの新聞の一面に必ずこの話しが出ます。 それだけ大きな意味を持つもので、日本にとって決していい思い出ではありませんが、将来2度と繰り返してはいけないという意味で、覚えておく必要があるでしょう。


そのほかには日本では天皇陛下の誕生日23日が休日です。 アメリカでは25日はクリスマスです。 これは休日ではありませんがキリスト教徒の多いアメリカではほとんどの仕事がお休みになります。 もちろん学校は休みだし、クリスマスにはプレゼントがもらえるかも知れないし、お正月にはお年玉がもらえるかも知れないという、みなさんにとっても楽しみな時期ですね。


さて「有終の美」をいう言葉があります。 これはある目標をもってそれに向かって努力を絶やさずその結果見事に成し遂げることでしたね。 とちゅうだらだらとやっていて最後だけしっかりできても有終の美を飾ったとはいえないのです。 みなさんも今年のはじめに考えたことができたでしょうか。既に目標達成した人もいるかも知れません。 そうじゃない人はあと3週間ほど残っているので、がんばってください。またそれとは別に2学期のはじめになにか新しいこと、今までと違ったことに挑戦してみてください、というお願いもしました。 結果がどうだったかは今みんなに聞きませんが、それぞれ自分自身で考えて見てください。


デンマークの童話作家のアンデルセンという人がいます。たくさんの童話を作っていて、この図書館にもいくつもの本がおいてあります。読んだ人もいることと思いますが、マッチ売りの少女、裸の大様、人魚姫、親指姫などが代表的な話です。さて、このアンデルセンが言った言葉に、「人はどんな高いところへでも登ることができる。しかしそれには決意と自信がなければならぬ。」という言葉があります。 単に目標を持っただけではなくそれに対して成し遂げようという決意が必要で、さらに自信を持ってことにあたることが大事だということだと思います。


また、目標についてですがこれは正しい目標を持つことが大事です。 人は正しい目標を持たないと偽りの目標にはけ口を求めるという傾向があります。 悪魔の誘いのように魅力があっても間違った目標に向かってはいけません。 しっかりとした正しい目標設定が大変大事なことでもあります。


さて、いよいよ本格的な冬に入りました。 これからしばらく寒い日が続きますが、みなさんも寒さに負けずがんばってこの冬を乗り切るようにしましょう。



2014年9月 縁の下の力持ち
日本語に「二百十日」という言葉があります。これは立春の日から数えて 210日目のことで、今年は9月1日がその日です。なぜこの日が特別かというと、昔からこの頃には天気が荒れることが多いということで漁師は船を出すのをやめたり、農家では厄日として、この頃をきらっていたんだそうです。8月から9月に来る台風は稲の穂が出始める、とっても大事なところを強風で悪い影響を与えることになるからでしょう。さっき中学生が台風の話しをしてくれましたが、8月ごろからの台風はよく日本に来るようになります。ところで、たまたま日本では9月1日は防災の日です。今から90年前近くに東京を含んだ関東地方を襲った関東大震災という大地震があり、10万人以上の死者・行方不明者が出て、東京のほとんどの部分が焼け野原になりました。この大震災にちなんで9月1日を防災の日としています。われわれは来週火災非難訓練をします。防災については普段からよく考えておく必要があります。
話しは変わりますが、「縁の下の力持ち 」ということばがあります。縁の下って知らない人もいるのではないかな。
昔の日本の家には縁側というのがありました。今のデザインではもう使われないので知らない人も多いでしょうね。これは家の庭に向かったサイドで50・60センチくらいの突き出た板張りの廊下のようなもので、この写真を見てもらうと分かりやすいと思います。これは通路になったり、庭への出入りに靴や下駄などを履いたり脱いだりするときなどに使われます。また、日向ぼっこなどにもよく使われたものでした。今の都会の家ではもう見れないと思います。
さて話を元に戻して、縁の下のことですが、縁側の下ということです。縁の下の力持ちという場合は縁側だけに限らず家の床の下も意味します。要するに縁側だとか、床の下など普段目に見えないところで一生懸命に支えていることを縁の下の力持ちというのです。家だとか建物がしっかりと立っているためにはその土台がしっかりとしていなければなりません。下での支えがあるからこそ、建物は地震がきても嵐が襲ってもびくともしないで立っていることができます。これは建物のことを例にして我々に何が大事かということを教えてくれている言葉です。みなさんは映画を見たことがありますか?映画のストーリーが終わると、画面では人の名前が次から次へと映し出されます。お客さんの99%はもうその画面が出てくると見もしないで席を立って映画館から出ていきます。残りの1%のお客さんはだれか知っている名前が出てこないかと見るかもしれません。この最後の場面の人の名前は映画を作るのに参加した人たちの名前です。一つの映画を作るのに映画監督、助監督、カメラマン、俳優などの人たちはもちろん、それ以外にたくさんの人たちが制作に関連した仕事をしています。こういう人たちがいないと映画ができないのですね。われわれは映画の主人公だとか有名な監督は知っていますが、そのほかの人たちのことは全然知りません。映画に限らず、例えばスポーツの話を例にとると、野球はベンチに入っている20・30人の選手たちが実際の試合をするのですが、ベンチに入ることができない選手もたくさんいます。選手たちのユニフォームをきれいに洗濯したり、準備する人もいます。選手のマッサージを専門にする人たちもいます。いろんな町へ出かけるのに飛行機だとかバス、ホテルなどの手配をする人もいます。こういう目につかないところで働いている人たちがいるからこそ選手たちもきちんおとプレーができて、野球を見ているお客さんも楽しくゲームを観戦することができるわけです。 目立たないから適当に仕事をやろうとか、ちょっとずるをして手を抜いたことをしてしまうと、土台が崩れて、または柱が倒れて、家が傾いてしまいます。この世の中にはたくさんの人たちがいます。目立つということはかっこいいし、自分のやっていることをほかの人から認めてもらいたい、人からよく見られたいと思う気持ちも分かりますが、ひっそりと静かにほかの人の役に立つことをするということの大事さの方が大切なような気がします。
「一番先になりたい者はすべての人の後になって、すべての人に使える者になりなさい。」というのはキリストの言葉です。
インドで貧しい人たちのために一生をささげたマザーテレサという人はいろんな素晴らしい言葉を残しています。「世のため人のためにあなたの最善を尽くしても、逆にひどい仕打ちを受けることもあるでしょう。でもとにかく世のため人のためにあなたの最善を尽くしなさい。」
60億人の人間の大多数はこの目につかない仕事をすることになります。われわれも自分の役割が実はとっても大事なことなんだということをよく自覚しておいていただきたいと思います。



2014年8月 トウモロコシ
新学期がはじまって2ヶ月経ち、新しい友達もできて、毎週学校に来るのが楽しみになってきたのではないでしょうか。
われわれの住んでいる所について少し話しましょう。僕たちはアメリカのイリノイ州に住んでいます。イリノイ州は日本とほぼ同じような緯度にあります。太陽からの距離がだいたい同じだということです。でも気候は必ずしも同じではありませんね。日本は海に囲まれていますが、イリノイは大陸の真ん中にあります。天候に与える海の影響はとても大きいですから、この違いはいろんなところに現れます。
さて、イリノイという名前ですが、これはヨーロッパ人たちが来る前から住んでいた先住民族、いわゆるインディアンのある部族の名前から来ています。コロンブスが来た後北米の真ん中あたりはフランスの植民地になりました。だからイリノイのあたりもフランス領だったわけです。その影響もあって今のIllinoisという綴りになったようです。この辺は高い山がありません。今から1万年以上前にはこのあたりは完全に氷河におおわれていたのですが、地球が次第に暖かくなり、氷河期が終わった時に氷河が地表を削り取ってしまったために、中西部一般に平らな地形になっています。
みなさんもよく知っているように、町から一歩外に出ると、一面の畑です。トウモロコシと大豆を栽培しています。イリノイはトウモロコシも大豆もアメリカで2番目に収穫量の多い州です。となりのアイオワ州と併せるととても大きな生産量になります。みなさんもトウモロコシを食べることがあると思いますが、実は人間が食べる量はたいしたことがないのです。かなりの部分が動物の飼料・えさになります。それから多いのはアルコールの生産です。
トウモロコシがメインの生産物ですが、大豆も作ります。これは何年か一度に大豆を育てるのが大変に大事な意味のあることなんです。この学校では理科の授業をやれませんが、日本の小学校だと理科の授業で植物のことを勉強します。その時に根粒菌というおもしろい名前の細菌のことを習います。根粒菌というのは目に見えないような小さな細菌の一種ですが、これがマメ科の植物の根っこにくっついて生活をするのです。これを根粒菌がマメ科の植物に共生する、といいます。共に生きると書いて共生です。根粒菌は植物から栄養をもらいます。その代わりに根粒菌は窒素という植物にとって絶対に必要なものをつくってあげるのです。われわれの吸っている空気の78%は窒素ですが、この状態の窒素は植物・動物は利用できません。窒素だけを取り出すことができないのです。ちなみに窒素100%の状態になったら人間は一瞬で死んでしまいます。窒息するわけです。ところがこの細菌は窒素を取り出すことができるのです。自然界ではカミナリが落ちるときの強烈な電気が窒素だけを取り出すということをしますが、それ以外には根粒菌とその他一部の細菌の働きにたよるしかありません。
と、言うわけで大豆を栽培すると土の中に窒素がたまります。これがトウモロコシの重要な栄養源になるわけです。だからいつもトウモロコシだけだとつまらないから、またはちょっと気分を変えてみよう、ということで大豆を作っているわけではないのですね。今日は理科の勉強にもなりました。
さて、あと4回の授業で夏休みになります。休み中もいろんなことを学ぶ機会がいっぱいありますから、目や耳を大きく開いて、いろんなものを吸収するように心がけてください。


2014年6月 一学期終業式
新学年がはじまって3ヶ月があっという間に過ぎました。新1年生もすっかり慣れてお友達もたくさんできました。5月には運動会をしましたね。みんなで力いっぱい走ったり、大きな声を出したり、それぞれ紅白に分かれて自分たちのチームのためにいっしょうけんめい頑張りました。いい思い出になります。
さて来週からしばらく夏休みになります。いつも夏休み前にみなさんに何かをお願いしています。今日も一言いいたいことがあります。
「継続は力なり」という言葉があります。継続とは続けるという意味です。何事も続けるということがとても大事なことだ、ということです。
「不思議の国のアリス」というお話しがあります。図書室にもおいてあるので、読んだ人もいると思います。これは白うさぎを追いかけて行ったアリスが穴に落ちてしまい、そこから始まる不思議な旅のお話しです。アリスはこの不思議な旅でいろんなもの、動物に会います。その中である時道に迷ったアリスはネコに会います。にゃにゃねこという名前の不気味なネコでアリスはちょっと気味わるいな、と思いました。そのネコがアリスに聞きました。「アリス、君はどこに行こうとしているんだい?」、これに対してアリスは「どこでもいいの。どこかに着きさえすれば」 と答えました。そしたらネコは「なんだ、それなら大丈夫。君はきっとどこかに着くことができるよ。でもね、君がずっと歩き続きれば、の話だけどね。」と言いました。その通り、歩け続けないと決して目的地に着くことができません。途中であきらめて立ち止まってしまったら、そこで終わってしまいます。でも、そこで思い直して歩き始めて最後まで行こうと努力すれば必ずいい結果がでるということです。例えばみなさんがうちで一日に10分間読書をするとか、漢字の勉強をするとか自分で何かを決めたとします。別に10分でなくて、20分でも30分でも1時間でもいいのですよ。でも仮に10分としたら、これは10日間で100分、1ヶ月で300分、そして1年間では3650分になります。ちょっとしたことの積み重ねがたまってくると大きな結果になっていきます。でも、途中でやめてしまったら、それまでの努力も無になってしまいます。夏休みになって学校がなくなると、これまでの毎日と一日のリズムが全く変わってしまいますが、ダラ〜と過ごすのではなくて、自分で日課を作り、それに基づいてできるだけ規則正しい生活をすることと、毎日何実になることを必ず実行するということを努力して欲しいと思います。そのうち努力しようと思わなくてもそれが当然のことのように繰り返すことができるようになるでしょう。
そして2学期が始まったら、こんなことをずっとやってきました、とそれぞれの担任の先生にお話ししてくれたら嬉しいな、と思います。



2014年5月 渡り鳥
今日は5月3日で日本では文化の日という休日です。1947年の5月3日に今の憲法が実施されたことから日本の祝日になっています。今日本はゴールデンウイークの真っ最中ですね。このところだいぶ暖かくなってきて、木々の緑も濃くなってきました。鳥や動物たちも活動が活発になってきました。
鳥の中には季節ごとに住む場所を変えるものがいます。渡り鳥といいますが、この辺でもカナダ雁だとか、ハチドリなどがあたたかくなるとやってきます。もっともカナディアンギースは最近は動くのが面倒なのか、このあたりで冬を越す連中がふえているみたいですが。
いずれにしてもこの渡り鳥は寒いところがきらいでまた暑いのもきらいなんでしょう、何千キロもの長い距離を飛んで自分達の生活のしやすい場所を求めて動きます。 中には北極圏から南極圏まで移動する鳥もいます。きっと暗いところがきらいなんでしょうね。これらの鳥は一年間で32,000キロも飛ぶそうです。地球一周が4万キロですから、その8割も、自力だけで飛ぶのですね。 これは極端なケースですが、われわれがこの辺でよく見るカナダ雁(カリ)も何千キロも移動します。 この鳥たちが飛ぶときの形はV字編隊を組んでいます。 必ず群れで移動します。 決して一羽・二羽とか少数では行動せずに多くの仲間で一緒に飛びます。 一緒に飛んでいることを編隊飛行といいます。 この編隊の形はVの字を逆にしたみたいな形になっています。 先頭の鳥を真ん中にしてその後ろにきれいに一列にならんで形を作っています。 なぜこのような編隊を組むかというと、羽根を動かすときに空気が波のように動きます。 先頭の一羽の生み出す波に乗ることであとに続く鳥たちはなんと30%のエネルギーでみんな一緒に飛ぶことができるそうです。 水の上を進むボートを見ると、後ろに扇状に波ができます。この波の上に乗ると体をぐっと持ち上げてくれます。これは船の推進力の後押しを受けていることになるのですが、鳥たちの編隊飛行でも同じようなことがいえます。こうして何千キロもの距離をエンジンもなしに自分の力だけで移動することができるのですね。
さらに先頭の鳥は風をまともに受け止め、さらに後に続く鳥たちの後押しをしているわけですから、すごく疲れます。とても最初から最後まで一羽がこの役を務めることはできません。 そこで彼らはこの先頭の役目を次々と後方の仲間と交代しながら旅を続けるわけです。 まさにチームワークのお手本みたいなものと言えます。
24日には運動会があります。紅白に分かれてお互いに競うわけですが、自分のチームのためにいっしょうけんめいにがんばりましょう。


2014年3月 平成25年度卒業式
みなさんは特別のことをやってきました。もちろん補習校に毎週通ってきていることを言ってます。
毎週月曜から金曜まで現地校で英語で勉強していて多分宿題もたくさんあってそれだけでも大変なのに、毎週土曜日に補習校に通って日本語で勉強してきました。
今のアメリカの人口は3億1千万人でそのうちみなさんと同じ年齢が6・7%ですからざっと2千万人の小中学生がいることになります。そのうちみなさんと同じように補習校に通っている小中学生は1万人ちょっとですからみなさんは2千人に一人の特別な存在ということです。
みなさんはたまたま今アメリカに住んでいますけれど、これはみなさんの意思ではありません。親が勝手に決めたことです。そのおかげでアメリカで英語と日本語、両方で勉強しなければならなくなった訳だからいい迷惑、と言えるかも知れません。
日本から来たばかりの時は現地校に行っても先生も周りも何をしゃべっているのか分からないという経験を持っていると思います。逆にアメリカで生まれ育った人たちはなんで日本語を勉強しなければいけないのか、という疑問を持った時もあると思います。
なぜ補習校に来ているかというと、勿論両親が決めたからです。
みなさんは日本人ですから日本の言葉・習慣などをしっかりと身に付けて欲しいというご両親の考えもあってこの学校に入学してきています。
1999人がスポーツを楽しんだり、ゆっくりと休みを楽しんでいる時に、一年間で41回この補習校で過ごしてきました。ただ学校に来るだけではなくて、しっかりと勉強して、いろいろなことを身に付けた訳です。
この大変なことをみなさんは立派にやり遂げてまた一年間が終わります。 みなさんはこのやり遂げたことを誇りに思ってください。
さっきみなさんに修了証書を渡しました。これは一年の課程をきちんと成し遂げたということの記しです。次の段階に進む準備が完了したということですから自信を持っていただきたいと思います。
さて、今日は3人が中学の課程を終了して卒業していきます。おめでとうございます。卒業式は英語ではCommenncementと言いますね。Commennceとは始めるという意味です。新しい一歩が始まるということで、まさにこの機会を表しています。みなさんの一生の中で大きなステップを踏むことになります。そこでみなさんに伝えたいことがあります。それはこれからの人生を大事にしてほしいということです。人生の中で大切なことは幾つかあります。
先ず「家族」を挙げることができます。両親・兄弟その他家族は最も身近な存在で一生を通じて相談相手ともなり、いい時も悪い時も一番自分のことを理解してくれて、辛い時も心の大きな支えになります。家族を大事にしましょう。
「健康」もとても大事なことです。健康は人生そのものです。自分でかなりの部分をコントロールすることができます。自分の体を自分の最も好きなものに対するように気を配ってもらいたいと思います。
「周りの人たちとの関係」は非常に重要なことです。よい友人を得ること、結婚相手を見つけること、そしてこういう人たちと有意義な時間を過ごすことが自分の価値を高めることにつながります。また周りの人たちに深い愛情を持って接することに努めましょう。周り回って世界中が愛情で繋がるようになるかも知れません。
そして、「人生の目的、価値、夢」を持つこともとても大事です。 自分がどんな人間になりたいか、何をしたいかを考えることで自分自身をよりよく理解することができます。どんなに努力をしても、どんなに勇気をもってしてもそこに目的、方向性がないと全く意味がありません。海に出て小さな船に乗っていた時に嵐が襲ってきたと考えてください。どちらへ行ったら岸に帰れるのか分からなくなった時に灯台の灯りが見えると自分の向かう方向が分かります。人生の目的も灯台の灯りと同じです。北極星が大昔から正確な測定の元になっていたと同じように、しっかりとした価値観を持つことが人生の中で正しい決断を下すことになります。
これらの他にも、自分で大事だと思うことはいろいろとあるかも知れません。
神様が大事だという人もいます。音楽が大事という見方もあるでしょう。
自分で大事なことを一度考えてください。そしてあまり大事ではないことに時間を潰さないようにしましょう。人生は長いようで短いものです。限られた時間を有意義に過ごすように努めていただきたいと思います。


2013年12月
いよいよ今年もあとわずかとなりました。先週の感謝祭からクリスマス・正月にかけて、ホリデーシーズンにはいっています。今日はクリスマスに関連する話しを一つします。紙芝居みたいに絵を準備したので一緒に見ていきましょう。
昔ある町に大きな教会がありました。 その教会には天にそびえる高い塔があって、立派な鐘(かね)がつるされています。その鐘には『クリスマス・イブの夜にだけ鳴る』という、不思議な言い伝えがありました。それも神様がよし捧げ物をもらって、喜んだ時だけ鳴るということです。この町の人たちはまだ一度も、この鐘が鳴る音を聞いたことがありませんでした。クリスマスが近づくと、町の人たちは塔を見上げて話し合います。
「今年こそは、あの鐘の鳴る音が聞けるかなあ?」
「わしは八十年も生きているが、まだ一度も聞いたことがない。なんでも、わしのじいさんが子どもの頃に聞いたそうだが、それは素晴らしい音色だったそうだ」
「どうすれば、あの鐘はなるのだろう?」
「神さまに贈り物をすれば、鳴るという話だよ」
さて、この町のはずれの小さな村に、ペドロとアントニオという男の子の兄弟が住んでいました。この二人はとても仲がよくて、働き者でした。 ある日、ペドロは弟に言いました。
「クリスマス・イブの教会って、とってもにぎやかなんだってさ」
すると弟は、目を輝かせてせがみました。
「わあ、ぼく、行ってみたいなあ」
「よし、連れて行ってあげるよ」
ペドロは、弟と約束しました。そして、待ちに待ったクリスマスの前の夜。ペドロと弟はしっかりと手をつなぐと、町へ向かいました。
町の入り口まで行った時、二人は女の人が倒れているのを見つけました。
「どうしたのかな? この人、動かないよ。お兄ちゃん、どうしよう?」
「このままほうっておいたら、こごえ死んでしまう。困ったなあ?」
あたりには、誰もいません。ペドロはポケットから銀貨を取り出すと、弟に差し出しました。
「この銀貨は、神さまへの贈り物だよ。ぼくはこの人を助けるから、一人で行っておいで」
「えっ、ぼく、一人で行くの? お兄ちゃんだって、あんなに行きたがっていたじゃないか」
「いいんだ。さあ、行っておいで」
弟は仕方なく、一人で町の中へ入っていきました。教会の中は、たくさんの人でにぎわっていました。どの人も神さまへの立派な贈り物を、得意そうに持っています。キラキラと、まぶしく光る宝石。山のような、金貨。 立派な、銀食器。 誰もが素晴らしい贈り物をして、鐘を鳴らそうと考えていました。
けれど、鐘は鳴りません。
「今年こそ、鐘を鳴らしてみせるぞ!」
最後に王さまも、命の次に大切にしている金の冠(かんむり)をささげました。
(さすがに、これで鐘が鳴るだろう)
  みんなはジッと、耳をかたむけました。 でも高い塔の上は、シーンと静まり返ったままです。
「ああ、なんと、王さまの金の冠でもだめなのか」
「きっとあの鐘は、永久(えいきゅう)に鳴らない鐘なんだ」
「そうだ。そうに違いない」
人々があきらめて帰りかけた、その時です。
♪カローン、コローン、カローン、コローン・・・・・・。
突然、塔から美しい鐘の音が響いてきたではありませんか。
「あっ! 鳴った。とうとう鳴ったぞ!」
「なんて、美しい音色なんだ」
「それにしても、鐘を鳴らすほどの贈り物をしたのは、いったい誰だろう?」
王さまをはじめ、人々はいっせいに振り返りました。
するとそこにはアントニオが、はずかしそうに立っていました。
「ぼく、お兄ちゃんから預かった銀貨を一枚、神さまにささげただけだよ」
アントニオは、そう言ったあと、お兄ちゃんの助けてあげたあの女の人は、きっと大丈夫だろうなと、思いました。
素晴らしい贈り物というのは、高価(こうか)だからよいのではありません。
大した物ではなくても、贈る人の心がこもっていればよいのです。
この話から幾つか学ぶことができます。
まず、倒れていた女の人を見捨てないで、介抱しようとしました。困っている人がいたときに自分を犠牲にしても助けようという姿勢・気持ちがとっても大切です。次に贈り物はその物の値段で価値が決まるわけではない、ということです。いかに心のこもったものが大事かということを教えられます。この場合は神様がよろこんだのですが、われわれの中でも同じことです。贈り物のたとえですが、他人に対する態度すべてが見せかけではなく、心のこもったものであれば贈ったほうも贈られたほうもとても気持ちがいいものです。また、この話しのお金持ちや王様のように自分のしていることを人に見せびらかすのではなく、アントニオのようにそっと人の知らないところで行うとういうこともなかなかできないけれど、大事なことです。
さて、冬らしくとても寒くなってきました。寒さに負けずに元気に過ごしましょう。


2013年11月
皆さんは現地校に通っている時にスクールバスに乗っていますね?アメリカでは公立の学校であればほとんどの場合スクールバスでの通学が基本です。バスに乗っている間、みんな静かにちゃんと座ってますか?いずれにしても通学途中は自分の好きなこと何をしてもかまいません。音楽を聴く人もいれば、本を読む人もいるでしょう。友達と話しをするのが好きな人もいます。バスの運転手さんはどうでしょう。その仕事は生徒達をある場所からある場所へ安全にきちんと送り届けるのが任務です。逆にそれ以上のことはしてはいけないことになっています。仮に後ろの座席でけんかが起こっても中に入って止めることができないと聞いてます。
さて、学校についたらどうでしょう。クラスでは先生が授業をして生徒は勉強することになります。先生は生徒が学校に着いてから学校を離れるまでの間、生徒の行動全てに責任があります。第一にクラスで授業をして生徒みんなにいろいろなことを教えます。さらに学校の勉強以外のこと、特別活動といいますが、例えば運動会、学芸会、遠足などの指導も重要な仕事です。また、生活指導として生徒達の意識や生活態度・行動などを指導したり、助言する活動もしています。さまざまな学校内のルールをみんなが守っているかチェックしたり、授業を聞く正しい態度、仲間同士の正しい付き合い方などは将来みんなが社会生活を行っていくのにとても重要な基本的な事柄なんですね。これまでの説明で先生の仕事はバスの運転手とは大分違うことが分かります。
先生のことをずっと話しましたが、それでは生徒はどうしたらいいのでしょう。
学校はやはりスクールバスとは違います。自分の好きなことだけをやっていればいいというものではなくて、一定のルールの中で行動をとる必要があります。また、今度は自分から進んで、積極的に物事に対応していく態度も必要になってきます。
学校では、勉強、ルールだなどとうるさいことばかり言われて、もううんざりだ、という風に思う人がいるかも知れません。勿論、中には勉強大好き、という人もたくさんいます。
大事なことは人の言っていることをそのままにしないで、分からないこと、おかしいなと思ったことはすぐに質問するように心がけることだと思います。アメリカの発明王と呼ばれたトーマス・エジソンという人がいました。この人は子供の頃人に質問攻めをするので有名でした。あまりに質問をしすぎるので学校から追い出されてしまったということですから、ちょっと度が過ぎたのかも知れませんが、みなさんの場合はこれまで質問が多すぎて困るというようなことはどの先生からも聞いてませんので、どしどし質問をしてください。
また、新しいこと、苦手なことなどに自ら挑戦して行ってほしいと思います。前に何回か言ってますが、右手と左手の指を自分の自然な組み合わせ方と逆にすると最初は違和感があるけど、何回か繰り返していると次第に違和感が少なくなっていきます。これと同じように自分にとっていつも好きな方法だけをするのではなく、たまには違うことをトライしてみると、いつの間にかそれが自分に合ってくることがあります。失敗を恐れずに挑戦してみましょう。エジソンほど有名ではありませんが、やはりアメリカの発明家にチャールズ・ケタリングという人がいます。自動車に関連したものを幾つも発明した人ですが、この人の言葉に「999回失敗しても、1回うまくいけばいい。それが発明家だ。失敗は、うまくいくための練習だと考えている。」というのがあります。「失敗する事を恥ずべきではなく、その原因を明らかにする為にあらゆる失敗を分析すべきである事を良く教える必要がある。失敗するという事はこの世で重要な教育科目の一つなのだ。」とも言っていますが、同じ失敗を繰り返すのは問題ですが、新しいことをして失敗することはちっとも恥ずかしいことではありません。
さて、来週は学習発表会ですね。みなさんのこれまでの学習の成果の発表を楽しみにしています。


2013年10月
ついこの間秋分の日を越しました。これからは昼間の時間がどんどん短くなっていきます。だいぶ涼しくなってきましたね。10月は日本のこよみでは神無月といいます。神が無い月と書きますので、一般的には日本中の神様が出雲という神様の本部みたいなところに集まってしまうのでどこにも神様がいなくなる月だ、なんていわれています。
季節は秋です。日本の秋を紹介しましょう。日本では夏の暑さがやわらいで凌ぎ易くなり、日中は暑いけれど朝晩にはだ寒さを感じたり、吹く風に爽やかさを感じたりします。夏のセミは次第に鳴りをひそめて赤とんぼの群れや虫の声が耳にとまるようになります。学校では新学期がはじまって、運動会や文化祭が行われます。稲が黄金色に色づいて栗、梨、ブドウなどが店頭を飾るようになり、また台風がしばしば日本を襲い、秋雨が長く続くこともありますが、晴れた日には空が高く澄み渡り「天高く馬肥ゆる秋」ともいわれます。豊作を祝う秋祭りなどもこのころに地方では行われます。夜が長くなるので月や星を愛でたり読書や夜なべにいそしむ人も多くでてきます。また、気温が下がるので木々が紅葉してきます。
秋の歌はいっぱいあります。もみじ、旅愁、村祭り、赤とんぼ、里の秋、小さい秋みつけた。なんかが代表的なところですが、知っている人はいますか?
もみじ
秋の夕陽に照る山紅葉
濃いも薄いも数あるなかに
松をいろどるカエデやツタは
山のふもとの裾模様
さて、来週の学校が終わってから中学生は修学旅行にでかけます。キャンプ場に2泊して楽しい、思い出に残る旅行になると思います。ただ楽しいだけではなくて、学校生活の勉強の場でもあり、この機会にいろんなことを学んでもらうつもりです。学校では集団生活の基本も身につけてもらうようにしています。他人に迷惑をかけない、友達を大事にする、時間を守る、人の話をよく聞く、など、今後の人生で必要になってくる事柄です。
今から200・300年前の日本は江戸時代といって侍の時代でした。江戸は今の東京のことですが、当時すでに100万人もの人が住んでいました。世界でも最も大きな町でした。でもみなさん知っているように日本は狭いので人口密度は当時からとても高かったので、住んでいる人たちのマナーも発達していました。
例えば、見ず知らずの人でも道ですれ違う時には目を合わせてさりげなく挨拶をしたり、町民が道を歩くときは道の左側の3割を使って歩き、あとの7割は火事の火消しや、病人を運ぶために空けておいたそうです。また、雨の日には狭い路地をすれ違う時にはお互いに傘を傾けたり、渡し舟などの公共の乗り物に乗る時は少しでも多くの人が座れるようにこぶしの分だけ腰を浮かせて空き席を作ったりしました。このように相手を気遣うちょっとしたことなどが大事です。自分がしてもらって嬉しいことを行い、人にされたら嫌なことは他人にしない、という気持ちを常に持ってもらいたいとおもいます。



2013年3月 平成24年度卒業式
今日が平成24年度の最後の日です。 この日が私にとっても一年中で一番うれしい日です。一年間それぞれの学年で勉強を続けてきてみな一段と実力がつき次の学年、または上級の学校に進む準備が出来上がりました。 みんなよく頑張りました。 おめでとうございます。

さて、小中それぞれの卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。小学生から中学生、中学生から高校生へと、ここで大きなステップを踏むことになります。 いつも言っていますが若いみなさんの頭の中の脳みそはスポンジのようにいくらでも知識を吸収できる能力があります。 そして、今が基礎知識をどんどん取り入れていくとっても大事な期間にあたります。現地校でもこの補習校でも、また自分の時間でも新しいことを貪欲に取り込む意識が必要ですので、これからもそういった努力を続けてください。 卒業生のご両親のみなさん、おめでとうございます。 スクールバスのない学校ですから送り迎えをしなければなりません。 藤原さんはそれこそ片道2時間以上もかけてこの3年間通われたわけで、今日でおしまいになります。喜びもひとしおのことと思います。もっとも来週から土曜日に何をしたら良いか新たな悩みがでてくるかも知れません。冗談はさておき、これまで皆さまいろいろご苦労があったと思いますが、お子さまが立派に育っていくのを目のあたりにしてお喜びのことと存じます。
 
21世紀に入って14年目に入っています。 みなさんはまさに21世紀の申し子です。 最近の社会の変化、科学技術の進歩、医学の進歩、これらの変化の度合いはどんどん早くなっているので、これからのみなさんの活躍する時代にはもっともっと大きな変化が起こることでしょう。 人間の長い歴史の中にはいろいろなドラマがあり、これが繰り返されてきています。 これまでにこの世に存在しいた何十億、何百億という人たちの人生が歴史の中に詰め込まれています。 しかし、いまから千年、2千年、三千年前の人たちの生活様式は違いますが生き方はみな同じです。 これから21世紀の世の中がどうなっていくのか予測がつかないことには変わりありませんが、こういった人間の生き方は変わることはないでしょう。
 
今日はある一人の話をします。南アフリカ共和国という国があります。アフリカ大陸の一番南のはじにある国で、金・ダイアモンド・ウランといった鉱物資源に恵まれた国です。1498年にヴァスコダガマが南回りのインド航路を発見したあと、ヨーロッパ人、特にオランダ人が次第に入植して、その後イギリスが支配するようになりますが、過去数百年にわたって白人による政治支配が続いてきました。もとから住んでいた黒人たちは政治の中枢からは外され、特に20世紀半ばからはアパルトヘイトと呼ばれる人種差別の政策が国の方針となって、はげしい差別が公に行われるようになりました。 当然、差別される側の黒人たちは政府に対する反対の行動をとるようになります。その中の一人がネルソン・マンデラという人でした。この人は弁護士として活躍していましたが、アパルトヘイトに反対する運動に学生時代から参加して、ストライキなど活発な動きをしました。そこで政府に目を付けられて、彼は逮捕され、裁判で国家に対する反逆罪という罪で終身刑の判決を受けました。一生牢屋から出られないという決定を聞いた時、マンデラさんは45歳でした。そして国の中でも最も凶悪な犯罪人を閉じ込めておく刑務所に送られて18年間、独房という畳数枚しかない広さで、窓もない監獄に入れられることになります。はじめのうちは看守だとか、他の囚人からいやがらせを受け、厳しい労働を課せられ、夏の暑さ、冬の寒さなど、想像を絶する条件の中で毎日を過ごすようになりました。そして、18年経ったところで別の刑務所に移されて、多少は条件が良くなったものの、さらに8年間刑務所での暮らしを続けました。
その間に外の状況は少しずつ変わってきました。国内でのアパルトヘイトに反対する動きが強くなったことと、国際世論が南アフリカに対して厳しくなり、政治的・経済的に圧力をかけるようになってきたため、政府も根本的に政策の見直しをせざるを得なくなってきたのです。その時の政府はアパルトヘイトをやめて、人種間の融和を図るために黒人の代表者としてマンデラさんに白羽の矢をあてたのです。彼は黒人たちの信頼を受けていたことから、この人以外にはいないと思われたわけです。1990年にマンデラさんは釈放されて26年間の刑務所暮らしが終わりになると同時に、新しい国の中心人物として活躍することになります。そして94年には大統領に選ばれて、南アの最初の黒人大統領となりました。
彼は白人・黒人が力を合わせて新しい国を作ることに力を入れて、数年のうちにこの目標を達成することになりました。
さて、ここからが本題です。彼は白人政府により、26年間もの長い間刑務所に入れられてきました。彼は弁護士ですから、自分がとった抗議行動は正しいものだと信じて、あえて捕まるかもしれない危険を冒して政府に反対した結果、終身刑というとても重い罪を課せられてしまったわけです。26年後に刑務所から釈放され、その後政府の中心人物になった時に彼は自分をひどい目にあわせた白人たちに一切復讐はしませんでした。
イエスキリストは昔、弟子から質問を受けて、「他人をどこまで許でばいいのでしょう、7回でしょうか、」と聞かれた時に「7回を70倍するまで」と答えました。490回という回数ではなくて、要するに相手をいつまでも許すという態度が必要だということです。逆にその状況を自分の考えに沿った方向に軌道修正をできないだろうか、と考えることが必要ですね。
 
遊園地にバンパーカーというのがあります。大きなバンパーを付けて、車同士をぶつけあいますね。だれかにぶつけられたら、仕返しにもっとはげしくぶつけてやろうと思い、思い切ってぶつかっていきます。これはバンパーカーならば面白いかもしれませんが、人生の戦略としてはいただけません。「衝突されたら仕返しをする」ということなら、その態度は問題を悪化させるだけで、結局のところ、みんなが苦しむことになります。
この人の行動でとても素晴らしい、というか、われわれ凡人には真似をするのが難しいと思うのは、監獄の中でとった態度です。
彼は「刑務所の白人の看守達を、偏見のない、そして自分の見方・仲間に変えることができれば、南アフリカ中の白人の考えを変えることができるに違いない」と考えたのです。そして、実際に少しずつ看守を友人にしていき、また刑務所の中の環境も変えて行ったのでした。これは看守の一人が書いた本を基にした映画にも描かれています。
なかなか真似のできない行動ですね。どんなに醜い環境におかれても、それを自分のビジョン達成のための道具に使い、修行場として利用していったということです。彼のビジョンは人種差別のない、みんなが一体となって暮らせる国を作りたいということでした。
みなさんも時には挫折感を味わったりすることがあるかも知れません。そんな時に、しっかりした目標を持って、正しいと思った道を進み、絶望感に陥った時に、負けずに逆にその環境を自分の次のステップへの踏み台として利用していった人がいたということを思い起こしていただければと思い、マンデラの話をしました。
それではみなさんの将来への飛躍を期待して、私の挨拶にかえさせていただきます。



2013年9月
9月は長月といいます。次第に夜が長くなってくる季節です。また、ちょうどこのころに農作物の取り入れが行われる時期になります。お米だとか、この辺ではトウモロコシ・大豆などの取入れが9月・10月に行われるので、みなさんも目にすることになります。
さて、今週のニュースでカリブ海の島、キューバからアメリカのフロリダの先端にあるキーウエストまでなんと110マイル、176キロもの長い距離を泳いだ64歳の女性の話があります。この人はDiana Nyadという人で、53時間もずっと泳ぎ続けてこの大変なことを成し遂げました。彼女がこの場所を泳ぎきった3番目の人だそうですが、サメよけのケージ、檻なしで泳いだのはこれまでではじめてです。ケージは船が引っ張るので、その中の水もケージといっしょに動くことになり、その中で泳いでいるとちょっと楽になるんだそうです。だからダイアナさんは完全に自分の力で泳ぎきったということになるわけです。サメよけのケージはないけれど、サメがいやがる電流を流したりしてはいるのでまあ安全と言えるのでしょう。でも夜になるとクラゲが水面に上がってきて前にトライしたときには顔がはれ上がってしまい、ギブアップしたそうで、今回はクラゲよけの特別なマスクをつけて泳ぎました。いずれにしてもこんなに長い距離を丸二日間以上も泳ぎ続けると言うのは考えられないほど強い意志と体力を持っている人だといえます。
同じ長い距離の水泳に関して、もう一つ。これも8月の話しですが、今年70歳になった日本の男の人がイギリスとフランスの間のドーバー海峡横断にチャレンジしました。この距離は34キロで、海峡としてはそんなに長い距離ではないのですが、潮の流れがとても速いのと、水温が冷たいということで遠泳をする条件としてはかなり厳しいものがあります。この人は富永さんといって、学生時代に水球の選手でした。ボクも水球をやっていたのでちょっとだけ知っていますが、学年が4つ違い直接プレーしたことはありません。これまで黒海の入り口でヨーロッパとアジアの境にあたるボスポラス海峡を泳いだり、ヨーロッパとアフリカの間のジブラルタル海峡をリレーで泳いだりした経験を持っているのですが、今回はドーバー海峡を横断する一番年上の選手という記録を狙って、これまで4年間準備をしてトライしました。結果は12時間半ずっと泳ぎ続けてあとのころ5キロくらいでフランスの海岸が見えるところまで来ていたのですが、潮の流れがとても速く、計算するとあと3時間半はかかるということで、とてもそこまではできないと、あきらめざるを得なかったのです。水温が摂氏16度というと、とっても冷たいです。華氏では60度。ボクは昔水泳部時代、学校のプールは井戸水を入れていました。この水温が17度です。この中に飛び込むと、頭がキーンと締め付けられるようになり、25メートル泳ぐともうたまらなくなってさっと上に上がったりしたものです。しばらくするとちょっと慣れるけれども30分も入っていると体の芯まで凍ってしまう感じがします。その中に12時間半いたというだけで、とても信じられないのがボクの先ずの感想でした。この挑戦に向けて4年間、ずっと準備をしてきて、絶対だと思って挑戦しただけにとても残念だっということですが、ここまで実行したことだけでも素晴らしいことだと思います。
キューバから泳いだダイアナさんはこれが5回目の挑戦だったそうです。今回泳ぎきった時のインタビューを見た人もいるかも知れないけれど、絶対にあきらめないこと、you should never, ever give up。夢を追いかけるのに年とっているということはない。You are never too old to chase your dream. とit looks like a solitary sport, but it's a team、すなわち一人で成し遂げたみたいに見えるけれど、これはチームでやったこと。という3つのメッセージをいいました。水泳だとか陸上の競技は個人種目が多いです。水泳のオリンピック金メダルをたくさん取ったマイケルフェルプスだとか、陸上短距離ナンバーワンのユーセインボルトなど、確かにずばぬけた体力の持ち主もいますが、彼らはコーチとか、トレーナーとか、その他いろいろな人たちのサポートがあるから、その地位に上り詰めてずっと維持していることができるわけです。ダイアナさんも富永さんもすばらしいサポートチームを持って、みんなで努力した結果があらわれてきているのです。われわれ人間は独りぼっちでは生きていけません。社会の中で、いろんな人たち、それぞれ意見も異なっていますが、と一緒に生活をしています。一人ひとりがチーム員なのですね。体にはいろいろな役目を持った部品がついています。目、耳、鼻、口、手足、指、心臓・肺臓などの内臓器官、血液、血管、神経、筋肉、骨、挙げていったらきりがありません。これらの部品はそれぞれ自分の役割を持っています。それぞれが自分勝手なことをはじめたら大変なことになります。これと同じようにわれわれの住んでいる社会の中でもチームワークがとても大事です。それぞれみんな違った才能、役目を持っていてこれらがうまく機能して社会がスムーズにいっているわけです。例えばこの学校も一つの社会ですが、小さな共同体でもみんながまとまってそれぞれに協力しあっていくことによって、すばらしい学校になっていくことができます。みんなで努力しましょう。


2013年1月 初心忘れるべからず
あけましておめでとうございます。新しい年が始まりました。さっき長尾さんから目標を作って頑張りましょうと言ってくれた通り、新しい年に向かって一つの目標を作って、それに向かって進むことは大事なことだと思います。 「初心忘るべからず」という言葉ばあります。 初めての心と書いて初心です。 これは目標そのものを言うのではなくて、目標を作ったときの気持ちを表します。 「初心忘れるべからず」とは辞典によると、「常に志した時の意気込みと謙虚さをもって事に当たらねばならない」という意味です。 目標、例えば漢字をもっと覚えようとか、字をきれいに書けるように練習しよう、だとか、それぞれに考えたときに、漢字を覚えることで本をすらっと読めるようにしたいとか、字をきれいに書いてラブレターを書いたときに相手によい印象を与えたいとか、理由があると思います。 途中で目標がとても遠くて到達できそうにない、と感じたときなど、はじめに目標を作ったときのその理由を思い出してみると、よし、もうちょっと頑張ろうと言う気になるかもしれません。うまくいかない時、行きづまった時、やる気が出ない時、どうしたらいいかわからなくなった時などには、初心を思い出すことで、何かヒントが見つかったり、心を入れ替えるきっかけになでしょう。 何かをする際に、“期するもの”があったほうがいいのです。 目標・目的、望み・願い、心構え、大切にしたいこと、・・・。 忘れないために、時折、思い返すのがいいと思います。
あと2ヵ月半で今年度も終ります。まだ寒い日が続きますが、寒さに負けずに頑張っていきましょう。



2012年12月 賢者の贈り物
いよいよ今年もあと二週間となりました。2012年はみなさんにとっていい年でしたか?それぞれ自分の目標に対してどこまで達成できたかを見直してみるいい機会です。
来週はクリスマスです。クリスマスはイエスキリストの誕生を祝う日です。今から2000年前にキリストは生まれました。でも本当の誕生日がいつかというのは、どの記録にもないのではっきりしません。12月25日にしようと決まったのは、キリストが亡くなってから300年もたってからです。でも救世主の誕生を、冬至が過ぎて次第に日の出が早くなってくるこの時期に祝うということは、的を得ていると言えるのではないでしょうか。
みなさんはクリスマスというと何を思いますか?やはりプレゼントでしょうか。サンタクロースもどこか北のほうでプレゼントの準備をしているころですね。
今日はプレゼントの話しをします。
これは今から100年くらい前に書かれた物語です。だからお金の価値も今とはちょっと違うので、その辺は頭にいれておいてください。
 
若い夫婦がいました。だんなさんの名前はジム、奥さんはデラという名前です。ジムは働いていましたが、まだ給料も安くて二人は貧乏な生活をしていました。でも、二人はお互いが大好きでいつも仲良く暮らしていました。ジムはおじいさんからお父さんへと伝わってきた金の時計が宝物でした。デラの宝物はその美しい、腰まで届くほどの長い髪の毛でした。
ある年、クリスマスイブの朝、デラは貯金箱を開けてため息をついていました。ジムにクリスマスプレゼントを買おうと一生懸命にお金を貯めようと思っていたのですが、苦しい生活を助けるために貯金が思うようにできず、たったの1ドル87セントしかありません。これでは何も買ってあげることができないからです。デラはいろいろと考えた結果、自分の髪の毛を売ったらお金ができるかも知れないと気がつきました。そこで町にでかけてカツラ屋に入り、この髪の毛を買ってもらえないかと聞きました。店の人は、これはきれいな髪の毛だから、20ドルなら出してもいいと言いました。デラはその場で髪の毛を切り、20ドルを受け取って、ジムへの贈り物を探しにでかけました。ジムが大切にしている金の時計に合うクサリがあったらいいなとあちjこちの店を見てまわっていたら、プラチナの美しい、すばらしいクサリを見つけることができました。早速店に入って値段を聞いたら21ドルでした。デラの髪の毛の20ドルと貯金の1ドルを足すと買うことができます。そこで、デラはこのクサリを買って、家に帰り、ジムの帰りを待ちました。
やがて、ジムは帰ってきて、デラを見るとびっくりしました。長い美しい髪の毛がありません。実はジムはデラへの贈り物に髪の毛をとかす、べっ甲の櫛を用意していたのでした。これはデラが前からほしいと思っていたものでしたが、もうとかす長い髪はなくなっていました。でも、デラはこれを感謝して、ジムにプラチナのクサリをプレゼントし、あなたの金時計にあうと思ってこの髪の毛を売ったのだと説明しました。これを聞いてジムは肩を落として、デラに実はこの櫛を買うために、時計を売ってしまったのだと言いました。そして、「この二人の贈り物はしばらくしまっておくことにしよう、そのうち必ず使うときが来るからね。」と言いました。
 
クリスマスの話しでよく聞くことがあると思いますが、イエスキリストが生まれた時に星に導かれて東の方から3人の博士が生まれたばかりのユダヤの王様をたずねてきました。神様がGPSでこの三人をはるばるとベスレヘムまで連れてきたのでした。この三人の博士を英語でMagiといいます。日本語では博士だとか、賢い人、賢者、などと訳しています。このMagiがたくさんの贈りものを運んできて飼い葉桶の中にいる赤ちゃんにプレゼントをあげました。まさにクリスマスプレゼントですね。おそらくこのプレゼントのおかげでキリストはそれから何年間か王様から命を狙われていた間の生活に大変役立ったのではないでしょうか。賢者の贈り物は大事なものだったのです。
 
さっきの話はちょと寂しい、でもとても心温まる話しです。自分たちの最も大切にしている宝物をお互いのために台無しにしてしまったのですから、バカだな、と思うかも知れません。でも、贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明な人たちだったのではjないでしょうか。この物語の題は”The Gift of the Magi”、日本語では「賢者の贈り物」といいます。贈り物の価値を見るときに、その物にどれだけの心がこもっているかが一番大事なことです。贈り物を賢く、気持ちをこめて選んでプレゼントするということです。だからこの二人は東方の賢者だったと言えるのではないでしょうか。



2012年11月 ハリケーン・サンディー とパーフェクトストームのこと
今日は11月3日、日本では文化の日で国民の祝日です。これは1946年11月3日に今の日本の一番大事な法律である、憲法が発表された日です。憲法はそれから半年後の5月3日に実際に有効になりました。だから5月3日は憲法記念日ですね。
さて、今週はアメリカの東海岸を襲ったハリケーン・サンディーのニュースが毎日テレビ・ラジオ・新聞などで報道されました。ハリケーンの規模としてはここ何十年でも最大クラスだったことと、いろいろな条件が悪いほうに重なり、結果として大変な被害をもたらしました。たとえばちょうど月曜日には満月でした。満月ということは地球をはさんで太陽と月がちょうど反対側にいることになり、大潮といって満潮時の海面の盛り上がり方が大きくなっていました。これにハリケーンが海水を持ち上げる力、風による波などが重なってニューヨーク・ニュージャージーの海辺を襲ったということです。通常の海面よりも5・6メートルも高くなった海の水がそのまま大量に流れてきたところもあり、場所によっては去年日本を襲った津波のように家家を破壊したところもありました。アメリカで60人以上の方が亡くなったということで、痛ましい限りです。また、浸水した家・ビル・町など、これからの復興に大変な時間・努力・お金がかかることになります。一刻も早い復興を祈りたいと思います。
パーフェクトストームという言葉があります。 これはハリケーンが大西洋の赤道付近で発生したあと次第に北上して行くとともに弱まりハリケーンとしての力がなくなり熱帯性低気圧になったものが、たまたま北大西洋の気象条件の悪いものと一緒になったときに起こりうる現象で何十メートルもの大きな波を作ることがあるそうで、こういう状態を言うそうです。 これはめったに起こりませんが、起こるときは突然おそってくるそうです。 去年か一昨年にこの名前の映画がありました。 これは漁船が巻き込まれて漁師たちが格闘する話しで、みなさんの中でも見た人または、名前をきいたことがある人がいるかも知れません。 今話をしようとしているのは別の話しですが、ニュージャージーの沖合いでたまたまこのような嵐に巻き込まれたヨットがありました。 このヨットには父親をメリーという7才の女の子が乗っていたのですが、大きな波のためにヨットは転覆し二人は海に放り出されました。 岸から何マイルもの遠くの場所で父親は二人で泳ぎきるのは不可能と判断し、メリーを残して助けを求めにいくことにしました。 この時父親はメリーに必ず戻ってくるからあきらめずに待ちなさい、そして仰向きに浮かんでいれば何時までも浮いていることができるということを言ってから、父親は岸のほうに向かって泳ぎだしました。 それから2時間ほど泳いだとき、奇跡的に救助にでてきたボートに助けられました。 父親を乗せたボートはそれからメリーを探しに行き、これまた奇跡的に荒海の中でメリーを見つけて助けることができました。 こうして助けられるまでメリーはなんと6時間も海のなかにいたそうです。 あとでメリーはみんなから一人で荒海にいるあいだ何を考えていたかを聞かれたのですが、このときに彼女は「お父さんは私に上向きに泳いでいれば絶対にしずまないと教えてくれました。 そして必ず帰ってくるからあきらめずに待ちなさいと言いました。 「お父さんは今まで約束したことは必ず守ってくれたから、全然心配はしてませんでした。」と言ったそうです。 家族の間での信頼関係がこういう状態で力を発揮します。 信頼関係を家族という小さなものから、学校の仲間、近所の人たちとの間、へとだんだん大きな輪に広げていくことが大事です。 こうして世の中がだんだんよくなっていくと思います。 信頼関係のベースがどこにあるかをいつも考えて、この気持ちを大事にしていきましょう。 



2012年10月 秋のこと
もう秋分の日も過ぎて、夜の時間のほうが長くなってきています。季節は秋ということですが、ここイリノイの秋は短いですね。日本だと春夏秋冬がわりとはっきりと分かれていて、それぞれに3ヶ月くらいが当てはまるので季節感がはっきりします。
日本の秋を表現してみると、日本では夏の暑さがやわらいで過ごしやすい季節になります。日中は暑いけれど、朝晩に肌寒さを覚えたり、吹いてくる風に爽やかさを感じたりします。うるさかった夏の蝉は次第に鳴りをひそめ、赤とんぼの群れや、虫の声が耳にとまるようになります。また夏休みが終わって新学期が始まり、運動会や文化祭・学芸会が行われます。また、台風がしばしば日本を襲い、秋雨が永く続くこともあるが、晴れた空は高く澄み渡り俗に「天高く馬肥ゆる秋」ともいわれます。夜が長くなり、月や星を賞でたり、読書や夜なべにいそしんだりするようになります。昼夜の温度差が大きくなり、野の草には露が置き、木々は紅葉してくる。色付いた葉が散りはじめると、重ね着が増え、暖房が入り、秋も終わりに近づくということになります。
秋はいろいろなことがあります。農作物のほうではお米をはじめとして、まさに実がなって収穫時の忙しい時期にあたります。ここではトウモロコシ・大豆の刈り入れがどんどん進んでいます。一年に一度しか収穫がないものはまさに今が一年中で最も大事な時期となります。収穫が終わると大昔から世界の各地で収穫を祝う儀式が行われてきています。神様に豊作を感謝するといった形式のお祭りがそれにあたります。日本の秋祭り、ドイツのオクトーバーフェスト、アメリカの感謝祭などが代表的なものといえます。アメリカではまた、できたカボチャの大きさ比べをする大会だとか、さらにカボチャをどれだけ遠くに飛ばすことができるかを競う、Pumpkin Chunkingといった競技会なども農作業が終わった締めくくりの行事のひとつでしょう。
植物でいうと、大きな葉っぱの木は色が黄色や赤に変わりやがて散っていきます。われわれもこれからしばらくは落ち葉掃除も重要な仕事になってきます。鳥の中でも渡り鳥といわれる種類の鳥たちは次第に南の暖かいところへ冬篭りに移動していきます。もうハミングバードの姿は見なくなっていますし、もうすぐカナディアン・ギースも移動を始めるでしょう。何千キロもの距離を自分の羽だけで飛んで移動するのですから、大変ですね。昆虫の多くは幼虫の形で冬を過ごします。秋になると黒い毛虫がいっぱい道路を横切るのを見かけることがあります。アメリカではWoolly Bearと呼ばれる毛虫がこれで、一説にはその色の濃いときは冬の寒さが厳しい、などといわれていますが、どうもあまり科学的根拠はないようです。動物の世界では冬の間、冬眠をする種類があります。一部の熊だとか、ねずみ・モグラ・リス・コウモリなどが有名です。食料の少ない冬の間を過ごすには都合のいいやり方ですね。でもこれは人間が真似をしようとしてもできません。ずっと寝ていてなにも食べないわけですから、冬眠に入る前にはいっぱい食べて、栄養を蓄えておく必要があります。だから秋には木の実などをお腹いっぱい食べます。
秋を形容する言葉として「食欲の」「スポーツの」「読書の」「芸術の」などがあります。10月10日は東京オリンピックの開会式の日でした。そのあとは体育の日として休日になっています。今は10日ではなくて10月の第2月曜となっています。このように秋はいろんなことがあり、結構忙しい時期になりますね。
さっきちょっと話が出た毛虫ですが、毛虫の話しをひとつ。ファーブルという人が書いた昆虫記があります。図書室にもあるので読んだことのある人もあるかも知れません。その中に毛虫のことが書いてあります。マツノギョウレツケムシというのがその名前ですが、この毛虫はきれいな列を作って歩くという習性があります。毛虫は口から細い糸のようなものを吐き出しながら歩き、次の毛虫はその糸をたどって歩き、また同時に口から糸を吐き出す、ということなので、遠くから見ると長い一本の紐のように見えるそうです。ファーブルは、このケムシを捕まえて、植木鉢の周囲をグルグル回らせました。毛虫はその名のとおり、前のものの後ろにくっついて一つの輪をつくり、行列をはじめます。鉢の下にはエサもおいてあるのですが、マツノギョウレツケムシは見向きもせず、ただ黙々と歩き回り、八日間休みなくはちの周りを回り続けます。そして、とうとう八日目に飢えと疲れで倒れ、輪が崩れたそうです。八日間、同じ所をグルグル回り続けたことに、はたして何の意味があるのだろうかと考えさせられますね。 何においても目的意識をしっかりと持って物事にあたることが大事だということです。


2012年9月 パラリンピック
昨日からロンドンでパラリンピックがはじまったのを知ってますか? パラリンピックは身体障害者のオリンピックです。目の見えない人、手・足のない人、いろんな障害を持った人たちの参加する大会です。ついこの間オリンピックがあって世界中からスポーツマンが集まって素晴らしい競技が繰り広げられました。パラリンピックはオリンピックと同じ場所で開かます。身体障害者に加えて知的障害者の競技も行なわれ、世界中から162カ国、4200人の選手が集まるそうです。日本もアメリカも当然大きな選手団をおくっています。車椅子を使っての陸上競技、マラソン、バスケットボールだとか、勿論水泳、バレーボール、さらにはホイールチェアラグビーという激しいゲームもあります。生まれつき体に障害のある人、病気のために足を切断せざるを得なくなった人、さらには戦争で怪我をした人など、いろいろなケースがありますが、それぞれにわれわれのような五体満足な人にくらべると大きなハンディを追っている人たちに参加資格があります。この間ラジオで出場者のインタビューを聞きました。みんな同じように言っていたのは、自分の障害は普通の生活をするのに何の障害にはならない、じっと家にこもってしまうのは負け犬と同じだ、ということでした。アメリカ選手の約10%は兵隊に行ってイラク、アフガニスタンなどで怪我をした人たちだそうです。怪我をする前までは元気に飛びまわっていた人たちです。怪我で足をなくしてしまった時は絶望感におおわれ、生きる希望も失ってしまったように感じられたそうですが、これではいけないと自分に言い聞かせて普通の生活を始める努力をし、その途中に好きだったスポーツに力を入れたところ、これがいろんな意味でいい結果を生むことになったそうです。スポーツを通じて同じような境遇にいる人たちがとてもがんばっていることからも勇気付けられたということだそうです。
図書室にある本なので知っている人も多いと思いますが、おとたけひろただ(乙武洋匡)という人の書いた「五体不満足」という本があります。生まれつき手と足がないという大変不自由な障害者ですが、持ち前の明るい性格と負けず嫌いの精神力から、普通の人と同じように生活をしています。彼は「障害は不自由です。しかし不幸ではありません」という新鮮なメッセージを送っています。これらのことから学ぶことは沢山あると思います。
あなたたちも、私たちもなにも不自由な障害を持っていません。まわりに空気と水があると同じようにすべてが問題ないのが当然だと思っています。非常に喜ぶべきことですよね。われわれの気持ちも常に前向きに、目標をしっかりと目指して頑張って生きたいと思います。
さて今日から9月です。日本の暦では長月です。夜の時間が次第に長くなっていきます。23日の秋分の日を過ぎると昼夜の時間が逆転して冬に一直線ということですが、まだまだ暖かい日がしばらく続くので、晴れたに日は外に出て体を動かし、元気に過ごしましょう。
また、学習発表会に向けて、クラスの仲間といっしょに活動をしましょう。



2012年8月 夏休みのこと・ロンドンオリンピック
いよいよ今日から二学期がはじまります。6週間の夏休みは長いようで、短かったかも知れません。旅行をした人、キャンプなどで楽しんだ人、いろいろな経験をつんだことでしょう。
校長先生は2・3日休んで、西海岸に行ってきました。オレゴン州のポートランドとカナダのバンクーバーに行って、いい天気に恵まれて楽しい旅行ができました。
7月にはブルーミントン・ノーマルが姉妹都市関係を持っている日本の北海道にある旭川という町とその姉妹都市関係が50年を迎えたことから、旭川市長をはじめとして39人の人たちがやってきて、50周年の記念式典やパーティーなど、楽しい時間を過ごすという機会がありました。姉妹都市は知らない町同士が交換留学生の派遣だとか、お互いに仲良くしようというプログラムで、これが50年も続いたということはすばらしいことですね。
それからロンドンのオリンピックが2週間にわたって開かれて、テレビで見た人も沢山いるでしょうね。校長も毎晩遅くまでテレビで各選手の活躍を楽しく見ていました。アメリカのテレビでは日本選手をあまり映してくれませんでしたが、いろんな種目で活躍したようですね。全部で金メダルを7個獲得、全メダル数が38個だったそうです。アメリカは45個の金メダルで、メダル合計は104個だったそうです。さすがスポーツ大国ですね。何事も世界のトップレベルになるということはすばらしいことですね。近代オリンピックをはじめたクーベルタンという人がオリンピックの目的は勝つことではなくて、参加することにあると、言った有名な言葉があります。確かに参加するためにはその国の代表選手になるわけですから、まさに参加するだけでも大変なことです。勿論勝つということはすばらしいことですが、負けることも大事です。負けたこと、失敗したことから逆にいろんなことを学ぶことができます。そこでやる気をなくさないで、頑張って次のステップに向かって頑張るということが非常に大事なことです。
さて、二学期がはじまりますが、新しいはじまりというのはいつもエキサイティングなものです。例えばお正月、4月の入学式、始業式などは特に新しい年に向かって、さあ、今年はいいことがあるように、というような大きな期待があるものです。また、自分で新たな目標を作って努力しよう、という気になります。みなさんも4月の新年度にあたって今年の目標を作った人が多いと思います。それぞれどんなことだったか思い起こしてください。初心にかえるという言葉があります。初めのときの気持ちに戻って、さて今そのときに考えていた通りにすすんでいるだろうか、と考え直す必要があります。常に目標を見据えて進みましょう。
さっき6人の新しいお友達の紹介がありました。あと一人、来週から参加しますが、みなさんもどんどん声をかけて仲良くむかえるようにしましょう。二学期はちょっと長い学期です。11月には学習発表会という大きなイベントもあります。みんなでまたがんばっていきましょう。



2012年6月 夏休みに向けて
今日で1学期が終わりです。この3ヶ月間、みんないっしょうけんめい勉強してきて、いっそうたくましく成長した様子がうかがえます。来週から6週間の夏休みになり、もうすでに現地校は休みに入っているから、それこそこの6週間は何もない、君たちの世界ですね。この休み中に旅行に出かける人もいることでしょう。ちょうと夏休みの真ん中くらいにロンドンで大きな大会が開かれます。そう、オリンピックですね。25回目のオリンピックがロンドンで開かれます。オリンピックは4年に一度ですから、25回目ということは計算すると100年目になりますが、実際には戦争で何度か中止になっているので、第1回から116年たっています。今のオリンピックは近代オリンピックと呼ばれます。近代ということは古代のオリンピックがあったということです。今から2800年前、紀元前8世紀にギリシャでオリンピックがはじまり、1200年近くも4年に一度、スポーツを競うという集まりが続きました。当時はギリシャという国ではなく、それぞれの都市が国だったのですが、いつも喧嘩をして、戦争が絶えなかったそうです。でも4年に一度のオリンピックの時には戦争をやめて、スポーツで競ったということだそうです。近代オリンピックも世界中の国々がけんか(戦争)などせずに、平和にスポーツを楽しもうということからはじめられたものでした。さて、今年も世界中の200前後の国々から選手が集まり、2週間にわたっていろいろな競技ですばらしい競技が繰り広げられることと思います。みなさんも時間があったら是非見てください。
さて、旅行などをするときのことですが、いつも言ってますが、長い車の旅など、ボーっと時間を過ごすのではなく、周りの景色や建物など、人間の工夫の成果を観察して、そこからいろいろなことに思いを馳せるというのも、有意義なものだと思いますので、ぜひ実行してみてください。
それでは8月18日にみんなの顔をここで見ることを楽しみにしています。



2012年5月 5月の歌
5月の歌にはいろいろなものがあります。「茶摘み歌」「せいくらべ」「こいのぼり」(2曲)などは昔から親しまれています。
今回は幸田文さんの書いた随筆集「季節のかたみ」の中の5月に関するところを紹介します。
「5月はものの伸びる月。陽の伸びる月、枝葉の伸びる月、こころも身も伸びる、よろこびの月。
鬱屈し、曲り塞がれ、渋滞していたものが、時の勢いを得て、ずうんと伸びて真っ直ぐになり、活気があふれてくる。
陽は明るく、昼は長く、気温は高まり、犬も雀も花も木も人も、手をあげて首をあげて、身のうちになにひとつ屈まるところのないように深く呼吸する。これが5月なのだ。自然がものを伸ばし育ててくれもするし、また、自分から伸びようともする。いのち盛んな月である。」
これは幸田さんが60-70才台に書いた随筆集の中のものですが、何もかもがすくすくと育つ5月に感銘し、知らず知らずに自分の鬱屈していた気持ちが晴れ、体も、腰・背中・胸・首などがしゃんと伸びていた、という気もちをよく表していますね。


2012年3月 平成23年度卒業式
先ほど、みなさんに修了証書と卒業証書をお渡ししました。この一年間の勉強の成果がこれらの証書に現れています。みなさんが新たなステップに向かって一歩前進するということです。みなさんの賞状を受け取るときの輝いている目を見ることができるのが、校長をしていてもっとも嬉しいことです。心からおめでとうございます。
特に小学校を卒業する3人、中学校を卒業する一人、のみなさん、ご卒業おめでとうございます。それぞれの学校を巣立って、それこそ大きな一歩を歩みだすところです。21世紀はみなさんのものです。その将来を担っていくみなさんに、私からお願いしたいことなどをいくつかお話ししたいと思います。
先ず最初に自然を大事にして欲しいということです。
人間は大昔から長い間、自然に生かされてきました。生かされたということは自然に逆らわず、それこそ自然が神々である、というようにうやまい、おそれ、その中でいかに生きていくかを考えてきていたのです。ところがこの態度が近代に入って少し変わってきました。人間がもっともえらい存在だという、思い上がりの気持ちがでてきました。豊かさ、便利さ、安全など人間の幸福を追い求めて達成した、科学技術の発達がありました。そして自然を開発することが豊かな社会をつくるためには必要であると思うようになりました。こうした自信が自然を無視する態度につながってしまったことは否めません。一年前の日本の大地震ではあらためて自然の力の強さ、ものすごさ、を見せ付けられました。世界の最先端の技術を持っている日本でも、まったく手も足もでなかったことは、記憶に新しいところです。あくまでも人間は自然の一部にすぎません。今ある日々の平安な暮らしに感謝すると共に「ものの豊かさから、こころの豊かさ」に生き方を問い直す必要があるように思います。 幸いに、今の世の中ではこういった考え方に目覚めてきています。一人ひとりのこうした考え方が結果として大きな力になることを忘れずに、努力してください。
二つめは「誠実と思いやりの気持ちを忘れないでほしい」ということです。
私たちは、思慮深い人になる必要があります。思慮深い人とは、周りの人のことやよりよい社会のことを考えて行動できる人のことです。人間は助け合って生きています。自然物としての人間は決して孤立しては生きられるようにつくられていません。助け合うという気もちや行動のもとは、いたわり、という感情です。これは他人の痛みやつらさを感じることで、努力しないと自分のものになりません。常にこういった気持ちを持つように努力して欲しいと思います。あるテレビのコマーシャルでだれか他人にちょっとした親切を行い、その親切を受けた人が、今度は他人の困っている状況をヘルプする、ということを繰り返しているうちに、最初にちょっとした手助けをした人が他のだれかに助けてもらっていた、という内容のものがあります。見たことがある人もいるかも知れませんが、ちょっとした他人への配慮の積み重ねがすみよい世の中をつくるきっかけになります。
マザーテレサという人の言葉があります。
どんな小さいことであっても、大いなる愛を込めておこなうことは、人に喜びを与えます。そして人の心に平和をもたらします。
何をするかが問題ではなく、どれほどの愛をそこへ注ぎ込むことができるか、、、 それが重要なのです。
マザー・テレサの「愛」という仕事より
君たちがそういう自己を作っていけば、将来きっと人間みんなが仲良く暮らせる時代がくるものと思います。
三つ目は「目標を立てて努力を続ければ、必ず困難は乗り越えられる」ということです。
確固たる目標を立て、あきらめないで努力を続ければ、途中で道に 迷ったり、壁にぶつかったりしても必ず目標を達成できると信じてください。この学校で、君たちは様々な学習を経験し、先生・友達との交友を通して、自分の課題を見つめ、その課題を解決するための考え方を学んできました。先生たちのあたたかく厳しい指導をしっかり 受け止めて、頑張ってきたことに自信と誇りを持ってください。
ドイツの学者でイマヌエル・カントという人がいました。 この人は「世界における一切のものは何らかの目的に役立つ、世界には何一つ無駄なものはない」と述べています。 あら ゆるものは意味があって宇宙に誕生し、偉大な連関の中で自分の役割をまっとうしているということです。 みなさんひとりひとりがこの宇宙に生を受けたことが、どれほどの奇蹟でありどれほど深い使命を持っているか、そのことに想像をめぐらせてほしいと思います。
みなさんの未来は、真夏の太陽のようにかがやいています。 この未来におおいに期待しています。 
最後になりましたが、保護者の皆様、お子様のご卒業誠におめでとうございます。



2012年3月 日の丸・牛若丸
今日は3月3日、桃の節句、ひな祭りの日です。お雛様をかざって女の子の健康を祈るお祭りです。
この歴史はもう今から千年位前の平安時代にさかのぼるそうです。平安時代は約400年続いた天皇と貴族を中心とした政治体制でした。このころにひらかな・カタカナなどができて日本独自の文化が発展し、はなやかな文化も生まれました。そうした中からひな祭りというものもでてきたのでしょう。
貴族が都で華やかな生活をしている一方で下層階級は貧乏な生活を強いられ、民衆の間に不満がだんだん高まっていました。こうした時代に出てきたのが武士階級です。侍という戦争を仕事とする人たちが次第に力をつけてきていたのですが、その中で平清盛という人を中心とした平氏と源氏という二つの家が互いに争い、平氏が勝ち残って政治の中心に座ることになりました。このころの話をしましょう。
京都は都ですから全国の中心地です。その京都の中を鴨川という川が流れています。町の中にあるのでこれを渡るための橋がいくつかかかっています。京都の道は南から一条、二条、というように番号がついていて、五条という道には五条の大橋と呼ばれる大きな橋がかかっています。この五条の大橋に毎晩大男が現れて橋を通りかかる人を襲って持っている刀を取り上げるということが起こりました。この男は弁慶という名前の僧侶でした。弁慶は体も大きく、力も強くて誰もかなうものがいませんでした。彼は刀を千本集めるという目標を立てて毎晩、橋で通りかかる人を待っていたのです。そして999本の刀を集めました。あと一本で千本になります。その晩も五条の大橋に出かけて人が通りかかるのを待っていました。もちろん京の中でもこの大男が毎晩五条の大橋に現れることは有名になっていたので、みんな恐れて近寄らなくなっていたのでなかなか千本目の刀が現れません。弁慶もちょっといらいらしていたことでしょう。そうしたら、笛の音が聞こえてきました。誰かがやってきます。弁慶は獲物がやってきたとよろこびました。そこにやってきたのはまだ若い少年ですが、とても立派な刀を持っていました。弁慶はこの若者を呼びとめて、怪我をしたくなったら刀を置いていけ、といいました。ところがこの若者は笑って、とれるものならとって見ろ、と言ったもので、弁慶は怒って、襲い掛かりました。ところが相手はさっとよけてしまいます。ますます怒った弁慶はなぎなたで切りかかりました。でも相手はその度にいとも簡単にすり抜けてしまいます。やがて弁慶は疲れてきました。そうしたときにこの若者は持っていた扇子でびしっと弁慶の頭を打ち据えたのです。弁慶は生まれて初めて戦いに敗れたのでした。そして若者に、「参りました。お名前を教えてください」といいました。この若者の名前は牛若丸といいます。この牛若丸が持っていた扇子はこのように日の丸を書いたものでした。 牛若丸は後に源義経と言う名前にかわります。そして、兄の頼朝に協力して平氏を破り、源氏の世の中を作る助けをしました。源氏と平家の戦いは源氏が勝ち、平家は滅びます。そのときの源氏の大将はこの義経でした。この戦いの最中に平家の船の上に掲げられた扇の的を矢で見事に射落としたという有名な話がありますが、この人は義経の家来の那須与一という人でした。このときに平家側が掲げた扇はこういうように赤地に金色のマークでした。もし、この源平の戦いで平氏が勝っていたら、もしかしたら今の日本の国旗は赤地に白の丸になっていたかも知れませんね。われわれの運動会では赤白に分かれて戦いますが、赤組みと白組のもとはこの源平の戦いからきているのです。
いつの間にか話しが日本の国旗の話しになっていました。日の丸というのは日本という名前とともにもう千年以上前から使われています。スポーツの国際試合、特にオリンピックだとか、去年の女子のサッカーのときなどに日の丸を見ると、あ、日本人ががんばっているんだと、誇りに思えますね。法律では日章旗といいますが、ながーい歴史の上にあるということと、日本が長い、すばらしい歴史を持っているんだということを自覚してほしいと思って今日はちょっと長くなったけれども歴史の話しをしました。



2012年2月 チームワーク
2月は日本のコヨミでは如月といいます。きさらぎという名前はまだ寒さが残っていて着るものをさらに重ねて着るというのがその名前のもとだという説があります。日本は今とても寒いみたいですね。一方、こちらはいつもの冬とは大違いで特に今週などとても暖かかったですね。今日は立春です。冬至と春分の丁度まん中で、あと1ヵ月半もすると昼間と夜の時間が一緒になります。5年前の同じ立春の日に朝礼の挨拶をしていますが、それを見ると朝の気温が華氏の5度だったそうです。僕はだいたい暖かいほうが好きなので、今年の冬は大歓迎です。
明日はスーパーボウルというのがあります。これはフットボールのチャンピオンを決める大きな試合で、明日はニューイングランド・ペイトリオッツとニューヨーク・ジャイアンツとの間で戦われます。この試合にはアメリカでは1億人以上の人がテレビに釘付けになり、また世界200カ国に中継放送されるそうで、オリンピック、ワールドカップをはるかにしのぐ高い視聴率を誇っているそうです。試合も面白いですが、コマーシャルもみんなこのときを狙って新しいものを投入してきます。30秒のコマーシャルが290万ドルするそうです。
フットボールはチームスポーツですから、チームワークがとても大事です。いくら優秀なコーターバックがいてもこの人を守る人が必要で、またボールを受け取る人も必要です。だれかが怪我をしたら代わりにすぐにしっかりとした仕事をする人も必要です。またチームを纏めていくコーチやキャプテンなどの存在も大きいです。こういったチームワークのいいチームが必ず最後に残っていくわけです。
チームワークの重要さはスポーツだけではありません。人間社会全体にあてはまります。家族・学校・会社・町・国、そして国際社会、こういった一つ一つの有機体はまとまっていないとすぐにばらばらになってしまいます。
去年、日本で地震・津波の大被害があり、このときはそれこそみんながいっしょになって、何か役に立とうとしました。日本をどうにかしよう、と思ったはずです。愛する人、思いを共有する人のた めに役に立つことが人間の喜びだと知ったのではないでしょうか。そこから大きな力が発揮されたものだと思います。こうして日本人がひとつになって、自分にできることを考えた東日本大震災。だけども、約10カ月が過ぎ、被災地のがれき受け入れをめぐって各地で混乱が起きるなど、ほころびも見え始めています。人間はどうしても、自分が、自分が、という気もちがどこからかでてきます。自分の事しか考えないことを身勝手といいますが、たとえば目の前で苦しんでいる人を見るとかわいそうと思うのに、表面だけで終わってしまい、自分 の身の回りの安心、安全だけを気にかけるようになってしまうようなことがその例です。本来、自分の身を犠牲にしても人を助けたいと思うのが人間なのに、目の前のことしか見えな いようになることが見受けられます。こういうつまらない人になり果てようとすることにならないように注意して欲しいと思います。他人を大事にすることができる人は、真の意味で自分を大事にできる人です。他人を尊敬できる人は、真の意味で自分に信頼感を持っている人だと思います。対人 関係は自分の内面の照り返しですから。人生におけるチャンスも不運も、全部自分から始まっているんだという認識をもつことが大事ですよね。自分自身を保つ ことで、他の人との関係が保てるということです。
今日の話はチームワークでした。



2012年1月 三学期始業式・辰年
明けましておめでとうございます。2012年がスタートしました。ことしはうるう年になります。4年に一度一年366日となり、地球の公転の日数のずれを 調整する年です。この年には夏のオリンピックがあり、今年は7月末からロンドンで開かれます。あと、アメリカの大統領選挙もうるう年に行われます。 こと しの干支は「辰」、竜年になります。小5の二人が辰年生まれですね。干支は中国の大昔から使われて、年、時間、方角などいろいろなものを表すのに利用され てきています。全部で12の動物がいますが、竜だけは伝説上の動物ですね。どうして竜が入ってきたのかはよく分かっていません。 辰は方角としては東で す。東は太陽の昇る方向で、ちょうど竜が登るのにかけたのかも知れませんね。また、中国では方角に色を使いました。東は青です。ここから青春などのように 若くてこれから将来がいっぱいあるものに、青の字が使われているのです。
さて、三学期は2ヶ月半しかありません。あっという間に過ぎてしまうのがいつもの例ですが、皆さんには文集を纏めてもらうという大きな仕事があります。また、寒い時期になりますが、寒さに負けずにがんばっていきましょう。

2011年12月 感謝の気持ち「一期一会」
今年も後一か月となりました。12月は日本のコヨミでは師走といいます。師はもともと僧侶、仏教のお坊さんのことで、普段はゆったりとしているのですが、年末は忙しくて走るので師が走る月となったという説があります。年末にはその年のことを振り返ってよかったこと、悪かったこと、反省したりするのにいい時期だともいえます。
ところで先週は感謝祭でお休みでした。みんなで七面鳥の料理を食べたりした人もいるでしょうね。アメリカのサンクスギビングはもともとヨーロッパから移住してきた人たちが親切にしてくれたインディアンのおかげもあって穀物の収穫ができたことから、神に感謝するというお祭りがはじめです。どこの国でも昔から穀物の収穫が終わった後にお祭りをする風習があります。日本では新嘗祭という名前の収穫祭があります。これは11月23日に天皇陛下がその年の収穫に感謝するという目的で行われるものです。日本の村では秋祭りが行われますが、これも収穫祭です。ヨーロッパでは例えばドイツのオクトーバー・フェストなどが有名です。
さて感謝する、ということですが、これは人間にとってとても大事なことです。
人が挨拶をした時、挨拶された人はすぐに挨拶を返したくなります。笑顔で「ありがとう」と言えばまわりがぽっと明るくなります。笑顔が大事ですよ。難しい顔をしているとぎすぎすした雰囲気がでてきてしまいます。
感謝の気持は自然の徳で、人間は生まれたときからそれを持っているといえます。赤ちゃんは、母親の愛情ある行いが自然に分かります。赤ん坊は感謝の言葉を知りませんが、自然の本能で母の愛といたわりに甘えることによって感謝の気持を表しているのです。 このように、感謝の気持は生まれながらにして持っている自然に備わっているのですが、人間は年をとって大きくなると、次第に自分が、自分が、という気もちがでてきて、だんだん感謝の気もちが失せていきます。だから私たちの人生を通じて心の中に持ち続けようとするためには、それを養う必要があります。 他の人々の善意に対して自発的に感謝の気持を表すよう努力しななければいけません。
感謝祭の間、仕事も学校も休みだったのでちょっと時間があり、どんなことに感謝しているのだろうと考えてみました。
まず家族がいます。ぼくの奥さん、子供たち、親、兄弟などすばらしい家族に恵まれていることに感謝しています。それから英語で言うとExtended family、肉親ではないけれど、会社、学校などでの友人も大きな意味で家族です。こういった人達にも囲まれて生活をおくっていくことができるのも大変しあわせです。
次にはアメリカも日本もそうですが、平和な社会に生きているということはとても喜ばしいことです。世界中にはまだまだ自分の思っていることも言えず、戦争にまきこまれたり、秘密警察だとかギャングなどにおびえて生活をせざるを得ない人達が沢山います。われわれの生活が当たり前だと思ってしまいがちですが、実はとてもしあわせなことなのですね。
同じように普段は何も意識しませんが、目が見えることで美しい景色を楽しむことができる、耳が聞こえることで素敵な音楽を鑑賞することができる、足があるのでいつでもどこにでも行くことができる、手があるので日常生活を快適に過ごすことができる、などなど、よく考えて見るととてもすばらしいことです。
普通に生活していればこんなことはまず考えないのですが、たまにはこういった根本的な視点にたって物事を考えることも重要です。
何も「ありがとう」だけでなく「こんにちは」「いただきます」など相手に感謝を表わす大切な言葉は沢山あります。
人から聞いた話しですが、日本のある学校で母親が『子供に給食の時間、「いただきます」を言わせないで欲しい』という申し入れがあったそうです。その理由は、給食費をちゃんと 払っているのだからいいのではないかと言うものでした。また、ある人の体験談は、「食堂で、『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、別のお客さんに 『どうして?』と聞かれた。「作った人に感謝している」と答えると『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた。」との事だったそうです。
確かに理屈はそうかもしれない。しかし、今、もっとも大切な事が忘れられていると思います。それは相手を思いやる心、感謝の気持ちだと思います。
お金を貰っているとか、払っているとかに関係なく、自分が今生きていけるのも多くの人やものそして、社会の存在があるからだと感謝をし、有難いと思う。 その心の余裕と思いやりが必要です。
私は個人的にはみなさんには、まわりの人に思いやりをもって、明るくありがとう、と挨拶ができる人になってほしいと思います。
日本には、古くから茶道や舞芸のように決められた動作を生涯を掛けて繰り返し追求する文化が多くみられます。茶道というのはお茶を作る動作を芸術化したものといえますが、要は「お手前」といって、お湯を沸かして、お茶をいれて、これを人にふるまうことです。お手前は動作が決められているので同じ事を繰り返しているのですが、実は同じ御手前を100回しても、毎回違う感触が有るそうです。 現在でも継がれている茶道の元は千利休という人が確立したとされています。この人は豊臣秀吉のころの人なので今から500年近く前の人です。この人が最も大事にした言葉に「一期一会(いちごいちえ)」があります。これは『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』と言う意味です。これはお茶をたてるときだけではなく、なんにでも当てはめることができると思います。社会生活を送っていく上で、常にまわりの人達との付き合いを大切にして、感謝の気持ちを忘れずにすることで人生が一層楽しくなっていくことは間違いありません。
さて、話しはかわりますが、今頃の季節になると毛虫が田舎の道を横切っていくのをよく目にします。この毛虫の色がくろっぽいとその冬は厳しいものになるといわれています。そして、今年の毛虫はかなり黒いそうです。だからもしかしたら厳しい冬になるかも知れませんが、みんなの元気で寒さを吹っ飛ばして元気にこの冬を乗り切りましょう。



2011年11月 よいサマリア人
11月は日本のコヨミで霜月です。まさに読んで字のごとく、霜がおりはじめる月なので、霜月です。いよいよ冬も間近ということですね。
さて、去年からみんなにテーマ作文を書いてもらってきています。しばらくの間、毎月違うテーマで書いてもらってましたが、2学期からはちょっとやり方を変えて先生にも見てもらい、内容を充実させるようにしました。9月の作文のできはよくなってきていると思います。内容もみんなの気持ちがよく現れています。ところで9月のテーマで、この世にないといいもの、というのがありました。中には虫がいないといい、細菌がいないといい、蚊がいないといい、また災害がないといい、などなど、いろいろ確かにこういうものがないといいな、と思うようなものがあげられていました。ことしもいっぱい災害があちこちでありました。日本で起こった東北関東大震災による地震と津波の被害は大変なものだったのはみんなもよく知っている通りですね。これ以外にもハリケーン・台風・大雨・洪水など自然災害は沢山起こってます。われわれの住んでいる地球はできてから35億年たっているといわれていますが、ずっと生きていて、常に活動を続けているので、残念ながらこういう災害は避けることができません。災害などで被害を受けた人がいたときに、みんなでたすけ合うということが必要です。ぼくたちも日本の地震のときにガレージセールをして日本に寄付しましたことはよく覚えていると思います。昔からいろいろな話がありますが、ひとつお話をします。今から2000年前にイエス・キリストという人がいました。この人はいろんな話しをしていますが、その中に「善いサマリア人」という話があります。英語でGood Samaritanといい、皆さんもアメリカに住んでいるので、この言葉を聞く事があると思います。キリストはユダヤ人ですが、今から2千年まえのイスラエル地方にはいろんな種族が住んでいて、サマリア人というグループも一緒に住んでいました。彼らは違う神様を信じて、ユダヤ人とは仲が悪かったのです。あるとき、ユダヤ人の旅人が道で盗賊にあってしまい、お金や、持っているものを全部盗られてしまい、さらになぐる・けるの暴行を受けて半死半生の状態になって、道端にたおれていました。するとそこにユダヤ人の学者が通りかかったのですが、彼は旅人を見て、自分も盗賊にあったら困るから、と、そのまま通り過ぎてしまいました。 しばらくして別のユダヤ人が通りかかったのですが、この人も旅人にかかわりたくなくて、見てみぬふりをして通り過ぎてしまいました。次に通りかかったのはサマリア人でした。この人は旅人を見て、これは大変だ、と怪我の治療をしてあげて、次の町の旅館まで連れて行き、旅館の主人にこの旅人の宿泊費を払い、十分に面倒を見るようにたのみました。もし、お金が足りなかったら、またしばらくしたら立ち寄るのでその時にちゃんと全部はらいますとまで、言って去っていきました。
さて、この3人の態度を見て、だれが正しいことをしたでしょう? だれでもサマリア人が正しいと思いますよね。 キリストは他人を自分の事のように愛しなさい、と言ってます。キリスト教という宗教を信じるかどうかは人それぞれですが、困っている人を見たら、自分でできる範囲のことはしてあげる、という気もちがとっても大事だと思います。テーマ作文でだれかが、「人間の欲がなければいい」と書いてました。欲があるからけんかが起こったりするのですね。 なんでも自分が、自分が、という気もちをだれでも持っていると思いますが、みんなで社会を築いていくためには他人のことを同じように大事に思うことが絶対に必要です。
さて、来週の学習発表会をたのしみにしています。運動会のときにくばったリストバンドに書いてあるようにOne for All, All for Oneということで、みんなで協力して、いい成果をだしてください。



2011年10月 開校25周年記念
秋分も過ぎて一層秋らしくなってきました。 10月の朝礼は中2・眞鍋君の10月の言葉に次いで、5年生の研究発表で、内容は歴史上の人物の伝記についてしらべたものの発表でした。
10月生まれのお友だちの紹介があったあと、校長の話しで、しめくくりました。
一学期の最後にメットキャフスクールの校長と、ISUの代表者に来てもらい本校開校25周年の記念品贈呈式を行いました。 25年前の10月にに3人の生徒でスタートしていますので、今月でちょうど満25年経ったことになります。
一口で25年といっても、やはり大変長い間となります。その間延べにして千人以上の生徒がこの学校に入り、去っていきました。 最初のころにいた生徒たちはもうとっくに社会に出て活躍しています。 小中通じて9年間通った人、また、本の短い期間しかいなかった人たちもたくさんいますが、それなりに楽しい思い出ができたと同時になんらかの役に立ってきたものと思います。
ここイリノイにこの学校ができたのは、自動車工場の建設に伴い、駐在家族が大挙して移り住んできたことにはじまります。 この工場がイリノイ州に決まったのにはいろいろな経緯があるようですが、交通の要所にあることも大きな理由でしょう。
イ リノイ州について少し話します。 イリノイという名前は昔ここに住んでいたインディアンの種族の名前からきています。 先住民族のインディアンたちは何千 年も住んでいたようですが、ヨーロッパからの移住者が入ってきて、次第に人数が減っていきました。ヨーロッパ人ではフランス人が最初に来たようで、彼らが 種族の名前をこの場所の名前にしたのがはじめといわれています。日本との大きさと位置関係を示す絵を見てください。赤いイリノイ州の真ん中がブルーミントン・ノーマルですから、日本のだいたい青森県あたりになります。
イリノイ州出身のアメリカの大統領としてはリンカーン、グラント、オバマと3人の人がいます。大統領になる時はカリフォルニアの出身でしたが、もともとイリノイで生まれた大統領が一人だけいます。それはロナルド・レーガンという人で、この近くのユーレカ大学の出身です。そのあとシカゴカブスのアナウンサーなどをやってから、映画俳優になり、最後には大統領になった人です。 イリノイの州の花はスミレ(バイオレット)、鳥はカーディナル、木はホワイトオークという木です。一番大きな町はもちろんシカゴで、州都はスプリングフィールドです。ちょっとした豆知識で日本から来た人などに説明してあげてください。
さあ、あと一か月で学習発表会があります。みんなで協力してがんばりましょう。
また、これから次第に寒くなっていきます。風邪などひかないように健康にも気をつけましょう。



2011年9月 山崎直子さんの話し
9月は日本のコヨミでは長月といいます。次第に夜か長くなってくる季節でもあり、夜長月がつまって長月となったという説があります。今月の23日は秋分の日で、昼と夜の時間が同じになり、そのあとは明るい時間がどんどん少なくなっていきます。
一方、この季節は太陽と月との位置関係から北半球では月がもっとも明るく、きれいに見えるころになります。むかしから十五夜のお月さん、中秋の名月という言葉がありますが、旧暦の8月、今では9月の後半くらいが丁度この時期にあたり、満月の月見をする習慣が昔からあります。すすきを飾って、月見団子というおだんごとか、サトイモ・枝豆などをもって、そこにお酒を供えてお月様をながめるということをしたのです。 夜ゆっくりと月をながめるというのも、たまには落ち着いていいものではないでしょうか。中国・韓国ではこのころは今でも盛大にお祝いをするそうです。
月の話になったので、ちょっと宇宙旅行の話をしてみます。始業式のときにちょっと触れましたが、僕は夏休み中に宇宙飛行士の山崎直子さんの書いた「夢をつなぐ」という本を読みました。これは中学生の感想文全国コンクールの課題図書です。たしかに漢字もかながふってないので、低学年の人にはちょっと難しいでしょう。だからその内容をちょっと紹介します。
一口に宇宙といっても大きな意味ではすべての星などを含むとてつもなく広い空間のことも、いいますが、われわれの住んでいる地球からみればいわゆる大気圏・空気存在するところから出たところはすべて宇宙と呼ぶことになっています。地上から約100キロ以上離れたところはもう宇宙になります。昔から人間は空を飛ぶこと、さらにはお月様やもっと遠くの星にまで言って見たいという夢をもっていたようです。まず空に浮き上がったのは、今から250年くらい前に、熱気球で飛び上がったのが最初だそうで、次第に飛行機の発明などで、大気圏内の飛行が可能になっていきました。すると次に考えるのは宇宙に飛び出すことです。昔、アメリカはソ連という国と非常に仲が悪くて、お互いに戦争の準備を競い合っていたことがあります。このころ、宇宙、そして月に相手よりも先に行くことも競争していました。その結果今から50年前にソ連がはじめて人間を宇宙空間に送り出して、先行しました。アメリカも一歩遅れをとりましたが、今度は絶対に月には自分の方が先に到達するのだという目標を掲げて、1969年にアメリカのアポロ11号が月面着陸を成し遂げて、無事に地球に帰るというこができました。 アポロ計画はその後何度か月面に人を送っています。しかし、月に人を送るのはものすごいお金がかかります。そのわりには得るものが大したことがないことが次第に分かってきて、宇宙開発は次第に形を変えていきました。
今は宇宙、といっても地球の周りをぐるぐる回る軌道に乗って、人間の社会的な生活に役立つためのいろいろな研究をすることが主な目的となってきています。
いずれにしても大きなお金がかかるので、幾つかの国が一緒に開発を行うようにもなってきています。 宇宙空間に大きな国際宇宙ステーションをいうものを作って、その中に幾つかの国から派遣された研究者が長期に滞在して、いろいろなことを行っています。日本もきぼうという名前の実験棟をこの宇宙ステーションにつなげて、研究に参加しています。
この宇宙ステーションと地球との往復をするのに、アメリカはスペースシャトルというものを使っています。
山崎直子さんはこのシャトルに乗って宇宙に飛び出した宇宙飛行士の一人です。今から25年前にチャレンジャーという名前のシャトルが打ち上げ直後に空中爆発をして、ばらばらになってしまうという大事故がありました。この打ち上げから事故に至るまでが世界中にテレビの実況中継で流れていました。当時15才だった山崎さんはこのニュースを見て、当然ものすごいショックを受けました。そして、飛行士の中に小学校の先生で女の人がいたことを知りました。あとで、その女性飛行士が昔から宇宙飛行士になる夢を持っていたことを知り、山崎さんも将来、自分も宇宙に行って見たいと思うようになったそうです。この本では山崎さんのその後の夢に向かっての努力、苦労、楽しかったことなどが、つぎからつぎへと紹介されています。宇宙飛行士といってもだれでも希望すればなれるものではありません。何万人もの希望者の中から選ばれた人達だけがその候補者になれるので、多少ラッキーなところもなければいけないでしょうし、勿論勉強もしないとだめですよね。また、回りの人達のサポートも絶対に必要です。 山崎さんの場合には、東大の工学部に入学しているということですから、勿論頭はよかったのでしょう。しかし、宇宙に行きたいという明確な目標を持って、そのための勉強をするという強い意志があったと思います。 大事なことはやはり自分で夢を持ったら、それを実現させて見ようという意思と態度だと思います。それから、ご主人と娘さんのサポートが山崎さんを夢の実現に結びつけたそうです。宇宙飛行士となることが決まってから、実際に宇宙に飛び出すまで、11年もかかっています。この間は、大変激しい訓練と、勉強、さらにコロンビア号の空中分解事故という大惨事による、シャトル計画の一時中断で何年も待たなければならなくなるなど、意思の弱い人だったら途中で投げ出したくなるかも知れないような、いろいろなことがありました。こういったことに負けなかったということをみなさんも、学んでください。
ところで、ひとつ本には書いてありませんが、さっきも言ったように、宇宙飛行士になれるのはほんの一握りの人達だけです。山崎さんといっしょに勉強して、がんばったけれど、結局自分たちの夢がかなわなかった人達も沢山います。でも、それはそれでいいのです。あくまでも夢の実現に向かって努力することで、たとえそれがかなわなくても、必ず自分の大きな財産になります。他の分野、他のことがらでこれらの努力が必ず役に立つものです。ですから、決して失敗を恐れずに、自分の思ったことをやり遂げるようにやっていってもらいたいと思います。
ところで、アメリカのシャトル計画はこの7月に打ち上げたアトランティス号が最後の飛行になりました。今後の宇宙開発がどのように進むのかはまだはっきりと決まっていません。シャトルの一回の飛行に15億ドル以上のお金がかかるというそうですから、そう簡単にどんどん宇宙に飛び出るということはなさそうですが、そのうち月だとか、他の惑星に向かっての有人飛行などが考え出されるかも知れません。
テレビのスタートレックだとか、アニメ、映画などでも宇宙を舞台とした話は沢山あり、それぞれに面白いですね。科学が進歩していくと将来、宇宙旅行ももっと簡単にできるようになる時代がくるかも知れません。みなさんが大人になったころには今とはまた違っていることでしょう。それぞれの夢を実現するようにがんばってください。

2011年6月 メモリアルデー 昔のことから学ぶことなど
6月になると気温も次第にあがってきて、もう夏もそこまで来ているという感じがします。今週の月曜日はアメリカではメモリアルデーという休日でした。アメリカの政府が休む休日は全部で10日ありますが、そのうちの一つで大事なお休みということです。メモリアルは「なになにを記念する」というような意味をもっていて、もともとはメモリーという言葉からきています。メモリーとは記憶ということですね。 このメモリアルデーは何を記念しているかというと、戦争で亡くなった人達のことです。すなわち、これらの人達の大きな犠牲を決して忘れてはいけません、みんなで感謝の気持ちをもちましょう、という特別の日になります。われわれの住んでいるアメリカそして日本、ともに今自由で平和な国になっています。これは自然にそうなったのではなくて、ある時期に理想を持った人々が戦いとったものです。要するにこれらの人達の大変大きな犠牲の下で、われわれは平和を、また自由を楽しむことができているので、これを忘れないようにしましょうと、いうことです。今のアメリカの軍隊は全て志願、すなわち自分から進んで兵隊になるという人だけでなりたっています。いやだったら行く義務はありません。兵隊になるということは大変な危険を伴っているわけです。さっき言ったように、戦争で亡くなった人達が自分の国を守るために戦ったのですが、亡くなった方々だけでなく、戦場に行って怪我をする人、精神的なダメージを受ける人、また家族と長い間離れ離れになってすごさなければならないという、大きな犠牲を払っているのが兵隊さんたちです。このメモリアルデーは、昔軍隊に行った人、今兵隊となっている人達にも感謝の気持ちを持ちましょうといことです。
われわれの暮らしている現在の世の中は大変移り変わりが激しい時代です。人間は都合のいいことは結構覚えているのですが、都合の悪いことは忘れがちです。このスピードの時代に昔のことなど、いちいち覚えていられないと、いうのもなんとなく分かるような気がしますが、覚えている必要のあるもの、そうでないものとあって、決して忘れてはいけないことが結構あるわけで、この辺の判断をしっかりとしておく必要があります。
今年の3月11日に日本の東北地方を襲った地震・津波の被害はみなさんもご存知のとおりです。特に津波がこんなに恐ろしいものとは、海辺に住んだこともないわれわれには想像も付かないものでした。多くの町、村が全滅に近いほどになってしまいました。そんな中で、岩手県の普代村という海に面した村では一人の死亡者も出さず、一軒も水の被害を受けなかったそうです。これは25年以上前に作られた高さが15.5メートルの防潮堤と水門があったおかげです。他の村・町でも同様に波を防ぐための壁や水門が作られていたのですが、高さがせいぜい数メートルから10メートルちょっとで、今回の津波のように高さが14メートル以上もあるものに対して役に立たなかったわけです。この普代村の水門が作られた際にはなんでそんな馬鹿みたいに高いものを大金を出して作るのかという疑問が多く寄せられたそうですが、当時の村長が明治時代に襲った津波の高さが15メートルあったという話を聞いていて、これ以下では絶対に役に立たないと、意見を変えなかったそうです。
昔に学ぶということ、そして大事なことは忘れないということ、このメモリアルデーに際してこういった気持ちをいつも持っていてください。
さて、来週は運動会です。みんなにリストバンドを配りました。本当は赤・白それぞれ分けたかったのですが、そのためにはそれぞれ百個作らないとだめだったので、一種類にして両方を、そしてわれわれ教師もできるように青も加えて作りました。ここに書いてあるのは去年の生徒会のモットーでもある、One for all,all for oneという言葉です。一人はみんなのために、みんなは一人のために、ということです。むしろ後のほうのワンは一つの目標というように思ったらいいかもしれませんね。 これはフランスの小説の三銃士という話の中で使われています。いい言葉ですよね。まさにみんなで一緒にがんばろう、ということで、運動会にもってこいのモットーだと思います。

2011年5月 朝のリレー
5月は日本の暦では皐月で、もともと早苗月、すなわち田植えをする月とい言う名前が短くなって「さつき」となったそうです。春から初夏にかけて植物がどんどん生長する季節といえます。花が咲き始めると、花の蜜を求めて昆虫が活動をはいめ、その虫を求めて鳥が活動をはじめます。自然界が一斉に動きはじめる感じがします。日照時間が長くなり、日に日に温かさが増してきています。
地球は太陽から絶え間なくエネルギーを得ています。その熱は大気や海水を暖め、あらゆる生物が生きていける最適の条件を作り出しています。その光はわれわれに昼間の明るさをもたらすだけでなく、植物に大切なエネルギーとなります。
植物は人間にとってとても大切なものです。先ずこれらを食べることで人間にとって栄養となり、エネルギーの元となります。中には薬になるものもあります。 木を切って材木として建物・家具の材料になり、紙の材料にもなる。 また、わた・麻など繊維としても利用し、油の材料でもあり、これを燃やせば燃料となります。木がいっぱい生えていると防風林として、また土砂崩れを防ぐなど、自然災害から守ってくれます。さらに大事なことは植物は酸素を作ってくれています。以前酸素を発見したジョセフ・プリーストリーの話をしましたが、この人が発見した通り、植物は過去6億年に亘って酸素を作り続けてきたおかげでわれわれが生きていくのに必要な最適の条件を作り出したと言えます。
さて、われわれの住んでいる地球ですが、太陽のエネルギー、太陽との距離、月の働き、大気の存在、海水の存在とその動きなど、自然の条件がうまくバランスしているのですが、これが少しでも狂うと大きな影響がでてきます。今、大きな問題として取り上げられていることに地球温暖化ということが言われいます。地球が少しずつ暖かくなっていて、このままだと氷河が溶けて地球上の海水が増え、海面が上昇して世界中に大きな問題を起こす危険性があるというもので、その原因を人間が作っている、というものです。これらの問題については皆さんがそれぞれ調べて自分の意見を持つようにして欲しいのですが、地球上の問題は全てわれわれの問題です。みんなで自然の条件を悪くしないようにする努力が必要ですね。 われわれひとりひとりは小さいけれども、みんなの心がまとまっていると、集まって大きなことをすることができます。スイミーの話しを知っていますよね。小さな赤い魚たちが集まって大きな魚の形をつくり、それまで小さな魚をえさにしていた黒い大きな魚を追い出すことに成功しました。
谷川俊太郎という人が書いた詩に「朝のリレー」という作品があります。
カムチャッカの若者が きりんの夢を見ている時
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女がほほえみながら 寝返りをうつとき
ローマの少年は頭柱を染める 朝陽にウインクする
この地球では いつもどこかで 朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ 経度から 経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき 耳をすますと どこか遠くで 目覚まし時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受け止めた 証拠なのだ
 
地球はひとつで、みんなで守って行くものだということですね。
われわれの生きている世界は常に活動して変動しています。0しかし未来は予測するものではなく、創造するものです。こういうダイナミックな世界に生きていくことはとても幸運だといえるのではないでしょうか。


2011年3月 平成22年度卒業式
この日は一年のはじめの入学式・始業式の日と同じくらい私にとってもうれしい日です。 一年間が終わった大きな節目の時ですね。ほんの少し前にこの講堂でみんな胸を膨らませて新しい年を迎えたように思えますが、時間が経つのはほんとに早いものです。 さっきみなさんに修了証書と卒業証書をお渡ししましたが、みなさん立派にそれぞれの学年の学習を修了したということをわれわれ先生たちが認めたものです。 勿論卒業生は、きちんと小学校の課程を修了して、次の段階である中学校へ進んでもいいですよということです。 僕はもう50年以上も前に小学校を卒業しましたが今でも卒業式のことはよく覚えています。 実は僕の行っていた小学校では制服があって、一年中半ズボンだったのです。 卒業して一番うれしかったのは中学生になると長ズボンがはけるということでした。もうひとつ、小学校時代は夏の水泳の授業では男はみんなふんどしをしめさせられていました。ふんどしといっても知らない人が多いかもしれないけど、ちょうどおすもうさんの締めているまわし、ってありますよね。 あんなもので、赤いふんどしが水泳着だったのですが、中学生になるとパンツにかわったのです。これも、うれしかったですね。 話しがそれてしまったけど、要は中学生になるとかなり大人に近づくということが言えるのじゃないでしょうか。この補習校では小6から中一へといっても同じところへ来るわけだし、上級生も下級生も同じ顔ぶれだし、あまり変化がないように思えるかも知れませんね。 でも、中学生になるということはとても大きなステップを踏むことになります。 まず勉強のレベルが高くなります。 でも急に難しくなるという意味ではなくて、今まで積み重ねてきた知識をベースにして、より高度な内容を詳しく調べていくということになります。 みなさんは現地校での勉強に加えてのこの補習校通いだからふたつの学校に通っているわけですね。 現地校でも学年が上がると勉強の内容が高度になっていきますので、それだけみなさんの負担は大きくなるのですが、みなさんの頭の中はとっても大きな入れ物がありますのでどんどん吸収していくことができます。恐れないでぶつかっていってください。
次に、みなさんは中一の間にティーンエージャーになります。ティーンエージャーというのはまず響きがいいですね。 一般にはティーネージャーというと、悩み多き時期、まただんだん自分というものを深く考える時期で、親とか大人の言うことに反発を感じることが多くなったり、人見知りをしたりという傾向も見られたりするといわれます。 でも、十代の特にティーネージャーになってからのこういった悩みなどは大人への成長過程を順調に歩んでいるということがいえるのではないかと思います。 同時に人生を通じての心からの友人というものが、このころから次第にできてきます。 そこで前にもいいましたが、今までにまして友達の輪を広げる努力をしてもらいたいと思います。 いままであまり話したことのなかった人に声をかけてみてください。 もしかしたらとっても仲のいい友 達にめぐりあうかも知れません。 これは現地校でもいっしょです。 そうしてどんどん知り合いの輪を広げていくことが自分にとって大きな財産になっていく でしょう。 そして、新しいことにチャレンジするということは他のことにもあてはめられます。 自分の好きなことにかたまらず、安住感から抜け出て、 ちょっといやに思えることにも積極的にチャレンジするという気持ちは大事です。
ひとつお話しをします。 むかしセレンディップとよばれた国がありました。これはペルシャ語で今のスリランカのことです。スリランカとはインド洋に浮かぶ小さな島国です。この国の王様に3人の子どもがいました。王様はいずれこの王子たちに王様の座をゆずるつもりで、小さいころから立派な家庭教師をつけたりして教育に力を入れました。それにこたえて王子たちは順調に育っていきました。 それでも王様はまだまだ学ばなければいけないことが多いと、彼ら3人を外国に修行に出しました。 知らない国に行った王子たちは道を歩いていたところある商人に会いました。この商人は自分のもっていたロバがいなくなってしまったのですが、歩いてきた王子たちにロバを見なかったかと聞きました。これに答えて、王子たちはロバが足が不自由で、片目で、子どもがおなかにいる婦人を乗せていたのではないか? といいました。これらが全てあたっていたので、商人はこの3人の子どもたちが自分のロバを盗んだのに違いないと思い、その国の王様に訴え出ました。王様の質問に対して王子たちは歩いていた道の状態を観察した結果これらのことが分かったと説明し、しばらくしてロバが見つかったことから王子たちがロバを盗んだという疑いが晴れたのですが、王様は非常に感心して彼らを自分のアドバイザーとして使い、その後とっても役に立つことになりました。 そのあと話はいくつものアドバイスで王様を助けたあと、自分たちの国に戻って父の国王のあとを継いでハッピーエンドで終わります。 この話しをもとにイギリスの作家がセレンディピティーという言葉を作りました。この意味は何かを探しているときに、探しているものとは別の価値のあるものを見つけ出すことということです。よくあるラッキーというのとちょっと似てます。例えば棚からぼたもち、いわゆるたなぼた、だとか英語のwindfall profitなどは思っていなかった幸運が舞い込むことですが、こういうラッキーではなくて、先ず何かを捜し求める努力があります。その上で結果が思ったものと違ったときに、それを失敗と捨ててしまわないで、よく調べて見るというさらなる努力が必要です。これがセレンディピティですね。 ボクシングでラッキーパンチという言葉がありますが、これは本当はラッキーじゃないのです。ある有名なボクサーは「ボクシングにラッキーパンチはない!! 結果的に偶然当たったパンチにせよ、それは練習で何百何千と振った拳だ。 その拳は生きているのだ」と言ったそうです。
現代科学の世界ではこういったセレンディピティによる発見がたくさんあります。
フレミングによるペネシリンの発見、ノーベルのダイナマイト、レントゲンによるX線の発見、キューリー夫妻のラジウムの発見、その他ペーパークリップだとか、ポストイットメモ、電子レンジ、他にもっと難しい分野での発見をあげるときりがありません。 これらはもともとは別の研究作業中に間違ってできたものでした。これを失敗と捨ててしまっていたら世の中の発展はもっと遅れていたでしょう。
われわれの心が望んでいれば、すべてのものは開けてくる。 とか、チャンスはそれを受け入れる心を持っているもののもとにやってくる。という言葉があります。 要は自分からいろんなものに興味を持って、観察するという努力が必要です。 そして、結果が思うように行かなかったときにその場であきらめず、どうしてそういう結果になったかと、さらに調べて見るという姿勢が大事ですね。
卒業は英語ではgraduationですが、卒業式はcommencement ceremonyといいます。みなさんは、これから大きなステップを踏み始めます。その際に心を広くして、いろいろなものに興味を持って、自分の道を築いていってください。
さて、この一週間は日本の地震・津波のニュース一色でした。自然の威力が人間の想像を絶するほど大きなものだということをまざまざと見せ付けられました。非常に多くの方々が命を落とされとても悲しい結果となっています。 家族・知人を失った人達、さらに家をなくされた人達の一刻も早いリカバリーを祈ります。また関係者の必死の努力にもかかわらずなかなか好転しない原子力発電所の状態も最悪の事態を早く脱して欲しいということをみなさんといっしょに祈りたいと思います。
こういう一大国難の中超多忙の毎日を過ごしていらっしゃる福永領事にはわざわざお越しいただき心よりお礼申し上げます。
最後になりましたが、卒業生のご両親・ご家族のみなさま、本日はおめでとうございます。毎週土曜日の送り迎えをはじめ、ご家庭でのお勉強の相手、その他お疲れ様でした。また学校の各種行事にお手伝いいただいて大変お世話になりありがとうございました。


2010年12月 The Man and the Birds
2009年に亡くなったアメリカのラジオのニュースキャスターでPaul Harveyという人がいました。彼は50年以上ラジオでウイークデーのニュースショーを担当した有名な人です。特に”The Rest of the Story”という文句は彼の看板でもありました。 この話はPaulがある日紹介した有名なもので”The Man and the Birds”という、クリスマススピリットを話にしたものです。
 
クリスマスイブのことでした。ある農夫の話しです。彼は仕事熱心なまじめな人でした。しかし、彼はクリスチャンの信仰には疑問を持っていました。彼にはキリストが神の子でこの世に人間を助けるために来たということはどうしても信じられなかったのです。その夜、奥さんと子どもたちは教会でのイブのサービスに出かけましたが、彼は一人家に残ることにしました。しばらくして雪が降り始めました。彼は窓から外を見ると雪は次第に強くなっていきます。暖炉の前に戻った農夫は新聞を読みはじめました。すると窓でなにかぶつかる音がします。だれかが雪の玉を投げつけているかのように思えたので、窓のところに行って外をすかして見ると、激しい雪の中で鳥の群れが突然の雪に逃げ場を失い、シェルターを探していて農家の窓に向かって飛び込もうとしているのでした。農夫はこの寒さの中で鳥たちが行き先を失っているのを見て、なんとか助けようと考えました。ちょうど家の後ろのほうに納屋があるのを思い出し、そこに鳥たちを導いていけば嵐が収まるまでのシェルターになるだろうと、早速コートを着て外に飛び出しました。納屋に行ってドアを大きく開け、明かりをつけました。しかし鳥たちは見向きもしません。そこで家に戻りパンをとって戻ってきてパンを小さくちぎって、納屋のほうに向かってえさをばらまき、鳥がえさを求めていくように仕向けて見たのですが、まったく効果がありません。農夫は口笛を吹いたり、手を振って納屋のほうに追うようにしてみると、鳥たちは散り散りに逃げていってしまいます。そこで農夫は気が付きました。要するに鳥たちは彼のことを怖がっているのだと。自分は鳥たちを助けようとしているということを、鳥たちになんとか伝えることができないだろうか、自分を恐れさせないことができないだろうか、といろいろ考えました。「自分が鳥だったら、鳥たちと話しができる。そして彼らを恐れさせることなく、安全な、暖かい納屋に誘導していくことができる」のに、と思ったのです。ちょうどその時、教会の鐘が鳴りはじめました。農夫はそこに立ちすくみ、クリスマスの喜びを伝える鐘の音に聞き入り、思わず雪の中に膝まづいたのでした。



2010年12月 算数の話し
今までこの朝礼で言葉・日本語・国語がわれわれ日本人にとっていかに大事か、そして日本語の中で漢字の重要性ということを何度も話してきました。この補習校でも国語に大きな時間を割いて授業を進めています。 一週間に一日しかないので全部を国語に使ってもいいくらいに重要なのですが、われわれは算数・数学も教科に入れています。 世界中に補習校は約180ほどありますが、そのほとんどの学校が国語と算数を取り上げています。なぜでしょう? 現地校でもマスの授業があるし、内容は基本的にほぼ同じようなものをやっていますから、なにも補習校で算数とか数学を勉強しなくてもいいのでは?という考え方もあります。
人間は集団の中で生活をしています。 集団生活を行うためには言葉が必要です。 いつのころか分かりませんが、人間は自分の気持ち、感情を他人に伝える手段として言葉を使い始めました。 そして言葉を使うことにより、自分の心理を明らかにすることができるようになり、さらに知能が発達させることができたということができます。 だから言葉は文化だということができます。 さて集団生活がいっそう発達してくると共同で食料を確保することを始めます。畑を作り、季節を調べて種をまくときから収穫の時期を知り、出来た作物を取引することなど、が次に必要になってきます。 これらの作業には計算が必要なんです。 すなわち、土地の広さの測量が必要になります。また、太陽・月・星の動きを調べて、四季の移り変わりをベースに暦を作りました。そして商売とか取引では計算が必要になります。 ということなどが、今われわれが小学校で習う算数の元になっているといえます。 これからも分かるように、人間生活において算数というのはとても大事なものだということが言えます。 現地校でも同じようなものを習っていますが、いずれ日本で生活をすることを前提とした補習校のカリキュラム作りでは、算数の日本語の言葉を覚えてもらうこと、日本独自の九九を覚えてもらうこと、さらに国語授業の補完の意味も含めて、みなさんに算数も勉強してもらおうということにしています。
日本語の数学という名前は英語のMathematicsの訳語で明治時代に作られた言葉です。数を扱う学問ということです。 一方、マセマティックスはギリシャ語のマテーマタがその語源です。 マテーマタの意味は知識、とか学ぶ、ということで、直接数学とか計算とかいう意味ではないのですね。実際に数学というのはただ計算することだけではなくて、いろいろなものの本質を順序だててきちんと整理して結論を導き出すところに大きな意味があります。 ちょうど、推理小説で、たとえばシャーロックホームズという名探偵がいますが、現場に残されていた証拠をたんねんに調べて、それをもとに推理して犯人を探し出す、という筋と似ています。
日本でもアメリカでも、早い段階で人を理工系か、文化系か、と二つに分けてしまいます。そして高等数学は理工系の人達だけが勉強する制度になっています。そういう制度になってしまっているので仕方ないのですが、問題は、文系を選んだ人達の中には数学や物理がきらいだから、わからないから、理工系には行かないという選択をするケースがけっこう多いと思います。 もちろん、文学が大好き、法律が大好き、ということで文系を選ぶ人も多いでしょう。
どういう選択をするにしても、数学をあたまから拒否するのではなく、どういうことを学ぶのか興味を持って見て見てほしいと思います。 フローレンス・ナイチンゲールという人の名前を聞いたことがありますか。 この人はイギリス人で看護婦として有名な人です。それも戦争で敵味方が入り乱れて戦っている戦場で負傷した兵士を助けるために自ら進んで行って献身的な看護をしたことから、クリミアの天使と呼ばれています。 この人は看護婦であると同時に立派な統計学者です。統計学は数学の一部門ですが、負傷した兵士に対する治療方法、戦場の病院の衛生状態、などを調べて、これをよくする方法を科学的に考えて大きな効果をあげました。 その他にも有名な芸術家で科学的な面でも功績をあげた人は数多くいます。今日の話しは算数・数学が大事だということもありますが、一番言いたい事は、早い段階で自分は文科系、わたしは理工系と、いうように決めてしまわないで、幅広い考え方をもっていろいろなことに興味を持ってもらいたいということです。


2010年11月 青い鳥を求めて
明日はハロウイーンですね。 お菓子をもらいに出かける人もたくさんいることでしょう。
はやいものでもう11月になります。 もうあと2ヶ月で今年も終わってしまいます。 みなさんの今年の目標の達成度はどうですか? 締めくくりが近くなってきているのでやっていないことがあったら今からでもがんばらないと時間がなくなってしまいますね。
10月のテーマ作文をみんな読みました。 素直に自分の気持ちを表す文章が多く、大変よくできていると思いました。
さて、来週の学習発表会はとても楽しみです。 多少間違っても全然問題ないから、元気に精一杯やって、そして楽しんでください。
発表会では劇をやるクラスがいくつかあります。 教科書にのっている物語、または童話などからとる場合もあります。みなさんが読む物語にはいろいろな種類があります。 民話、伝説、神話、寓話、さらに新しくつくられたものなどで、子ども向けの物語は童話とか、児童文学と呼ばれています。 寓話というのは話しを通して教えを伝えようとするものです。 たとえば、うそはついてはいけない、とか欲張ってはだめ、他人に親切をすればいつか自分にもいいことが帰ってくる、とかいうことをわかりやすく書いているもので有名な作家としてギリシャのイソップという人がいます。アリとキリギリス)、すっぱい葡萄、ねずみの恩がえし、などが有名です。日本語ではむかしばなしという言葉がありますが、古くからずっと前から言い伝えられてきたお話しをわかりやすく書き直したものがいっぱいでてきています。 日本でも古くから言い伝えられてきた話しがたくさあります。 桃太郎、金太郎、浦島太郎、花さかじいさん、さるかに合戦、 ちょっとあげただけでもみなさんの知っているものもありますね。 最近の話では、となりのトトロ、風の谷のナウシカなどのアニメ作品がありますね。
ヨーロッパの有名な童話作家としては、グリム兄弟、ペロー、アンデルセンなどがいます。アンデルセンはマッチ売りの少女、人魚姫、醜いアヒルの子、などでみなさんも知っているものも多いでしょう。 グリムは白雪姫、ヘンゼルとグレーテル、赤ずきん、灰かぶりなどが有名です。 灰かぶりとはシンデレラのことです。 シンデレラというと日本にも落窪物語という話があって、非常に話の筋が似ています。 このように昔話は世界中で同じような話があります。 ということは世界中がどこかでつながっているという証拠ですね。
いろいろある中で僕の好きなのはメーテルリンクの青い鳥です。 この話しはチルチルとミチルが眠っているあいだの夢です。 その夢に夜の女王が出てきて青い鳥を探してほしいと頼みます。 そこで二人の子供はまず訪れた「記憶の国」で最初の青い鳥を見つけますが、これは籠に入れたとたんに黒い鳥になってしまいます。次の「夜の国」ではたくさんのの青い鳥をみつけるのですが、つかまえると同時に死んでいってしまいます。見えているのにつかまえられない。つまりは、籠に入れても、つかまえるだけでも、ダメなのですね。そのあといくつかの国にいくけれどもどうしても青い鳥をつかまえることができませんでした。
夜の女王との約束ははたせなかった。チルチルとミチルはしかたなく家に帰っていく。
そこで目がさめ、隣のおばあさんが駆けこんでくる。自分のうちの病気の娘がどうもチルチルの家にいる鳥をほしがっているらしい。
すっかり忘れていた自分の家の鳥を見にいくと、それはなんと青い鳥になっている。なんだこんなところにいたのかと、二人がその鳥を娘のところへもっていくと、娘の病気がよくなった。
よろこんだ3人が、よかった、よかったと鳥に餌をあげようとすると、青い鳥はさあっと飛びたち、どこかへ逃げていってしまいました。ここで私たち読者があとどうなるのかな、と考える番です。 こういう話の作り方がとても上手だと思います。
さて、幸せですが、人間にとって大事なことですね。 インドで一生を貧しい人のためにささげたマザーテレサの幸せに関することばを最後にみなさんに聞いてもらいたいと思います。
今、この瞬間幸せでいましょう。
それで十分です。
その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。
今、幸せであるようにつとめましょう。
他の人をーあなたより貧しい人々も含めてー愛しているのだということを、行動によって示すことで、彼らを幸せにすることができるのです。
たくさんのものが必要なわけではありません。
ただ、微笑みかけてあげるだけでいいのです。
だれもが微笑むようになれば、世界はもっと素晴らしい場所になるでしょう。
ですから、笑って、元気を出して、喜びなさい。
神はあなたを愛しているのですから。


2010年10月 社会生活について
10月は日本のこよみでは神無月といいます。 日本中の神様が出雲に集まって会議をするので神がいない月というのがその語源だといわれています。昔からやおろずの神という言い方があります。 八百万と書いてやおろずと読みます。 神様が八百万もいたということでしょうか。 いずれにしても沢山の神様がみんな会議で集まってしまうので日本中には神様がだれもいなくなってしまうのですね。
さて、10月1日は日本では衣替えの日になります。 僕が昔通っていた学校でも夏服と冬服とそれぞれ制服が違っていて、10月になると冬服に替えたものでした。 秋分の日も過ぎて、ちょうど季節の変わり目ということですが、みなさんも体に気をつけてください。
補習校の学習発表会もあと1ヶ月になりました。 各クラスでの準備もそろそろはじまっているようです。 学習発表会は文字通り、日ごろ学習していることの発表をする場と言うことです。 呼び名は文化祭とか、学芸会とか学校によって違いもありますが、これらは日本の学校では重要な行事として位置づけています。 その成功のために、仲間との間で共同作業に邁進する事ができ、要は強い連帯感が生まれます。 そして達成感を強く感じることができる行事といえるでしょう。 何度も練習を重ねていくうちに自分なりのアイデアがでてきたりすることもあり、これらを織り込んでいくことができます。 自分の意見を持つということは大変重要なことです。 そしてそれらをまとめてみんなの前で発表することも大事です。
われわれは社会の中で生活をしています。 社会の中にはいろいろなチーム・グループがあります。 家族、学校、会社、クラブ、地域社会、国、そして地球など、それぞれが人間の集まりとして存在しています。 人間は本来はとっても自分勝手です。 その本能にまかせておくと社会はばらばらになってしまいますね。 共同社会をうまくやっていかせるためには他人に対する「いたわりの気持ち」「愛情」「信頼」などの気持ちを持つことが大事です。 これらは自分から取り込んでいかないといけません。 みなさんの体の中でもいろいろなものが、それぞれの目的を持って動いているので生きていくことができます。 心臓などの内臓器官、血液、骨、つめ、髪の毛、これは僕の場合ちょっと少ないけど、いずれにしてもそれぞれが大事な役目をしていることは分かりますね。 このように人間が生きていくためには、その構成しているものがきちんと働かないといけないわけです。 人間は本来自分勝手です。 みんなが本能にのみ従って行動をしたら社会はめちゃくちゃになってしまいます。 他人の痛みを感じること、たとえばだれかが転んで怪我をしたときに、あぁいたいだろうな、と感じること、また他人にいたわりの気持ちを持つこと、愛情を持つこと、これらは自分から取り入れないと自分のものになりません。 こういった努力をするようにしてください。そして社会の一員としてすばらしい結果をもたらすようにしてほしいと思います。 さあ、それではこれから1ヶ月みんなでいっしょにいいプログラムを作っていくようにがんばってください。 大いに期待しています。


2010年9月 漢字について
9月は長月といいます。 夜が長くなってくる季節なのでそういう名前になったのでしょう。また寝覚め月という名前もあるそうです。 なぜか朝目覚めにくくなってくる今日この頃です。 
さて、先ほど漢字大会の結果の発表をしました。 結果が着実によくなっていますね。 みなさんの努力の成果です。 引き続きがんばってください。 
漢字は日本語にとって大事なものです。 切っても切れない関係にあるといえます。 もともと日本には独自の文字はありませんでした。 大昔の話ですよ。 と、いっても日本語がなかったのではなくて、書くということをしなかったのです。 文字がないからといって日本語が劣っているということではありません。 たとえば古代ギリシャの有名な哲学者ソクラテスは文字に頼ると記憶力が減退するし、文字で書かれたものは弁舌よりも説得力が劣ると考えそうで、文字の重要性に対する認識が違っていたことはあるでしょう。 世界中には現在4000ほどの言語がありますが、文字体系はとってもそんなにはありません。 今でも文字を持っていない言葉はたくさんあります。 まして今から2000年も前のことなので、日本に文字がなくても不思議ではありません。 そして、ある時期になって日本に漢字が入ってきました。 今から1700年ほど前くらいから次第に入ってきて、これを日本語を書くときに利用するようになったのです。 漢字は中国の文字です。 一番古い文字は今から約4500年前に出来たといわれています。 これが日本にもたらされたころには既に2000年以上も使われていたことになるので、文字体系としてはすでにしっかりと出来上がっていたものです。 当時の日本人は漢字は取り入れましたが、中国語、正確には漢語ですが、これは取り入れなかったのです。 漢語と日本語とはまったく異なった言語で、それらの発音方法、言葉の組み立て方、などがぜんぜん違っています。 おそらく最初に漢字の読み方、音、を利用して日本語を書く際に使用しはじめたのが最初でしょう。 もし、となりの国が中国でなく、ローマ帝国だったらローマ字が入ってきて、これを利用することになったのかも知れません。  
漢字の読み方に音読みと訓読みがあります。 音はもともと漢字の持っている発音をベースにした読み方です。 一方訓読みの訓の訓読みは「よむ」で、は漢字の意味を持った読み方、それも日本語の意味を表す読み方ということがいえます。 これはわれわれは普通に何も考えず当然と思っていますが、実は大変なことです。 たとえば山という字が漢字でもたらされました。 これは音読みでは「さん」です。 一方日本語では山のことを意味する「やま」という言葉があったので、漢字の「山」を「やま」と読むようにしたのです。これが訓読みですね。 なぜ大変なことかというと、たとえば英語のMountainという文字が入ってきたとしたら、これをマウンテンともよみ、またヤマとも読むことにしたというのと同じです。 さらに例えをいうと、Dogをイヌ、Catをネコと呼ぶのと同じです。 とっても乱暴なこと、のように見えますね。 こんなことは世界中のほかの言葉ではみられないそうです。 でもそれが今われわれはとても便利に利用しているわけです。
ところで、今ひとつの文章をいいます。 「11月3日は文化の日で祝日です。 今年は日曜日です。」 今年は日曜ではありませんが、例としてあげています。 この短い文章の中で日、にちという字が5回出てきます。 そしてその読み方が全部違います。 普通の日本人は、これを見た瞬間になんの抵抗もなく全部読み分けることができます。神業みたいなことを普通にやっているのですね。、他にも同じような例がたくさんあります。 会話をしているときも日本語の場合は相手の言っている言葉を一瞬にして文字に置き換えて、その意味を理解しているケースが多くあります。 なぜなら日本語は音節が非常に少ないため、同じ発音の言葉がたくさんあり、話の前後のつながりから理解できる言葉もありますが、中にはそれだけではわからずに漢字に置きなおして意味を理解するケースがよくあり、これらがそれこそ一瞬のうちに判断されているのです。 このように漢字と日本語とは切っても切れない関係にあるということがいえます。 小学生・中学生のうちに習う漢字で普通の文章を読み書きしたり、会話をしたりすることができるようになるので、この学校でも漢字をひとつの重点課題として考えています。 日本語は漢字を覚えなきゃいけないから不公平だ、というように感じるかもしれませんね。 でも英語では単語のスペルを覚えなければいけないから、同じことです。 だから先生が多少うるさく漢字・漢字というかも知れませんが、今のうちにがんばって習得するようにしましょう。


2010年6月 月の話し
先月は地球の話しをしました。 われわれは毎日当たり前のように生活をしていますが地球は生き物が生活をしていくのに最適な条件を与えてくれています。  
今日は地球と切っても切れない関係にある月についてちょっと話しましょう。  
みなさん、月について知っていることがありますか? なんでもいいから言ってみてください。日本の昔話で竹取物語のかぐや姫は月が故郷でした。 月見という秋のきれいな月をめでる風習もあります。 
月がどうしてできたかについてはいろいろな説があります。 地球との親子説、兄弟説、他人説、さらに巨大衝突説といって大きな星が地球にぶつかり、その際にその星と地球のかけらがかたまったという説などです。 いずれにしてもみんなも知っている通り月は地球のまわりをぐるぐると回っています。 やく29.5日で一周して、その間たとえば新月といってまったく見えなくなった状態から次第に姿を現し15日で満月になり、まただんだん小さくなってやがて新月に戻ることはみなさんもよく知っていますね。 規則正しく移り変わっていくことから大昔から暦のもとにもよく使われていました。 1969年にアポロ11号に乗った宇宙飛行士が月面に降り立ちました。 大気はほとんどなくそのため人類が住むには全然適していません。しかしこの月は地球上の人類の生活に大変重要な影響を与えています。
まず月が地球の周りをまわっているおかげで地球の軸、北極と南極をむすんだ軸ですが、を一定に保つ役割を果たしています。 もし月がなかったらこの軸が動くことになり、たとえば北極が太陽に近づくようなことが起こりえます。 そうなったら地球上の気象条件がめちゃくちゃになってしまうでしょう。 
2番目に月の引力の影響で海の潮の満ち干がおこっています。 実際には太陽の引力も大きな影響を与えていますが、月の引力のほうが強く働いています。 要するに海の水が月の引力に引っ張られるので月に近い部分と反対側の海の海面が高くなり、その他の海面は低くなります。この動きによって海は地上のいろんな物質を取り込みこれが栄養分にもなります。 また海の水が動くことで温かい海水が緯度の高いところまで行くことになり地球全体の気象条件を安定させるという役目も果たしています。
このように目には見えないけど月はわれわれに大きな影響をあたえています。むかしから月に関する詩や歌がたくさんあります。 古くは百人一首にも阿倍仲麻呂が詠った「天の原ふりさけみれば春日野の三笠の山にいでし月かも」という歌などは有名です。  
月に関するお話しをしましょう。 昔、サルとキツネとウサギの3匹がなかのよい仲間でした。 この3匹が道を歩いていたら道端に老人が倒れているのを見つけました。 3匹がどうしたのかと聞いたら、このおじいさんは何日も何も食べていなくてもう死にそうになっていることがわかりました。そこでこの3匹はおじいさんを助けないといけないと思いました。 サルは得意の木登りで木の実をたくさんとってきておじいさんにあげました。 キツネは泳ぐのが得意だったので川にいって魚をたくさんとってきておじいさんに食べさせてあげました。 でもウサギはいろいろ考えたけれど何もあげることができません。 そこでウサギはサルとキツネにたのんで火を燃やしてもらいました。 そして突然火の中に飛び込んだのです。 要はウサギは自分の体を焼いてその肉をおじいさんに食べえもらおうと思ったのです。 おじいさんはウサギの親切心にとっても関心しました。 実はこのおじいさんは普通のおじいさんではなくて、帝釈天という仏教の守護神の一人だったのです。 帝釈天は世の中のみんながウサギを見ることができるようにウサギを月に住まわせることにしました。 月には影の部分があって、この姿がウサギに見えることからこういう話しができたのでしょう。
先月も話しをしたマザーテレサの言葉を一つ紹介しましょう。 
親切で慈しみ深くありなさい 
あなたに会った人がだれでも 
前よりももっと気持ちよく 
明るくなって帰るようにしなさい 
親切があなたの表情に 
まなざしに、ほほえみに 
温かく声をかける言葉にあらわれるように 
子どもにも貧しい人にも 
苦しんでいる孤独な人すべてに 
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい 
世話するだけでなく 
あなたの心をあたえなさい
人に親切を施すということはとっても大切なことです。 なにも自分の身を焼くことまですることはありませんが、自分のできる範囲内でできるだけのことをすることを心がけていただきたいと思います。


2010年5月 地球の話し
新しい学年がはじまってもう1ヶ月経ちました。 1年生のみなさんももう学校になれましたね。 新しく入ってきたみなさんも、もうお友達もできたことだと思います。
さて、ちょうど今日本ではゴールデンウイークの真っ只中ということで、学校もお休みとなり、春の行楽など絶好の季節になっています。 日本では、旧暦の5月を皐月(さつき)と呼びます。「さつき」は、この月は田植をする月であることから「早苗月(さなへつき)」と言っていたのが短くなったものなのですね。 英語ではMayですが、これはローマ神話の女神マイアの名前からきています。この女神は豊穣、すなわち穀物が豊かに実ることをつかさどる神様です。 いずれも人間のもっとも大事な食べ物に関するところからきているようですね。
今日はちょっと変わった話をしましょう。 われわれの住んでいる地球についてです。 地球が丸くて、太陽の周りを一年間かけて回っている、ということは知ってますね。 太陽の周りを回っている、これを公転といいますが、のは地球だけではなくほかのいくつかの天体も回っていて太陽系をつくっています。 この太陽はいわゆる銀河系のなかの一つの恒星、恒星とは自分で光り輝いている星のことです、ですが、太陽と同じような恒星が銀河系の中に約2000億個あるといわれています。 宇宙の中には銀河系も含んだ銀河がいくつもあります。 だから宇宙全体はわれわれ人間から見たらとてつもなく大きいということができます。 
さて地球ですが、地球は公転すると同時に自転しています。 自転しているから昼間と夜が繰り返しています。 また、公転しているから春夏秋冬の四季があるわけです。 ぼくらは大地の上に立っていますが、この大地が動いているとは感じません。 でも自転のスピードというのは時速でいうと約1700kmです。 1700キロですよ。 高速道路をいくら早く走ってもせいぜい150キロくらいで、このときたとえば窓から手を外に出したらすごい風の抵抗がありますよね。 地球は1700キロのスピードで回っているのですが幸いに空気もほぼいっしょに回っているので風の抵抗はありません。 さらに公転となると、地球の動いているスピードは時速10万7千キロになります。 このスピードでよく空気はもちろん、われわれ人間も振り落とされないでいることができますね。 これは地球に引力というものがあってこのおかげでわれわれも地球といっしょに太陽のまわりをまわることができています。  
われわれの住んでいる環境には不思議なことがいっぱいあります。 地球の表面には空気が存在しています。 これも地球の引力で地表にへばりついているわけです。 地球上の空気は窒素が80%近く、酸素が20%近くで、のこり1%はいろんなものが存在しています。 酸素は人間も含めた生き物が生きていくには絶対に必要なものです。窒素は窒息する空気という意味で窒素と言う名前がついていますが、窒素だけだと人間はすぐに窒息死してしまいます。 でも、窒素も生き物に大事なものなのです。 ところが窒素は酸素のように呼吸して体内に取り入れることができません。 そこで雷の助けを得ているのです。 カミナリは空気中を走る電流だということは知ってますよね。 この電気、それもとても強力な電気が窒素をちょっと変えてしまい(酸化するのです)、これが雨が降ったときに地上に落ちてきてこれが植物に取り入れられ、植物の育成に役立つのですが、この植物を食べることによって動物に窒素の化合物が取り入れられるのです。 このように回りまわって人間が生活をしていくことができるようになっていることはいっぱいあります。 別の機会にいくつか紹介しましょう。
さて、最初に宇宙の話をしました。 地球は太陽の周りを回り、太陽は銀河系の中でまた一定の軌道を回っています。 そして銀河系は宇宙の中でまた動いています。 気の遠くなる話ですが、われわれ人間はこの世に生まれてきて、この果てしない宇宙の中で暮らしています。 地球・太陽・月の恩恵を受けて毎日毎日生きていくわけです。 終業式のときに「生きる」という詩を読みましたが、生きているということを実感するということはとっても大事なことです。 ノーベル平和賞を受けたマザー・テレサという人がいます。 ちょうど100年前に生まれた人で、もう亡くなっている人ですが、この方はインドで長い間恵まれない人々の面倒を見続けたとても立派な人です。 最後にこの人の言葉を読みます。
あなたは、この世にのぞまれて生まれてきた大切な人 
ごうまんで、ぶっきらぼうで、 
利己的になるのは、いともたやすいことです。 
でも私たちは、 
もっとすばらしいことのために、 
つくられているのです。
われわれももっとすばらしいこととは何か、自分たちで考えながら生きていきたいと思います。



2010年3月 平成21年度卒業式
さあ、いよいよ今日はこの学年の最後の日です。この一年間みなさん、一懸命やってきましたね。 さきほど修了証書と卒業証書を手にしてその感慨もひとしおと思います。「おめでとうございます」。 
わたしにとっても、毎年この日ほどうれしい日はありません。 今日のみなさんのすがすがしい顔を見ていると、この一年間のいろいろなことが思い出されます。 みなさんはどうか分からないけれども毎週土曜日が楽しみでした。 若い君たちと付き合いができたことは私にとっても、気持ちの若返りができたり、新しいことを覚えたり、なんにも増してみなさんが日一日と成長していくところをじかに見ることができたのは補習校の校長をしていたおかげです。  
さて、今日は中学部からお二人が卒業されました。 木下君は小学校1年生からだから都合9年間、鈴木さんは約4年半この学校に通ってこられました。 中学校を卒業すると日本の義務教育は終わりです。もう一息で大人の仲間入りができるところまで近づいてきました。  
卒業の「卒」は「終える」という意味をもっていますから、卒業というと業を終える、すなわち、学校の規定の全課程を修了するということになります。 一方、卒業という言葉は英語ではGraduationですね。 けれども卒業式という言葉は英語ではCommencementといいます。 Commenceというのははじめる、スタートを切る、といった意味を持っています。 だからCommencementとはこれから新たなもののはじまりということで言葉の響きとしては私はこの英語のほうが好きですね。  
さて、今日はひとつの詩を読んでみたいと思います。 これは小学校6年生の教科書にでているので、ここで引用させてもらっても問題ないと思います。 また読んだことのある人もいると思います。 これは詩人の谷川俊太郎という人が作ったものです。 谷川俊太郎という人は数多くの詩を作っています。 歌の歌詞となると、多くの学校の校歌も含めて何百もの作品があります。 また多くの外国の本を翻訳したりしているのでも有名です。 この詩の題は「生きる」です。 それではちょっと聞いてください。
「生きる」 谷川俊太郎 
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
この詩では今聞いたように、「生きてるということ」ということばが何回も何回も繰り返されています。 詩の題は「生きる」ですが、むしろ「生きる」についてというより、「生きているということ」が書かれています。 「生きているということ」「いま生きているということ」がどういうことかということを、難しい理屈ではなく、私たちがふだんの生活の中で出会う具体的な体験や知識によって、わかりやすく歌っています。 一見するとまとまりのないように「生きているということ」の例をたくさん列挙しているだけのように見えますが、読み進んでいくと「おお、そうか。そうか。 これも、これも、生きているということか。 これもそうか。あれもそうか。」「そうだ、わたしは生きているんだ」と、改めて自分が生きていることを実感させられ、生きていることに喜びと自信を与えられます。そして、「生きているということ」は、「なにか特別なことではないのだ。何気ない、ごく当たり前の日常生活や日常行動、それがかけがえのない光り輝く生きていることの証しなのだ。」ということなんですね。 
「今日の一日は、学校へ行って、勉強して、帰ってきて、ご飯を食べて、寝ただけ」と、そんなことしか思い出さない日もあるでしょう。でも、ほんとうは、この詩のように、さまざまなことの中で生きているのです。 生きている、そのあたりまえすぎて気づかない、すぎていく時間のゆたかさを、気づかせてくれる、と同時に、人生は自分が嬉々として作り上げていくものであることを知らせてくれます。そして、とても大切なことですが、この詩の最後のまとめとして、「人は愛するということ/あなたの手のぬくみ/いのちということ」と書かれています。「他人を愛する」ことが大切であり、心温かな愛の手を差しのべることが人間として最も大切な行為であり、それが「いのち」を大切にするということにつながるのだと言っています。
さてここで、もうひとつの詩を紹介します。 これは有名な作家の井上靖という人が書いた「出発」という題の詩です。 井上靖という人は幅広い内容の小説を書いていて、ノーベル賞の候補にもたびたびあがったことのある人です。 この詩も小学校の教科書にも取り上げられています。
「出発」                        井上 靖
ぼくは
マラソン競走で
白いスタートラインにならぶ時がすきだ。
軽く腰をうかせ
きっと遠い前方の山をうかがう
あの瞬間のびんと張った気持ちが好きだ。
やがて笛は鳴りひびくだろう。
ぼくたちはかけ出す。
校庭を一周し、町をぬけ、村を通り、おかをこえる。
友をぬいたり
友にぬかれたりする。
みなぎってくる
いろいろの思いをしずかにおさえて
友と友の間にはさまれて
先生の笛の合図をまっている
あのふしぎにしずかで、ゆたかな、出発の時がすきだ。
この詩はマラソンのスタートラインの状況心理を書いていますが、それだけではなく、新たなものに向かったスタートに当たっての心構え作り、そのスタートラインに立っている自分達の心構えや自覚作りとしても読みとることができますね。
ちょっと長くなりましたが、二つの詩を紹介させてもらいました。 私のメッセージとしては「生きる」で詠われているように、この果てしない宇宙のひとすみに生を受けたわれわれひとりひとりが、生きていることのよろこびを感じ、まわりの人たちとさらにすばらしい世界を築いていっていただきたい、ということと、今まさにCommenceしようとしている卒業生諸君の張り切った気持ちをいつまでも大事にしていっていただきたい、ということです。 Faithという言葉があります。 自信、とか信頼、というような意味を持っていますが、私はみなさん若い人たちの将来にfaithを持っています。
それともうひとつ大事なことですが、世の中にはいろんな人たちが住んでいます。 中には恵まれた人、そうでない人、いろいろな人たちがいるのですが、おたがいに助け合い、愛し合い、いっしょに素晴らしい明日を築いていくことが必要です。 すくなくともそういう気持ちをずっと持ち続けていただきたいと心からお願いしたいと思います。
最後になりましたが卒業生のご両親・ご家族のみなさまにはこの補習校にも長いことご協力をしていただき学校側を代表して改めて御礼を申し上げます。 今日は本当におめでとうございます。


2010年3月 努力について
2月はあっという間に過ぎてしまいました。 3月の声を聞いて急に暖かくなった感じがします。 朝夕も昼間の時間、明るい時間が増えてきて春がもうすぐそこまできているようです。 日本では3月は弥生といって草木が生い茂る月というような意味を持っています。  
バンクーバーのオリンピックが2週間あり、皆さんの中でも見た人もいると思います。 アメリカの選手がいろんな競技で活躍してメダルをたくさんとりました。 日本の選手もがんばりましたね。 オリンピックは4年に一度しかないので、オリンピックで優勝するということはとっても難しいことです。 とにかく世界中で一番になるのですから本当に大変なことですね。 優勝者を褒め称えるのは当然のことです。 スポーツでは勝つほうと負けるほうとが必ずできます。 みんな勝つことを目的にがんばるのですが、結果は思ったとおりにいかないことも多いのですね。 スポーツの場合は負けても途中いかにがんばったかが大事だということです。 だから優勝できなかった人たちも同じように、その努力と結果にたいして心からおめでとうと、言ってあげたいですね。

世の中で成功するのは努力の結果です。 その途中では失敗することもたくさんあります。 失敗は成功のもとという言葉があります。 失敗しても、それによってこれまでの方法の悪い点が分かるので、成功へ一歩近付くことになるので、失敗があってこそ成功に辿(たど)り着けるのだということです。

イリノイ州の上院議員から大統領になったのは今のオバマ大統領ですが、今から150年前には有名なリンカーン大統領がいます。 このリンカーンは政治家になろうとしたはじめのころ8回も選挙に出で負けています。 8回も失敗したけれどあきらめずにがんばって最後には大統領にまでなりました。 高校生のときにバスケットボールのチームからはずされてその夜泣いた少年がいます。 これがなんとマイケルジョーダンです。 彼はこのコーチの判断が間違っていたことをいつか証明しようとがんばったそうです。日本のプロ野球のホームラン王といえば王選手です。全部で868本ものホームランを打った記録を持っています。 これは世界でも最も多いものです。 もう古い人だから君たちは知っているかどうか、この人は日本の国民栄誉賞という名誉ある賞ももらっています。 この王選手はプロ野球に入ってはじめのころ三振が多く、王は王でも三振王、などといわれたこともありました。 小学校のときに担任の先生から「君の頭はどうかしてる」と吐き捨てられ、校長からも入学からわずか3ヶ月で退学を勧められたという人がいます。 この人は後に発明王として有名になるトーマスエジソンです。 また、若いときに独創性がない、つまり新しいアイデア不足だという理由で新聞社から首になった人がいます。 この人はもうなくなってますが名前はみんなもよく知っているディズニーです。 これらの人たちはとっても有名な人ですが、成功するまえには思い通りにいかなかったこと、失敗したことがあります。 そういう状況に陥ったときに決してあきらめずに努力を重ねた結果が最終的な成功に結びついたということでしょう。 
われわれも知らず知らずに失敗を失敗としてあきらめずにその後トライを繰り返していることがたくさんあります。 あかちゃんが立とうとして何度も転がって立ち上がろうとします。 初めて自転車に乗ったときのことを覚えてますか。 一度で乗れた人はおそらくいないでしょう。 野球で空振りをすることはよくあります。 はじめてバットを持ってボールをうとうとしたときに球にあたりましたか? こういったときにどうしたらうまくいくかということを考えて成功へ結びつけることができるのですね。 失敗を 恐れちゃいけない。 トライもしないで 逃がす チャンスこそ怖れた方がいい ともよく言われます。

さて、もうひとつ失敗に関連して大事なことですが、失敗することで、同じような失敗をする他人の気持ちが分かるようになるということが言えます。 失敗すると悔しかったり、悲しかったり、恥ずかしかったりするものです。失敗の経験によって、同じ立場の人の気持ちが分かれば、そういう人へ思いやりのある対応ができ、人間関係の失敗を避けることができるので、これも成功へつながることでしょう。 
さて、もう今日と来週と2回だけで今年度の授業は終わりです。 最後の締めくくりも大事ですから、気を抜かないでがんばりましょう。


2009年12月 川の流れ
もう今年もわずかとなりました。 今年はいい年だったかな。 それとも思うとおりにいかなかったかな。 一度振り返って見てまた来年に向けて目標つくりをしてみましょう。
さて、ちょっとしたクイズがあります。 ここに冷蔵庫があったとします。 そしてぞうがいました。 この象を冷蔵庫に入れなけレナいけません。どうしたらいれることができますか? この正解は冷蔵庫のドアを開けて、象を冷蔵庫に入れてドアを閉める、です。 みんなのうちにある冷蔵庫のサイズを基準に考えたらこの答えにはなりませんね。 でも最初の問題で冷蔵庫のサイズについては言ってないので自由に考えるとこういう正解がでてきます。 つぎにキリンがいたのでこれを冷蔵庫に入れようとしました。 どうしたらいれることができるでしょう。 正解はドアをあけて、象を冷蔵庫から出してからキリンを入れる、です。 頭を柔軟にして考えて見ましょう。 ライオンが百獣の王といわれます。 要するにけものたちの大さまです。 だからライオンがけものたちみんなに集まれと言ったらみんな集まります。 ライオンキングでもシンバが生まれたときにけものたちみんな集まった場面がありましたね。 あるときライオンが全員集合の指示を出したそうです。 ちょうどそのころジャングルにいた人が町に緊急の用事で行かなければいけなくなりました。 ところが数日前に嵐でたったひとつしかなかった橋が流されてしまってワニがいっぱい住んでいるその川を渡るには泳ぐしか道がありません。 どうしましょう? 答えはワニもライオンの招集で集まりにでかけているのでゆうゆうと泳いで渡ればいい、ということです。
さて、話しは変わりますが、日本語に「むじょう」という言葉があります。 同じ発音でも上がないと書いた無上、感情の情がないと書いた無情、そして常でないと書いた無常、と大きく三つの言葉があり、これらはまったく意味が違います。 常でないと書いた無常は仏教からきている言葉で、常でない、ということはいつも変わっているということです。 日本は中国からいろいろなものが入ってきていますが仏教もそのひとつで中世以降千年以上に亘って日本人の文化・考え方に非常に大きな影響を与えています。 古くから「行く川の流れは絶えずしてもとの水にあらず」とあるように、毎日移り変わっています。眼には見えませんが、川の水の流れの ように一瞬一瞬変化しています。流れる水は活き活きして決して腐りませんが、たまった水は、時間がたつと腐ってゆきます。私たちの人生も同じです。 毎日の生活は同じことの繰り返しですが、その中で気づきや新しい発見があれば、いのちが充実します。いのちが輝きます。 私たちも日々 の暮らしが、自分探しの旅、自己発見の旅であれば、どんなにか素晴らしい人生の旅になることでしょう。 そのためには、常頭を柔らかくしている必要があります。読書・景色・映画・テレビ・仕事・会話の中で気づかされることは多いいです。流れる水はくさりません、活き活きと流れています。しかしたまってくると、いつの間にか汚れくさってきます。毎日の 生活の中で新しい発見をいのちの中に引きこんでいくようにしましょう。 さて、いよいよ本格的に冬に入ってきました。 かぜもはやってます。 健康管理はかなりの部分自分でコントロールすることができます。 さあ、寒さに負けず元気に乗り切っていきましょう。



2009年11月 空気の発見
今日は10月31日でハロウィーンなので学校から帰ったら早速着替えてトリックオアトリーティングに出かける人も多いでしょうね。 準備はできてますか? 幸い天気もよくなったので歩き回るのにも適しています。 いずれにしても気をつけて行ってください。
さて人間の知恵と工夫についてはここ何回かみなさんにお話ししています。 人間の長い歴史の中で常によりよい暮らしを、より便利な生活を、といろいろな工夫をしてきた結果が現在に至っているわけです。 われわれが便利な生活をできるようになったのはそういう積み重ねのおかげです。 これまでに数え切れないいろんな発明がなされてきていることはみなさんも知っている通りです。 特にここ200年から300年くらいの間の進歩は目を見張るものがあります。 18世紀にイギリスからはじまった産業革命はおそらく人口が急激に増えたことも原因として挙げられると思いますが、大量生産というものを世の中に次から次へと紹介してきました。 大量生産によって品質の安定したいいものが安くできるようになったのですね。 民主主義が世の中に広まりはじめたのもこのころからです。 ということで18世紀とは大きな意味のある時期といえるでしょう。
ちょうど、18世紀のなかごろにイギリスにジョセフ・プリーストリーという人がいました。この人はそんなに有名ではありませんが、大切なものを発見しました。 目に見えない空気の中に生物が必要とするものとそうでないものが存在することに気がついたのです。 必要とするものは、今ではみんなも知っている酸素ですが、量が決まっていて息をするとなくなってしまうということ、また火が燃えるとなくなってしまう、ということなどを何度も何度も実験を重ねた結果見つけ出しました。 さらに植物はこれを必要としないどころか、逆にどうもこの大切なものを作り出しているようだ、ということまで見つけ出しました。 プリーストリーは酸素そのものをみつけだしませんでしたが、彼の研究の結果からヒントを得たフランス人が酸素を発見することになりました。 そのあと、オランダ・スイス・ドイツなどの研究者が植物が空気中の二酸化炭素を酸素に変えていることなどをつぎつぎと発見していったのです。
空気なんて目に見えないもので、水と同じようにわれわれが生きていくうえで絶対に必要なものですが、われわれのまわりに当然あるものだと思っていて、これがどういうふうにできているかなんてそれまで誰も不思議に思わず、あまり研究もされていなかったということなんでしょう。 しかしなんにでも興味を持って調べて見るという態度は大変に大切だと思います。 酸素を見つけることはなんてことないみたいだけど、こういう発見が次から次へと新しいものの発見につながり、これらを利用した大変大事なものもどんどん作られてきています。 17世紀に地球の引力を発見したニュートンという人がいます。 りんごが木から落ちるのを見て引力を発見したという話しが本当かかどうかはわかりませんが、地球の動き・天体の動きなどを観測しているうちにこういうものを発見したのでしょう。いずれにしてもこれらの研究はとっとも地味で根気のいる作業の繰り返しになります。 まずは何事にも興味を持って見て見ること、そして根気強く調べていくということなどが、この人たちから学ぶことができるものだと思います。
さて、来週は学習発表会です。 みなさんの発表を楽しみに待っています。 かぜに負けずにがんばっていきましょう。



2009年10月 知恵と工夫
おはようございます。 もう10月になりました。 10月は日本の暦では神無月です。 神様がいない月という意味だそうです。 日本では昔からたくさんの神様がいたと考えられていました。 それぞれに担当が決まっていて、たとえば台所の神様、寝室の神様、中にはトイレの神様もいたそうです。 あまりうれしくありませんね。 また貧乏神などという神様もいたといわれてますが、ほんとかどうか、これ以上は落語になってしまうのでこの辺にして、ようは10月には全国の神様が本部のある出雲というところに集まって会議をするので全国各地から神様がいなくなってしまうことからこの名前がついたともいわれています。
さて、話しは変わりますが、夏休みに入るときにみんなにお話しをしたように、旅行をするとき、ドライブをしているときなど、漫然と窓の外を見ているのではなくて、まわりの景色に注意を払って見て見るといろいろなことが分かってくるということがいえます。 人間は常に生活をよくしようといろいろな工夫を凝らしてものを作り、改良を繰り返してきています。 その結果が建物、農場、いろいろなものにあらわれているのが現在われわれが見ているものです。 たとえば田んぼの話しをしましょう。 日本では昔からお米を主食としています。 米は稲から取れます。 稲はもともとは南方、たとえばインド、ベトナムなどの南の国で自然にできていたものです。稲は最初芽が出てきていわゆる苗になるまではたくさんの水が必要です。 そして成長をはじめたら今度は水が不要になり、太陽の光が必要になります。 南方では雨季があり土地が泥沼になる時期がありますが、そういうときに稲の芽がでてきて、雨季がすぎると今度はかんかんでりの日が続いて稲がどんどん伸びるのです。 そういう自然環境の中で育った米が日本に輸入されたときに日本では自然にまかせたのではうまくお米が育ちません。 人間はそんなことではくじけないのですね。 何をしたかというと自分たちで田んぼに水を引いてきて最初の段階である苗つくりをしました。そして芽が出てきたら田んぼから水を抜けばいいということを考えついたのですね。 これが水田です。 水田に水を引いてきたり、水を抜いたりすることが簡単にできるためには田んぼを坂の途中につくればいいということで、最初は米つくりは山の途中などに多く作られました。 そのうちに鉄が次第に利用されるようになり、農機具だとか土木工事に使う道具などがどんどん改良されるとともに平野でも川の水を自分たちの土地にひいてきたりすることができるようになってくると、山間だけでなく平野部でもお米が生産できるようになり、より多くのお米の生産が行われるようになりました。 そして日本中でお米が作れるようになり、人々の生活はとっても安定したものになっていったのです。 人間の知恵と工夫は限りなく沸いてきます。 知恵という言葉は辞書で引くと、物事の道理や筋道をわきまえて適切にふるまうことと書いてあります。 まず知識が必要ですが、知識があるだけではだめです。 これを使って正しく行動することが大事です。 南方育ちの米を日本の環境の中でどうしてうまく作ることができるだろうかという、困難に対して最初からあきらめずにいろいろ工夫する意欲も大事です。 こういうものの積み重ねがわれわれの生活をよりよいものにしていく原動力です。 さて、10月になりここ数日すでに朝晩ずいぶん冷え込むようになりました。 風邪もはやっています。 さっき中村さんが言いましたが外出から帰ったら手を洗い、うがいをするなどのちょっとしたことが大事です。 また、よく食事をとって、睡眠も十分にとりましょう。 そして寒さに負けず、元気にがんばっていきましょう。


2009年6月 夏休みを前に
休み中に旅行に出かけるご家族もあると思います。 知らないところを旅するのはとっても楽しいことです。 はじめて行く町、スケールのい大きい自然、ディズニーランドなどの楽しい場所、いろいろなところがあります。 アメリカには多くの大自然を楽しむことのできる場所があります。 終業式で生徒たちに言ったのはこれらの自然を楽しみ、これを大事にする気持ちを持ってほしいこと。 そして同時に旅行途中の車から見る景色に注意を払うようにしてほしいということです。 特に人間が作ったもの、たとえば建物、畑、なんでもいいのですが、これらに注意を払ってもらいたいと思います。 人が作ったものには必ず何かの工夫が凝らされています。 人は大昔から少しでも自分たちの生活をよくしようといろんな工夫をしてきています。 たとえば家ひとつをとってもいろんな屋根の形や材料が使われています。 北国の家と南国の家では作り方が違います。 どうしてそういう形、屋根の材料を選んだのか、などを考えて見るとちゃんとその理由があります。 また畑を見て見ましょう。 それぞれの土地で水をどうやって撒いているかは水源がどうなっているかによって違ってきます。 自分たちの与えられた条件の中でどうしたら最も有効的な作物の収穫が得られるかを考えてベストの方法をとっているはずです。 人間は経験を生かして、知恵を働かせてすばらしい発明をしてきており、これを代々引き継いできています。 このようにいろいろなことを考えていくと、漫然と旅の景色を眺めているのとは違った旅の仕方ができるようになります。
長い休みに入ります。 暑さに負けず、楽しい夏を過ごされることを祈ります。



2009年5月 平成21年度に向けて
さて、新しい学年がスタートして1ヶ月経ちました。 新しい生徒のみなさんもだいぶ慣れましたか? 在校生のみなさんも新しい学年で新しい先生について新しい気持ちではじめているものと思います。
日本では今ゴールデンウイークです。 4月29日の昭和の日から5月5日のこどもの日まで休みが続きます。残念ながらここではそれがないから毎日学校・仕事がありますね。
今日は新しい年が始まって最初の朝礼なのでみんなでルールを確認したいと思います。
まず、第一は大きな声で挨拶をしましょう。 朝「おはようございます」、廊下で会ったら「こんにちは」など大きな声で呼びかけましょう。 次に時間を守ること。 他のみんなに迷惑をかけないように時間を守ることは大事です。 廊下は走らないこと。 そして廊下は右側通行をしましょう。 これらが最低限のルールなので覚えてられると思います。
この学校は日本語の補習校です。 だから日本の教科書を使って勉強しています。 みんなが明日日本の学校に行ってもすぐに追いついていけるように学んでもらおうというのがわれわれの目標です。 とはいっても日本の生徒は週に5日、君たちは週に1日だけの勉強なので全てを同じレベルで吸収するのは無理です。 従って補習校としては日本語をみなさんにきちんと各学年のレベルに沿って勉強してもらおうという目標でやっています。 教科書は日本の文部科学省が決めた内容をベースに全国統一して同じレベルで学べるように作られています。 全国で統一された教科書が使われ始めたのは今からほんの130年くらい前のことです。 今われわれが使っている日本語の多くはこの教科書で広められたものがあります。 たとえばお父さん・お母さんという言葉があります。 これは150年以上前では日本の一部でしか使われていませんでした。 今では全国共通して使われています。 他には、僕・私、また言葉で「・・・・です」という「です」もそうです。 これらは教科書で使われ始めて今では日本全国で同じように使われています。 教科書では小学校で習う漢字は1006文字、さらに中学校で900超の漢字を覚えることになっています。 新聞などが読めるようになるためにはさらに多くの漢字を覚える必要があります。
日本列島には大昔から人間が住んでいました。 でも古代には独自の文字は持っておらず、5世紀ごろに中国から入ってきた漢字を使い始めるまでは文章にしてかくことができなかったのです。 漢字が輸入されてきてから、ひらがな・カタカナなどを発明し、これらを使って日本語を文章にして表現することを始めました。 もう1500年くらいの歴史があるわけです。 漢字はとっても便利です。 でもこれらが使えるようになるためには覚えるしかありません。 さっき言ったように小学校・中学校でとても数多くの漢字を覚える必要があります。 そのために先生の間でもいろいろ相談しています。 これからクラスの中でチャレンジ目標などがでてくると思いますから、先生、友達、さらにはお父さん・お母さんなどともよく相談してそれぞれがんばってほしいと思います。
今日は初日でちょっと堅い話になってしまったけれども、新年度に向けてのお話でした。


2009年1月 正月
あけましておめでとうございます。
お正月を迎えて最初にあるものに初という字をつけて呼びます。 初日の出というと新年の最初の日の出のことです。 初夢というと最初に見る夢です。 夢とはもちろん寝ているときに見るもので、いい夢もあればあまりよくない夢もあります。 人間以外にも動物みんな見るそうですがなぜ夢を見るのか、その内容がどういういみを持つのかよくわかっていないようです。 不思議なものです。 夢という言葉にはもうひとつ、希望とか期待といった意味があります。 将来こういう人になりたい、とか将来こういうことをしたい、という大きな希望を意味します。 もともとの日本語の夢という言葉にはそういう意味がなかったそうですが、英語のドリームにはそういう意味が含まれています。 このドリームを日本語に訳したときに単に寝るときに見る夢だけでなく、希望というような意味も持ち込まれたものです。 大きな夢を持つことはいいことだと思います。 それとともにいつも言ってますが目標を持つことは大事です。 そしてその目標に向かって一生懸命に努力することはもっと大事です。
目標に関する話しとして、アメリカ人でフローレンス・チャドウィックという人の話しがあります。 この人の話は昔みんなの前で話したことがありますが、だいぶ前なのでもう一度話したいと思います。 この人は水泳の選手です。 といってもプールでスピードを競う競泳ではなくて海とか湖で長距離を泳ぐのを得意とした人です。 それも20キロとか30キロ、ときには40キロくらいのマラソンにも匹敵する距離を10何時間もかけて泳ぐのです。 この人はイギリスとフランスの間のドーバー海峡を両方のサイドから泳いだ世界で最初の女性でした。 そしてあるときロスアンジェルスの沖合い35キロくらいのところにあるカタリナ島からロスに向かっての遠泳にチャレンジしました。 その日は朝からとても深い霧が立ち込めていましたが予定通りカタリナ島を出発しました。 彼女の周りには何艘かの船がついてお母さんとか、サメが近づいてきたときに守るために銃を持った人たちが乗って応援しての遠泳がはじまったのです。 その日の霧は10時間経っても、12時間経ってもいつまでたっても晴れないでずっと行方を隠したままでした。 プールで泳ぐときは下に線が引いてあるしまわりもよく見えますが、海で泳ぐときはしょっちゅう顔を上げて行く先を確認する必要があります。 しかし霧のために目的地がまったく見えませんでした。 そのためにとても不安になってしまい、周りの人たちの応援にもかかわらず13時間ほど泳いだところであきらめて船に引き上げてもらいました。 そしてあとで分かったのですが彼女は目的地まであと1マイルくらいのところまで来ていたのです。 チャドウィックさんのすごかったのはそれから2ヵ月後にまた、この遠泳に挑戦したのです。 またその日も深い霧に閉ざされていたのですが今度は目的地が実際には見えなくても、がんばればそこに目的地があるということを信じて泳ぎきることができました。 見るべきものをしっかり見て、決してあきらめない気持ちを持って生きるとき、すばらしい結果につながることだと思います。
2009年に向かってそれぞれの目標があると思いますが、一生懸命に努力していってもらいたいと思います。
さあ、3学期がはじまります。 3学期はとても短くあっという間に過ぎていきます。 その間に文集の作成というプロジェクトがあります。 これまでの学習の成果が盛り込まれたものができると思い、大いに期待しています。



2008年12月 目標と有終の美
先週は感謝祭の週末でこの学校もお休みでした。 みなさんも各家庭でゆっくりと休みを楽しんだことと思います。
さてもう12月になりました。 12月にもいくつかの記念日・休日があります。 明日7日は日米の歴史の中でも忘れられない日です。 1941年の12月7日、これは日本では12月8日ですが、に日本がアメリカの太平洋艦隊を真珠湾で攻撃しました。 日米が付き合いをはじめて150年くらいになりますが、この中で一度戦争をしました。 このきっかけとなったのがこの真珠湾攻撃でした。 それから4年間太平洋戦争に突入したのです。とても暗い時代でした。 今でも12月7日になるとアメリカの新聞の一面に必ずこの話しが出ます。 それだけ大きな意味を持つもので、日本にとって決していい思い出ではありませんが、将来2度と繰り返してはいけないという意味で、覚えておく必要があるでしょう。
そのほかには日本では天皇陛下の誕生日23日が休日です。 アメリカでは25日はクリスマスです。 これは休日ではありませんがキリスト教徒の多いアメリカではほとんどの仕事がお休みになります。 クリスマスから正月にかけて皆さんは冬休みになるのでしばらく学校はお休みになります。
さて去年の2学期の終業式で「有終の美」をいう言葉をみなさんに紹介しました。 覚えているかな。 これはある目標をもってそれに向かって努力を絶やさずその結果見事に成し遂げることでしたね。 みなさんに2008年になったらか目標を作りそれを成し遂げる努力をしてほしいとお願いしましたが、どうだったでしょう? もう11ヶ月が経ったのでもしかしたら既に目標達成した人もいるかも知れません。 そうじゃない人はあと3週間ほど残っているので、がんばってください。
またそれとは別に2学期のはじめになにか新しいこと、今までと違ったことに挑戦してみてください、というお願いもしました。 結果がどうだったかは今みんなに聞きませんが、それぞれ自分自身で考えて見てください。
童話作家のアンデルセンが言った言葉に、「人はどんな高いところへでも登ることができる。しかしそれには決意と自信がなければならぬ。」という言葉があります。 単に目標を持っただけではなくそれに対して成し遂げようという決意が必要で、さらに自信を持ってことにあたることが大事だということだと思います。
また、目標についてですがこれは正しい目標を持つことが大事です。 人は正しい目標を持たないと偽りの目標にはけ口を求めるという傾向があります。 悪魔の誘いのように魅力があっても間違った目標に向かってはいけません。 しっかりとした正しい目標設定が大変大事なことでもあります。
さて、いよいよ本格的な冬に入りました。 これからしばらく寒い日が続きますが、みなさんも寒さに負けずがんばってこの冬を乗り切るようにしましょう。



2008年11月 民主主義
2学期がはじまってもう2ヶ月以上経ちました。 始業式でみんなに言った新しいこと、今までと違ったことに挑戦して見ようというのは実践しているかな。 今まであまり話をしたことのなかった友達と話をしてみるとか、あまり好きじゃない食べ物に挑戦してみるとか、そういうことで自分の世界がどんどん広がっていくと思います。
さて、昨日は10月31日でハロウイーンでしたね。 天気もよかったしトリックアトリーティングにはよかったですね。
さて、今日から11月です。 11月は日本の暦では霜月といいます。 霜がおりる月という名のとおり冬にさしかかる季節です。 われわれのまわりも木の葉っぱは紅葉して、朝晩は冷え込むようになりましたね。 さて、11月にはいろいろな行事があります。 日本では11月3日は文化の日といってお休みです。 今からもう62年前になりますがこの日に日本の憲法という法律の中で一番大事な決まりを発表した日です。 それから23日には勤労感謝の日という休日もあります。
アメリカではどうでしょう。 まず4日・火曜日は11月の第1火曜日で選挙の日になります。 そして今年は4年に一度の大統領選挙があります。 共和党のマッケーン上院議員か、民主党のオバマ上院議員かどちらかが今後4年間アメリカの大統領としてこの国を引っ張っていくことになるわけで、結果がどうなるか興味をひかれるところです。「アメリカでは誰でも大統領になれる」という言葉があります。 これは民主主義という国民が主体となって国の意思を決める制度の基本的な考え方といえます。選挙で選ぶ・選ばれるそれぞれの権利は国民みなが持つ基本的なものとなり、選挙はとっても大事なものです。 みなさんも将来大人になったら選挙に参加するようになります。 選挙という制度は大昔から人間が使っている方法でいろいろなところで使われます。 皆さんもたとえばうちでみんなで何かを食べに行こうというときに僕はハンバーガーがいい、私は中華がいいといろんな意見がでてきたときに家族の中で投票をして多数決で何にするかを決めますよね。 そういった身の回りから国の代表を選ぶ選挙までいろいろあります。 さっきも言った民主主義という制度ですが、大昔の古代ギリシャの都市国家にその大元をみることができます。 古典ギリシア語のデモス(demos、人民)とクラティア(kratia、権力・支配)をあわせたデモクラティア(democratia)がデモクラシーという言葉の元になっています。一番大事なことはみんなが投票する権利を持つことで、そこで多数決をベースに結論をだしても少数意見も大事にすることです。 そのほか、11月の第4木曜日が感謝祭です。 家族や友達が集まり七面鳥を焼いた料理をみんなで楽しむ習慣があることはみなさんも知っていると思います。
さて、われわれの学校では来週が学習発表会です。 これまでみんなでいっしょに準備を続けてきました。 あまり緊張しないでこれまでの成果を十分に発揮してください。 楽しみにしています。


2008年10月 アメリカ
今中学生から秋に関する話もあり、小学校1年生の歌も秋の歌でしたがもう10月になりいよいよ秋を迎えました。 秋分の日も過ぎたので昼間の時間がもうすでに夜の時間より短くなってますが、この先どんどん日が短くなります。 ここ数日間明け方とっても冷え込んできました。 こういう季節の変わり目には風邪など引きやすくなるので気をつけてください。 今月末にはハロウイーンがあり、みなさんもいろんな格好をしてキャンデーをもらいに回ったりするのだと思います。
さてアメリカではあと1ヶ月で大統領選挙があります。 このところニュースなどで選挙に関する話しもよくでているのでみなさんも聞いていると思います。 アメリカでは政治を行うトップの大統領を直接国民が選挙で選ぶという制度をとっています。 これは日本の制度とはちょっと違いますね。 世界中にいろいろな国がありそれぞれが独自の政治体制をもっています。 みんなアメリカに住んでいるのでアメリカの話しをちょっとします。 この国は正式にはアメリカ合衆国といいます。 アメリカ大陸にできた比較的新しい国なのは知ってますよね。 さてなんでアメリカという名前がついているか知ってますか? この名前はイタリア人のアメリゴ・ヴェスプッチという人の名前からきています。 ヨーロッパ人でアメリカ大陸を最初に発見したのがコロンブスだということはよく知られています。 この時代地球が丸いと信じている人は少なくインドに行くにはヨーロッパから東に向かってお行くしかないと思われていたのですがコロンブスは西に向かって行けばかならずインドに着くはずだと信じて長い航海に向かい1492年に新大陸を発見することになりました。 このコロンブスは死ぬまで自分が見つけたのはインドだと信じていたようです。 ところが同じ時代の探検家だったアメリゴはこれが新しい大陸であると信じて主張したのが結果として彼の名前がこの新しい大陸の名前につけられることになったのです。 アメリゴをラテン語読みにするとアメリカになるそうです。 話しが脱線してしまったけど、今はまさに大統領選挙の真っ最中です、共和党・民主党のそれぞれを代表する候補者がそれぞれの主張をテレビ・新聞などを通して国民に訴えています。 みなさんもニュースには目を向けてどういう結果になるか興味を持って見ていくことも大事だと思います。 さて大統領選挙が終わったら今度はみなさんの学習発表会がきます。 もう準備に入っていると思いますが、みんなで力を合わせてがんばってください。



2008年9月 チャレンジ
長かった夏休みも終わりましたが、みなさん楽しい夏休みだったと思います。 日焼けして、たくましくなり一回り大きくなりました。 さて、二学期のはじまりです。 現地校では新しい学年のはじまりです。 そこでみなさんに試してもらいたいことを話します。 みんな両手を前に伸ばしてください。 そして両方の手のひらをあわせましょう。 次に両手の指を組んでくさい。 そうすると右か左かどちらかの親指が上にきますね。 右の親指が上にくる人は手を挙げてください。 それじゃ左の親指が上にくる人は? 左の方が少し多いかな。 右が上の人のほうが優秀です。 と、いうことはまったくありません。 どちらが上でも、優劣にはまったく関係ありません。 それでは右が上の人は左を上に、左が上の人は右を上に、それぞれ指の組み方を替えてみてください。 そうするととっても変な感じがするでしょう? 違和感といいますが、自分の自然な形と違うことをしようとすると抵抗感があります。 次に、元の組み方に戻しましょう。 今度は、逆の組み方と自分の組み方を何度か繰り返してみてください。 何回かやっていると、逆の組み方でも変な感じが少しなくなってきませんか? 逆の方法でも少し慣れがでてきたのだと思います。 さて、新しい節目にチャレンジしてほしいのは、今までとちょっと違ったことを試して欲しいということです。 いろいろなことが考えられますが、まずは友達の輪を広げる努力をしてもらいたいと思います。 いままであまり話したことのなかった人に声をかけてみてください。 もしかしたらとっても仲のいい友達にめぐりあうかも知れません。 これは現地校でもいっしょです。 そうしてどんどん知り合いの輪を広げていくことが自分にとって大きな財産になっていくでしょう。 そして、新しいことにチャレンジするということは他のことにもあてはめられます。 自分の好きなことにかたまらず、安住感から抜け出て、ちょっといやに思えることにも積極的にチャレンジするという気持ちは大事です。
さて、夏休みの最後に北京オリンピックがありましたので見た人が多いと思います。世界中からそれぞれの国を代表した選手たちが集まりいろいろな競技に力の限りを尽くして頑張りましたね。 古代オリンピックは今から3000年近い前にギリシャで始まりました。 そのころのギリシャは小さな国がいくつもあり、しょっちゅう戦争が行われていましたが、いつのころからかこのオリンピックがはじまり4年に一度戦争中でも戦争をやめて集まってスポーツを競いました。 この古代オリンピックは1000年以上、400回近くも行われたという記録が残っています。 これだけ長い間続いたのですがいつか取りやめとなり、19世紀の終わりごろにクーベルタンという人の提唱で近代オリンピックが始まりました。世界の平和を願ってスポーツを通じてみんなが仲良くできるようにというのがその始まりの大きな理由です。 この人が言った有名な言葉にオリンピックは勝つことよりも参加することに意義があるという言葉があります。 優勝した水泳のマイケルフェルプス、体操のショーンジョンソンなどが10年以上ものあいだとても厳しい練習を重ねてきたことは有名ですが、オリンピックに出た人すべて、またオリンピック参加をめざしていた人すべてが大変な努力を重ねてきたことを忘れるわけにはいきません。 勝つことも大事ですが、自分のやることを精一杯努力して力を出し切ることが最も大事なことです。
さあ、2学期には学習発表会があります。すぐ準備が始まると思いますが、それぞれの役目を自分なりに頑張って力を出し切ってみんなですばらしい発表ができるよう期待しています。


2008年6月 ティームホイト・親子の愛
先週からやっとぐずついた天気がなくなり冬から抜け出したと思ったら突然夏がきたという感じの天気になりました。もう現地校は長い夏休みに入ってますね。 来週は運動会なので思い切って体を動かしてがんばりましょう。
さて今日は運動会前でもありスポーツの話をします。 陸上の走る競技で最も長い距離を走るのは勿論マラソンですね。 42.195キロというとっても長い距離を走ります。 普通の人はこの距離を走りきることすら困難です。 フルマラソン以外に半分の距離を走るハーフマラソン、10キロ、5キロなどいろいろなレースがあります。 また走るだけでは物足りないという人たちにはトライアスロンという、長距離を走る前に、泳いで、バイクで走るレースがあります。三つの競技をこなすのでトライという名前がついています。 トライアスロンの中でもアイアンマンレースというのは先ず4キロの距離を泳ぎ、つぎに170キロの自転車レースをします。そして最後にフルマラソンの42キロを走るというとっても過酷な競争で完走するにはものすごい体力と気力が必要です。 さて、みなさんティーム・ホイトという名前を知ってますか? ティームなので一人ではありません。 これはホイト親子のチーム名です。 お父さんがディック、息子がリックといいます。 ちょっとまて、トライアスロン・マラソンは一人でやるものじゃないの?という疑問がわきますよね。 この親子は過去25年間常に一緒にレースに参加してきました。 この間、合計1000回近いレースに出場、そのうちアイアンマン6回を含むトライアスロンに225回、マラソンに65回、またアメリカ大陸横断、これは約5000キロを45日間かけて完走するという記録を持っています。 子供のリックは生まれるときにへその緒が首に巻きつき一時的に血液が脳に供給されないという状態が起こり、その結果生まれたあと体を動かすことができない、しゃべることも出来ないということになってしまいました。 医者もリックは一生この状態は治らないと言いましたが、お父さん・お母さんは決してあきらめなかったのです。 一生懸命にリックの面倒を見ていたのですが、ある日、リックの目の奥で何かを言いたそうな感じがあることに気がつき、近くの大学のコンピューターのエンジニアと相談した結果、アルファベットの入力を頭のほんのちょっとした動きでできるようにした特別の機械を作ってもらいました。 今から50年近く前のことですからコンピューターもそんなに発達していなかったのですが、周りのみんなの協力体制が素晴らしかったのですね。 いずれにしてもその結果リックは自分の思っていることを周りの人に伝えることができるようになったのです。 両親はその後リックを普通の子と同じ様に育てることを目指し、公立の学校に通わせて、最後にはボストンカレッジも卒業し、今でもボストンカレッジで働いています。 しかし、リックの体はどうしても動かせることができず、車椅子の生活をせざるを得ません。あるときリックはスポーツで怪我をして体を動かせなくなった人をバックアップする5キロマラソンの大会に出たいということをお父さんのディックに言いました。 お父さんはこれを聞いて、よし、それじゃ車椅子を押して一緒に参加しよう、とリックの気持ちを実現させました。 結果はビリから2番目だったそうですが、二人で一緒に何かをやりとげたという満足感を得ることができたそうです。 お父さんはもともと走ったりしていなかったので、それからトレーニングにトレーニングを重ねて、もっと大きな大会にでるようになり、フルマラソンにもでるようになりました。 最初のうちは周りの競技者はなんで車椅子なんかに乗った人が一緒にでるのか、という感じを持っていたのですが、回を重ねるに従って励ましの声をかける人が多くなり、リックに向かって、「お父さんをヘルプしよう」、とか、中には「君たちが参加しているから僕も出場する意義があるんだ」などと言って励ます人たちが増えてきたそうです。 そうしいたまたある日、リックはトライアスロンというものがあって、これに挑戦したいということをお父さんに言いました。 ディックはこれを聞いて少しもいやな顔をせずに、水泳とバイクの練習を始めました。 腰にひもを巻きつけてボートに乗ったリックを引っ張るのですから大変です。 おぼれそうになりながらも努力でこれを乗り切り、またバイクもゆっくり乗っているだけなら楽ですが、レースとなるとこれも大変です。 これらの練習を重ねたあとついにトライアスロンに挑戦しました。 そして最後にはアイアンマンにも参加して完走するまでになりました。
この話しはお父さんの子供に対する愛の強さと大事さを感じさせます。 まずリックが生まれた時の状態から医者までがあきらめたほうがいいと言ったのを、お父さん・お母さん共に、絶対にそんなことはない、きっとリックはちゃんとした人間として育つはずだと信じて根気よく相手をしました。 そしてコンピューターを使って会話ができるようになったら、普通の学校に通わせて普通の子供と同じ様に育てました。 そしてリックがスポーツ好きだと分かり、マラソンに参加したいという気持ちを持っていることを知ると、車椅子を使って一緒に走ることに挑戦し、これを見事にやり遂げました。 ホイト親子はアメリカ各地で開かれるマラソン・トライアスロンに参加してきいますが、同時にいろいろなところでスピーチを頼まれて話しをするそうですが、一番言いたいのは世の中にはいろいろな人がいて、中には障害を持った人もいます。 しかし世の中の人全てが社会の中で全ての機会に同じ様に参加できることが大事だということだそうです。
われわれが運動会を来週行いますが、同じ日にここイリノイ大学の施設を使ってスペシャルオリンピックが開かれます。 陸上競技の他にも水泳・体操・サッカーなどいろいろなスポーツで体に障害を持った人たちが楽しみ・競うことになります。 この世の中の人みんながそれぞれに目的を持って生を受けています。同時に社会の中で生活していくために周りの人たちと差別なく協調していくこともとっても大事です。 さていよいよ来週は運動会なので先ずは来週の週末がいい天気になることを祈りましょう。


2008年5月 日本の文化
今年の初めから日本の昔の話をしています。ちょっと繰り返しになりますがさらっとおさらいをしましょう。 日本の大昔、縄文時代と呼ばれる時代と弥生時代と呼ばれる時代がありました。 これらの時代には文字を使っていたのかどうかその証拠がないので分りませんが、この時代に使っていた食器とか農具、武器のかけらが掘り出されているので人々の生活状態が想像できます。 この時代はそれぞれとっても長い間続きました。 何百年もの間あまり変化がなく過ぎたと思われます。 同じ頃中国ではかなり文明が発達していましたがこれらの情報はほとんど日本は伝わってきていなかったようです。 それは日本の地理的条件が島国でぽつんとはなれたところにあったことによります。 今ではこのくらいの距離はたいしたことはありませんがちゃんとした船もない時代なので日本海を渡るということは大変なことだったのでしょう。 そのために新しい、違った考え方が伝わってこなかったのです。人間の歴史を見るとはっきりしていますが文明がおこるためには違った文化のぶつかりが必要です。これがなかったために縄文時代・弥生時代と呼ばれる非常に原始的な生活をしていた時代が長く続きました。 そうした中にやってきた大きな変化は最初に南方から米をもってきたボートピープルだったのです。彼らは日本に稲作を伝え、このおかげで食料を安定的に確保することができるようになり生活が、がらっと変わりました。 それから何百年もたってから今度は朝鮮から製鉄、すなわち鉄を作る人たちがやってきたことを話ししました。 そして日本はその自然条件に恵まれていた結果、アジア地域での大きな製鉄国になりました。 朝鮮から製鉄が伝えられたのはだいたい3世紀ごろです。その後次第に日本と中国・朝鮮、その他の国々との交流が増えていきました。 さて、本題に戻りますが、日本は他国との交流が盛んになるまでの非常に長い間を自分たちの世界で生きてきたのですが、日本語の原型はこのころに出来上がってきたと思われています。 日本語は他の言語とくらべてもかなりいろいろな面で違っています。 アメリカで使われている英語だとか日本の近くにあった中国の言葉などおおくの言語は単語がブロックのように並べられて文章になっています。 ところが日本語は単語を「が、の、に、を」といった助詞というものでつなぎ合わせた文章になります。 一方、日本人は外国から伝わったもの、言葉もそうですが、を自分たちのものにしてうまく使い分ける能力が優れています。 中国から多くのものが渡ってきているのですが、みなさんが習っている漢字はもともと中国のものなのはみんなも知っている通りです。 漢字は5・6世紀ころに日本に輸入されました。 ここで日本人の独特の技術が発揮されました。 文章は中国語で書かれたものを日本語風に読み替えてしまうという技術を考え出しました。漢字はそのまま利用しましたが、日本語は残したのです。 こういうことが起こりえたのは世界でもおそらく日本だけじゃないかといわれています。 このように日本は過去何千年にもわたって独特の進み方をしてきていて、その間外国との交流もなかったわけじゃないけど、大きな流れとしては自分たちだけの文化を創りあげ、それをたもってきていたといえるでしょう。 そこで今日私がみなさんに言いたかったのは、みなさんそれぞれが日本文化を他の社会にどんどん紹介する役目を担ってほしいということです。 過去何千年もの歴史を持った国で、独自の文化を作りだしてきていて、立派な文化物を持っているなど、まず自分たちでも日本のことを勉強して、それを他国の人たちに伝えてみてください。 そのためには先ず自分で日本の文化をよく知ることが必要です。 どんどん知識を広げてこれを多くの人に伝える努力をして欲しいと思います。


2008年4月 平成20年度 入学式
今日から平成20年度の新しい学年がはじまります。 今紹介あった小学校・中学校それぞれの新入生、ならびに三年生への転入生の入学を許可します。 みなさんご入学おめでとうございます。 新一年生がみんなとっても元気ではつらつとしていて見ていてとっても気持ちがいいです。 新入生のご両親・ご家族のみなさま、おめでとうございます。
今日はこの学校にはじめてお出での方もいらっしゃいますので簡単に学校の紹介をしたいと思います。 いましゃべることは新一年生や低学年の生徒にはちょっと難しいと思いますが高学年の生徒、ならびにご列席のご両親の方には是非聞いていただきたいと思っています。 本校は1986年に開校しましたので満21年を過ぎました。 その間ずーっとこの校舎を使用して今日に至っています。
学校の設立目的は全世界の補習校がそうであるように、生徒が日本に行ってもすぐに適応できるように日本語での学習を行うということにあります。 現在世界中に195校の補習授業校があるそうです。 そのうち80校近くがアメリカにあります。 その中にはカリフォルニアにある1000人を超える規模の学校もあります。 デトロイト校は900人、シカゴ・コロンバスでは500人弱と大きな学校もあれば、全校生徒でも20人以下という小さな学校もあります。 世界中の195校のうちの3分の2が生徒数50人以下ということなのでこの学校は37人ですからこの大多数の小規模校の一つということです。
本校は年間で41日間の授業日程ですので当然日本のカリキュラム全てをカバーすることは不可能です。 従って教科として国語・算数、さらに高学年では社会科を追加していますが、これらの限られた教科だけを対象に授業をしています。 その中でも日本人として最も大事な日本語・国語の授業に特に力を入れて指導しています。
言葉はとっても大事なものです。 単に言葉といってもきちんと文章として自分の考えを表現できるようになることが必要です。 この言葉があったからこそ、古代の中国文明、ギリシャ・ローマ文明といったものが発達することができたのです。 一般に日常生活用語としては400から500くらいの言葉があると言われています。 ですからその気になれば一生、400から500の言葉を使っていれば生活はできることになります。 しかし、例えばのどが渇いたら「水」といえば水が飲める、というようなことだけではそれこそ太古の狩猟・採集時代の人たちの精神構造と変わりなく、発展が望めません。 きちんと言葉をしゃべれなければ自分の思いを他人に伝えられないばかりか、叡智を触発されることもなく、知的昂揚を感じることもなく、愛を感じることもできないでしょう。
日本語は日本文化2000年の所産といえます。この立派な日本語での教育をしていく現場にいるわれわれとしてはこの辺の大事さを認識しつつ児童生徒と接していきたいと思っています。 同時に教育は学校以上に家庭での対応が重要であることは言うまでもありません。 学校・家庭が一致協力して同じ目的で進むことが大変大事だと思いますのでよろしくお願いいたします。 また、この学校はとても小さな学校でいろいろなところでご家庭のご協力をお願いしてやってきています。 今年もお願いすること多々あると思いますが、その際には何卒よろしくご協力の程お願いいたします。
今日は天候もいかにも春という素晴らしい絶好の入学式日和となり、一年のスタートを切ることができました。 今年一年みんなで頑張っていきましょう。


2008年3月 平成19年度卒業式
今日が平成19年度の最後の日です。 一年間それぞれの学年で勉強を続けてきてみな一段と実力がつき次の学年、または上級の学校に進む準備が出来上がりました。 みんなよく頑張りました。 おめでとう。
さて、小中それぞれの卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。小学生から中学生、中学生から高校生へと、ここで大きなステップを踏むことになります。 いつも言っていますが若いみなさんの頭の中の脳みそはスポンジのようにいくらでも知識を吸収できる能力があります。 そして、今が基礎知識をどんどん取り入れていくとっても大事な期間にあたります。現地校でもこの補習校でも、また自分の時間でも新しいことを貪欲に取り込む意識が必要ですので、これからもそういった努力を続けてください。 卒業生のご両親のみなさん、おめでとうございます。 スクールバスのない学校ですから送り迎えをしなければなりません。 それも結構な距離を通学されておられる方もいらっしゃいます。 いろいろご苦労があったと思いますが、お子さまが立派に育っていくのを目のあたりにしてお喜びのことと存じます。
 
21世紀に入って8年経ちました。 みなさんはこれから21世紀を生きていきます。 私は20世紀の中ごろに生まれたので学生時代から社会人としての人生のほとんどをその中で生きてきているいわば20世紀人といえます。 この50年余りの短い期間にとっても大きな変化がありました。 社会の変化、科学技術の進歩、医学の進歩、これらの変化の度合いはどんどん早くなっているので、これからのみなさんの活躍する時代にはもっともっと大きな変化が起こることでしょう。 私にはなにが起こるのかは予測もつきません。 これまで朝礼などでみんなに話をするときによく歴史の話しをします。 自分自身歴史が好きでいろんな本を読んできました。 人間の長い歴史の中にはいろいろなドラマがあり、これが繰り返されてきています。 これまでにこの世に存在しいた何十億、何百億という人たちの人生が歴史の中に詰め込まれています。 歴史を読んでいて学んだことは人間の生き方の基本的なことは決して変わらないということです。 いまから千年、2千年、三千年前の人たちの生活様式は違いますが生き方はみな同じです。 これから21世紀の世の中がどうなっていくのか予測がつかないことには変わりありませんが、こういった人間の生き方は変わりません。さてそれでは、どんなことが基本的なことなのでしょう。 日本の歴史作家に司馬遼太郎という人がいました。 この方は十年ほど前に亡くなりましたが、とっても数多くの立派な歴史小説を書いています。 この方が亡くなる少し前に小学校六年生の教科書用にひとつの文章を書きました。 「二十一世紀に生きる君たちへ」と題したもので君たちのようにこれから21世紀を担っていく若い人たちに期待する気持ちを書き表した文章です。その中で、司馬さんは3つのことをあげています。
1. 自然に対するすなおな態度を持つこと、
2. 自己を確立すること、
3. たのもしい人格を持つこと、
これらについて教科書の言葉をすこし引用させてもらい紹介します。
自然について: 「昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があるということである。 人間は自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。ところがこの態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。 人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。しかし、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、終わっていくにちがいない。 この自然へのすなおな態度こそ21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。」
自己の確立について: 「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。 自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。 そして、すなおでかしこい自己を。自己といっても、自己中心におちいってはならない。 人間は、助け合って生きているのである。 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。 助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。 他人の痛みを感じることと言ってもいい。 やさしさと言いかえてもいい。 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。」 社会生活を送っていく上で大事なことは他人との協調です。 フランスの小説に三銃士という話しがあります。 田舎からでてきた若者がいろいろな困難と闘っていく話しで、実在したダルタニアンの活躍を描いています。 この中で有名な言葉がでてきます。 フランス語でun pour tous, tous pour un、英語にするとone for all, all for oneとなります。 「一人はみなのために、みなは一人のために」ということで、団結してことにかかればよい結果が出てくるということです。
たのもしさについて: 「鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。」
これら3つのことは人間にもともと備わっているものではなく、訓練しなければ自分のものにできません。 だから常にこういった気持ちを持つことが大事です。 もう一度繰り返します。 自然を大事にすること、自己を確立すること、そして頼もしさを持つこと、これらのことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえといえます。 そして、みなさんにはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持ってもらいたいと思います。 また、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩いていって欲しいと思います。
昔ドイツの学者でイマヌエル・カントという人がいました。 一度朝礼で紹介したので覚えているかも知れませんが、この人は「世界における一切のものは何らかの目的に役立つ、世界には何一つ無駄なものはない」と述べています。 あらゆるものは意味があって宇宙に誕生し、偉大な連関の中で自分の役割をまっとうしているということです。 みなさんひとりひとりがこの宇宙に生を受けたことが、どれほどの奇蹟でありどれほど深い使命を持っているか、そのことに想像をめぐらせてほしいのです。
最後になりますが、みなさんの未来は、真夏の太陽のようにかがやいています。 この未来におおいに期待しています。



2008年3月 人間と鉄について
今日から3月です。 3月は古代ローマ帝国の暦では1年の一番最初の月だったのです。 英語のマーチという名前はローマの戦いの神様「マルス」からとってつけられました。 人間の歴史には常に戦いがありローマでも戦いの神様は大事な神様だったのでしょう。
先月日本の古代、大昔の話しをはじめました。 縄文時代があってその後弥生時代を向かえ自分たちでお米を作る農作をはじめたのです。 日本の昔に限らず世界どこでもそうですが自分たちで農作をはじめることはその社会の安定化を意味します。 そして生活をもっと楽にできるような工夫もだんだん増えていきます。
この弥生時代にも鉄製の武器や農具はありました。 これらは日本では作られておらず朝鮮など他の国から渡ってきていました。 この朝鮮半島では中国から伝わった鉄作りが盛んに行われていました。 鉄は鉱石や砂鉄など自然の中では酸素とくっついて存在していますからこの酸素を取り除くために炭を燃やして出た炭素を利用します。 だから木をどんどん燃やす必要があるわけです。 古代の鉄作りの人たちはある場所で山の木を全部焼いてしまうと次に木のある場所に移動します。 そして鉄を作り、またそのあたりの木を全部切って焼いてしまうと、また次の場所へと、どんどん移動していったのです。 これがどういう結果をもたらすかというと、みなさんも想像つくと思うけど、引っ越していったあとの場所は木がなくった土地が残ります。 そのあと木は生えてこずにみんな禿山になってしまい砂漠化が進行します。こういう状態は中国・中東・アフリカなどいろいろなところで見られ何千年も経った今でも草木のない砂漠となっています。 ぜんぜん話しが飛ぶけど、ロードオブザリングスって映画があったけど見た人いるかな? あの映画で木の精が出てきて悪者退治に手を貸していました。 悪いほうの連中が木をどんどん切って燃やしていたシーンがありましたが、これは鉄を作って武器を作っていたんですね。木の精は仲間がどんどん切られて燃やされてしまったことを恨み、悪者退治を助けました。 イギリスでも昔鉄を作るために多くの木が切られていたということから、この話しの作家もこういう話を織り込んだんだと思います。 さてもとの話しに戻って、朝鮮の鉄作りも同じだったのです。 そして朝鮮半島ではもう木がなくなってしまった時に東の方にある島に行けば一杯木があることを知り、日本に渡ってきたのが3世紀ごろのようです。 そして日本で鉄を作り始めました。そのやり方は変わりませんからあるところで木を使い果たすと他の場所へ移動する具合です。 しかし日本が他の地域と違ったのは高温多湿で植物の繁殖に非常に適しているということだったのです。 だから木がなくなってしまったところも30年ほどもするとまた木が勝手に生長することができ、砂漠化が進行することはなかったのです。この条件はその後の日本の製鉄産業の発展に多いに助けになり、その後千年ほどできた鉄を輸出するようにもなりました。 と、いうことで鉄の産業の導入時から以降の日本は他の国々との交流も次第に増えていきました。
今日はあまり知られていない日本の歴史の一部を紹介しましたが、米作りを持ってきて弥生時代のはじまりのもとになったボートピープル、朝鮮からやってきた鉄を作る一団、とそれぞれ大きな変化を日本にもたらしたのは外国から来た人たちだったのですが、彼らはその後はいつの間にか日本の中にうもれてしまったようです。 これはやはり日本の地理的な条件からコンスタントな外国との交流ができにくいという理由によるものだと思います。 そしてこの条件のもとでこのころに日本語のベースが出来上がったようです。 さて、この続きはまた先にします。
三学期も今日を入れて3回授業があるだけです。 22日には終業式・卒業式があります。 次第に暖かくなってきて気分もよくなってきます。 あと少しの今学年をみんな頑張って行きましょう。



2008年2月 日本の起源
あっというまに2月になりました。 まだまだ冬は続くのでしばらく我慢しないとしょうがないですね。 2月は短い月です。 普通は28日、今年はうるう年だから29日あることは先月話しましたね。 2月が短いのはローマ帝国の最初の皇帝・アウグストスが自分の名前の月、8月がそれまで30日しかなく小の月だったをきらい2月から一日もってきて31日にしたために2月は他の月よりも短いのです。 ところで2月11日は日本では建国記念日で祝日です。アメリカの独立記念日のようにたった2百年ほど前のことで日にちが特定できる場合はいいですが日本のように古い国でしっかりとした記録が残っていない中で建国記念日を特定するのは難しいことです。 一つの根拠として日本の古い書物の古事記、日本書紀で最初の天皇にあたる神武天皇が即位した日といわれていますが、神武天皇が実際にいた人かどうかははっきりしていない、というかむしろ歴史的には疑わしいというのが今の定説です。 これらの話しが本当だとすると紀元前600年ごろにいた天皇となりますが、このころの日本は縄文時代か、もしかしたら弥生時代のはじめごろにあたるのではないでしょうか。 縄文時代というのは幾つかの説がありますがいずれにしても8千年とか1万年とか非常に長い間続きました。 この時代は自然にできるもの、植物や狩猟で動物を取ったり、魚・貝などの海産物を食べて生活をしていました。 そこに紀元前300年か、もしかしたらもう少し前に大きな革命が起こったのです。 南方からボートピープルが日本にやってきました。 ただ来るだけじゃなくて何かを持ってきたのです。 それはお米を作るやり方でした。 水田という田んぼに水を引いてきて稲を育ててお米を作るやり方は、その後あっという間に日本全国に広がったようです。 そこで何が変わったかというとそれまでは自然にまかせていたのが自分達で食料の確保をすることができるようになったことです。 縄文時代に続くこの時代を弥生時代と呼んでいます。 この時代次第に集団生活が広がっていきました。また海外との行き来も次第に増えてきた時代です。 さて縄文時代ですが、とっても長い期間続きました。 これは日本の地理的な理由で孤立していたからです。 日本は大陸とは地続きではなく、一番近い朝鮮半島とも対馬海峡を隔てて200キロもあります。ここからシカゴまでの距離です。 イギリスとフランスの間のドーバー海峡は一番近いところで35キロくらいのものですから、ローマ時代からも大陸との間ではしょっちゅう行き来ができたのですが、日本はそう簡単に行き来ができるという場所にはありません。 だから歴史的に日本は他の国との接触は非常に少なく長い間あまり変化もなくきていたのだと思います。 文明が発達するためには違う民族・考え方などがミックスしないと成り立ちません。 違う文化がぶつかり合うことにより新しいものが生れてきます。 3人寄れば文殊の知恵という言葉があります。 文殊というのは仏教のお釈迦様の弟子の一人でとっても知恵のすぐれた人だったそうで、この人にはちょっとやそっとでは太刀打ちできないけれど、3人でいろいろ考えればいい知恵がでてきて文殊にも匹敵できるのではないかということから言われている言葉です。 ようは複数の人がいろいろ意見を交換すればそれだけ新しい考え方がでてくるのです。
今日は日本、日本語について話しをはじめましたが、この続きはまた来月にします。 今日の一番のテーマは他人との意見交換の大事さについてです。 自分の意見を自分だけで取っておかないでどんどん他人にも伝えること、そして他の人が持っている意見にもよく耳を利かせて内容を理解すること、そうすることによって新しい、よりよい考え方ができてくるものだと思いますので、これをよく覚えておいて欲しいと思います。



2008年1月 ねずみ年
あけましておめでとうございます。 今年は子の年です。ねは子供の子という字を書いて、ねと呼びます。 ねずみの年とも言われます。 この12の動物の名前がついた干支というのは大昔から中国で使われた番号をあらわすものです。 もともとは動物の名前とは関係なかったのですが、覚えやすくするためにそれぞれに動物の名前をあてたということです。 子という字はどう呼んでもねずみの意味があるとは思いませんが、同様にほかの名前も字からは想像できない動物の名前があてられています。 午前・午後の午というのは字はむしろ牛に近いですがうまにあたります。 この干支は時刻にも使われていて一日を12に分けてたとえば午前11時から午後1時くらいをうまの刻といっていてその真ん中、丁度午後12時を正午と呼び、その前を午前、あとを午後といったりしています。 昔、神様が動物の名前をつけるときに家の前に集まった順に名前をつけることにして動物に家に来るよう呼びかけたそうです。 それを聞いた牛は自分の動きが遅いのを知っているので早めに準備をして決められた時間の前に家の前に並んで待っていたのですが、門が開く寸前にねずみが牛の頭の上に飛び乗り、門が開いたときに最初に門をくぐったので子の年が一番になったそうです。 またこのねずみは猫に集合時間をわざと遅く教えたので12の動物の仲間入りをすることができなかったという話があります。猫はこれをうらみに思って今でもねずみを見つけると追いかけまわしているんだそうです。 これはうそです。 どうして猫が入っていないのかはよく分かりません。
もうひとつ雑学を紹介します。 今年はうるう年です。 2月は29日まであり、一年が366日になっています。 これはほぼ4年に一度の割合でまわってきます。 今われわれが主として使っている暦はグレゴリオ暦といわれて今から約500年ほど前に決められた暦が広く使われています。 太陽暦といって太陽の動き、というか実際には地球の太陽に対する動きをベースに作られている暦です。 地球が太陽の周りを廻っているのはみんなも知ってますよね。 一周すると一年なのですが、実際には365.24、、日が一周の時間なので365日を一年としていると何年かすると季節と暦がずれてきてしまいます。 例えば春分の日という昼と夜の時間が一緒になるのは3月21日ですが、365日を一年としていると4年経つと3月22日が春分の日になってしまいます。 そこでうるう年に一日増やして調整をしているわけです。 うるう年は大昔から採用されていたのですが、4年に一度の調整だと長い期間にまたずれがでてきてしまいます。 あるときこの誤差がたまって10日以上になってしまったのでグレゴリオ法王が専門家に調べさせた結果今使われている暦を決めました。 これによると、うるう年は4年に一度をベースとし、西暦を4で割って割り切れる年がその年となります。 ただし4で割れても100で割れる年、たとえば1900年、はうるう年としない、ただし400で割れる場合、たとえば2000年、はうるう年をする、と決められています。 これで400年で97回のうるう年があります。 うるう年には夏季オリンピックが開かれます。 またアメリカの大統領選挙があるのもこの年になります。 今年の8月には北京でオリンピックが開かれます。 久しぶりのアジアでのオリンピックになります。
と、いうことで2008年がスタートしました。 暮れにも言いましたが年頭にあたって自分の目標を何か立てましょう。 スタートが大事です。 その目標に向かって頑張ってもらいたいと思います。 三学期は比較的短い期間です。 まだしばらく寒いけれども寒さに負けず、健康に気をつけてみんなでがんばって行きましょう。


2008年1月 ねずみ年
あけましておめでとうございます。 今年は子の年です。ねは子供の子という字を書いて、ねと呼びます。 ねずみの年とも言われます。 この12の動物の名前がついた干支というのは大昔から中国で使われた番号をあらわすものです。 もともとは動物の名前とは関係なかったのですが、覚えやすくするためにそれぞれに動物の名前をあてたということです。 子という字はどう呼んでもねずみの意味があるとは思いませんが、同様にほかの名前も字からは想像できない動物の名前があてられています。 午前・午後の午というのは字はむしろ牛に近いですがうまにあたります。 この干支は時刻にも使われていて一日を12に分けてたとえば午前11時から午後1時くらいをうまの刻といっていてその真ん中、丁度午後12時を正午と呼び、その前を午前、あとを午後といったりしています。 昔、神様が動物の名前をつけるときに家の前に集まった順に名前をつけることにして動物に家に来るよう呼びかけたそうです。 それを聞いた牛は自分の動きが遅いのを知っているので早めに準備をして決められた時間の前に家の前に並んで待っていたのですが、門が開く寸前にねずみが牛の頭の上に飛び乗り、門が開いたときに最初に門をくぐったので子の年が一番になったそうです。 またこのねずみは猫に集合時間をわざと遅く教えたので12の動物の仲間入りをすることができなかったという話があります。猫はこれをうらみに思って今でもねずみを見つけると追いかけまわしているんだそうです。 これはうそです。 どうして猫が入っていないのかはよく分かりません。
もうひとつ雑学を紹介します。 今年はうるう年です。 2月は29日まであり、一年が366日になっています。 これはほぼ4年に一度の割合でまわってきます。 今われわれが主として使っている暦はグレゴリオ暦といわれて今から約500年ほど前に決められた暦が広く使われています。 太陽暦といって太陽の動き、というか実際には地球の太陽に対する動きをベースに作られている暦です。 地球が太陽の周りを廻っているのはみんなも知ってますよね。 一周すると一年なのですが、実際には365.24、、日が一周の時間なので365日を一年としていると何年かすると季節と暦がずれてきてしまいます。 例えば春分の日という昼と夜の時間が一緒になるのは3月21日ですが、365日を一年としていると4年経つと3月22日が春分の日になってしまいます。 そこでうるう年に一日増やして調整をしているわけです。 うるう年は大昔から採用されていたのですが、4年に一度の調整だと長い期間にまたずれがでてきてしまいます。 あるときこの誤差がたまって10日以上になってしまったのでグレゴリオ法王が専門家に調べさせた結果今使われている暦を決めました。 これによると、うるう年は4年に一度をベースとし、西暦を4で割って割り切れる年がその年となります。 ただし4で割れても100で割れる年、たとえば1900年、はうるう年としない、ただし400で割れる場合、たとえば2000年、はうるう年をする、と決められています。 これで400年で97回のうるう年があります。 うるう年には夏季オリンピックが開かれます。 またアメリカの大統領選挙があるのもこの年になります。 今年の8月には北京でオリンピックが開かれます。 久しぶりのアジアでのオリンピックになります。
と、いうことで2008年がスタートしました。 暮れにも言いましたが年頭にあたって自分の目標を何か立てましょう。 スタートが大事です。 その目標に向かって頑張ってもらいたいと思います。 三学期は比較的短い期間です。 まだしばらく寒いけれども寒さに負けず、健康に気をつけてみんなでがんばって行きましょう。



2007年12月 有終の美
今年もあと1週間で終わります。みんないい年だったかな。 今年の初めになにかやろうと決意した人の結果はどうだったでしょう。 今年はいい年だったと思う人、あまりよくなかったと思う人、いろいろいると思います。
昔からある言葉で「有終の美」という言葉があります。 よく有終の美を飾る、という言い方で使われるので聞いたことのある人もいると思います。 これは中国の古代から言い伝えられてる言葉です。 日本で神社やお寺などでおみくじというをひいたことのある人はいますか? おみくじは運勢をうらなるのにつかわれます。 中華料理屋でフォーチュンクッキーを空けると中にあなたにどんなことがおこりますよ、などと書いた紙が入ってますが、ちょっとこれに似たもので、おみくじには近い将来の吉凶、すなわちいいことが起こるか、悪いことが来るかなどを占うものです。 神様の意思がどうなのかを占うというのは古代から行われてきています。 中国の古代でも皇帝が国を治めるのに占いはとっても大事なことでした。 最初は例えば亀のこうらを焼いてそのひびの入り方である出来事を占ったり、星の動きをもとにした判断など根拠があまりはっきりしないやり方でしたが、次第にいろいろな研究が重ねられてかなり複雑なやり方で占いをするようになってきました。 中国の古代の占いの一つに64卦(け)という64種類の吉凶を説明する言葉がありますが、その一つで吉とされるものに「地山謙」(ちさんけん)という言葉があります。 これは高い山なのに低い地面にいるように見せる謙虚さをあらわします。 ごんべんにかねるとかいた謙(けん)という字があります。 これはたとえば謙遜(けんそん)、謙虚(けんきょ)、謙譲(けんじょう)というように使われますが、これらはみないわゆる美徳です。 決して自分をえらそうに見せないといったらいいのかな。 中国では非常に立派な人を君子という言い方で呼びました。この君子になるには仕事をしっかりとして、しっかりとした考え方を持ち、しかも自分では決して偉ぶらないということがとっても大事なことだとされていました。 謙は亨る、君子有終、という言葉があります。 見事なしめくくりをすることをできるものだけが君子と呼ばれる資格があるということになります。 ものごとを立派に仕上げるのはとっても難しいことです。 だれでもできたら世の中君子だらけになってしまいます。 この有終は最後だけ良い格好をしてもだめです。 途中経過が大事なのですね。 要は途中でどんな困難があっても努力してあきらめずに物事をやり遂げ、最後に立派に仕上げることでその人の一生の有終の美を飾ることができるのです。 これが本来の意味なので、よくプロのスポーツ選手が引退前だけぱっと花を咲かせたときなどに有終の美を飾ったといわれることがありますが、正しくは必ずしもこの言い方があっていないケースもあるのじゃないかと思います。
さて、あと一週間で2008年になります。 新しい年になって皆さんも何か目的、目標をたてようではありませんか。 そして三日坊主で終わらないよう、一生懸命に努力してみてはどうでしょう。 そうしたら今から一年後に2008年の一般的な意味で言う有終の美を飾ることができるようになるのではないでしょうか。
さあ短い冬休ですが旅行など計画のある人もいるでしょうね。 いずれにしてもメリークリスマスとよい新年を迎え、また三学期にみんなの元気な顔を見るのを楽しみにしています。



2007年11月 感謝祭の話し
今日は11月3日、日本では文化の日です。秋も深まってきて今日もとってもいい天気ですね。 明日から冬時間に変わりいよいよ冬に向かって進んでいきます。 この辺でもトウモロコシなどの収穫が終わったそうです。 秋には穀物も実り、果物も柿など実が熟しておいしい食べごろになります。秋には収穫を祝ったお祭りなどが行われるところもあります。 アメリカでも11月の末には感謝祭があり、収穫を祝い神様にお礼をいう習慣がもとになったお休みがあります。 この時には木曜から4連休になるところが多く、アメリカでは家族など集まって七面鳥の料理を楽しむところが多いです。 今日はこの感謝祭の話をちょっとしましょう。
コロンブスがヨーロッパから西に行けば必ずインドに着けると信じて航海をした結果アメリカ大陸にたどり着いたのが1492年です。 コロンブスはこの新大陸を死ぬまでインドだと信じていたそうです。 アメリカには勿論もともと住んでいた人たち、先住民族と呼ばれていますが、インディアンと呼ばれているのは、このためなのは知っている人もいると思います。 いずれにしてもコロンブスのあとヨーロッパの人たちが次第にアメリカに入ってくるようになりました。 この人たちとインディアンとの間ではいろいろと問題があったようです。 インディアンにしてみれば自分達の住処に勝手に入ってきて毛皮を目的とした狩をしたりするヨーロッパ人にはいい気持ちがしなかったのでしょう。けんかをすることも多かったのです。 一方新大陸があることはヨーロッパでは次第に話題になってきました。 こんなとき、イギリスで宗教上いじめられていた一団が信仰の自由を求めて新大陸に行こうと思い立ちメイフラワー号という船に乗ってアメリカにやってきました。1620年の12月にボストンの近くにあるプリマスというところに着きました。 ピューリタンと呼ばれるこの人たちは希望に燃えてやってきたのですが、この年の冬は特に寒さが厳しく食べ物もなくて到着したとき100人あまりだった一団が厳しい冬を越えて春を迎えたときには半分が飢えや寒さのために死んでしまうという厳しいスタートをきったのです。 そして春を迎えて自分達で生活をはじめたのですが、このとき近くに住んでいたインディアンの酋長はとても心優しい人で、ピューリタンの一団に耕作の仕方を教え、狩を一緒にしたりいろいろと助けてくれました。 その結果秋に穀物の収穫を得ることができて、その冬は飢えを心配せずに過ごすことができるようになったのです。 そこでみんなで集まり、収穫を祝い、神に感謝したのが感謝祭のはじまりだといわれていあす。 その時にインディアンが七面鳥を焼いてみんなで食べたので今でも七面鳥が感謝祭につきものになった理由です。 さて、話しが長くなっちゃったけど、ここで言いたいのはわれわれの社会では他の人たちと協調していくことが大事だということです。 人間の歴史は戦争がつきものです。今でも戦争・争いはどこかで行われています。 人間には欲があってこれを通そうとするとどうしてもぶつかります。 そこでちょっと他人の気持ちを考える、人の言うことを聞こうという気持ちになってみることが大事だと思います。 心優しいインディアンの気持ちがとっても大事ですね。 そこから仲良くできる道が見つかると思います。



2007年10月 変化の大きな時代
今われわれはとっても変化の大きな時代に生きています。
世界の人口を見てみましょう。 今から2000年前の紀元1年ごろには地球上全てをあわせた人口が約3億人だったと考えられています。 今アメリカの人口が2億5千万人くらいで、日本の人口がその半分くらいですから両方の国をあわせたら2000年前の全人口をはるかに上回ることになります。 さてそのあとですが、人口は次第に増加して1800年ごろに10億人を突破しました。 ところがそのあとの伸び、特に20世紀に入ってから、がすごいのです。 1960年には30億を越し、今ではなんと65億人以上の人たちが住んでいます。 この50年以内に2倍以上になっているのですね。 このまま行くとあと40年で100億を突破すると言われています。 人口の増加率がこれだけ大きくなっている理由の一つに科学・医療などの素晴らしい進歩があるのは間違いないでしょう。
さて科学技術の面で見ると、今から丁度50年前、1957年の10月にとっても大きな出来事がありました。 これは当時アメリカといろいろな意味で競争していたソ連が始めて地球の周りを廻る人工衛星を打ち上げることに成功したのです。 この衛星はスプートニクという名前で直径約60センチの球体ですが、これをロケットを使い宇宙に向かって打ち上げて地球の周りを決まった軌道に乗せることができたということは絶対にソ連よりも技術の面で進んでいると信じていたアメリカに大ショックを与えました。 スプートニクショックと言われますが、アメリカが国を挙げて宇宙開発に力を入れるきっかけになったのです。 今シャトルなどの宇宙開発を進めているNASAという機関がありますが、これはスプートニクの翌年、58年に生まれ、69年にははじめて人間が月の上を歩くという宇宙開発の大きな成果をあげることができるまでにプログラムを推進しました。 宇宙開発は科学技術の進歩に多くの面で役立っています。 スプートニクから50年間で5千個以上の人工衛星が打ち上げられています。 コンピューターの進歩も目覚しいものがあるのはみんなもよく知っていると思います。
さて、最初に言ったとおり今われわれはとっても大きな変化の時代に生きています。 大きな話しをしましたが、これらの変化の中でわれわれ一人一人の存在が非常に大事だということは決して忘れないで欲しいと思います。 われわれは65または66億分の一でしかありませんが、それぞれがこの社会を作っている大事な要因です。 科学技術の進歩も一夜にしてなったのではなく、一歩一歩じみちな努力の積み上げがあったからです。 この点をよく覚えておいてください。
11月のはじめには学習発表会が予定されているのでそれぞれのクラスでその準備がはじまっていると思います。 みんなのひとりひとりの存在がとっても大事です。 またクラスメイトと協力してプロジェクトを成功させるというのも大事です。 ではみんなでがんばりましょう。


2007年9月 天才は1%のひらめきと99%の努力による
二学期も無事スタートを切り早や9月になりました。 もう秋の気配が見えています。 秋はたとえばスポーツの秋、食欲の秋、読書の秋、芸術の秋などのようにいろいろなことが楽しめる季節のようです。 たしかに夏からしのぎやすいいい季節に変わりしばらく落ち着いたいい天気を楽しむことができます。 みなさんもそれぞれに自分の楽しみを見つけてください。
さて、今日の言葉ですが、「天才は1%のひらめきと99%の努力による」という有名な言葉について話をします。 これはアメリカの発明王といわれたトーマス・エジソンという人が言ったとされる言葉です。 エジソンは電話・電球など主に電気に関する分野での研究・発明を手がけた人です。 電話は実際にはグラハムベルと言う人が発明者といわれていますが、エジソンもほぼ同じ時期に離れた人と話しができるに違いないと一生懸命に研究をして開発をはたしています。 電球では光を発光するところ、これをフィラメントといいますが、このフィラメントを竹で作ればよいに違いないと信じて何度も何度も実験・研究を繰り返しました。 このときなんでも1万回以上もトライをして最後に光を出すのに成功したそうです。 竹のフィラメント自体はその後さらに研究を続けた結果タングステンを使用したほうがより効果的であることが分ったのであきらめたのですが、さっき言った99%の努力という言葉の背景にはこういったエジソン自身のけっしてあきらめないじみちな努力があるからなんですね。 実際にはエジソンは大変な天才だったと思いますが、自分で信じたことをあきらめずに努力して続けることの重要さはみなさんにも理解してもらいたいと思います。 あとエジソンが習慣づけていたこととしてメモをとることです。 いつでもメモ帳をもっていて何か頭にひらめいたこと、考えたことなどすぐにメモしたそうです。 いくら記憶のいい人でもすべてのことを覚えているのはとっても大変です。 だからすぐにメモをつける習慣をつけるのはとっても重要なことだと思います。 物理学者として世界的に有名なアインシュタインという方もメモ魔とまでいわれるくらいメモをつける習慣をもっていたそうです。 簡単なことだけどちょっと面倒さもありますが、習慣になるようにすれば将来きっと役に立つことがあると思います。



2007年8月 「行くに径に由らず」(行くにこみちによらず)
今日は漢字の話しをします。 漢字はわれわれ日本人にとっては大事なものですね。 漢字はもちろん中国でできて何千年もの間引きついて使われてきています。 日本はこれを輸入して長い間つかって今日にいたっています。 日本人はあるものを利用するのがとてもうまく、この漢字にひらかな・かたかなを交えて文章をあらわすという方法を考え出し、これが今に伝わってきています。 漢字はそれぞれの文字が意味を持ってますので文章の意味を理解しやすいです。
今朝学校で持っている漢和辞典を出してきました。 これがそうですが、この辞典は全部で1万1千の漢字をカバーしているそうです。 漢和辞典には文字とともにその字を使った熟語が書いてありますが、熟語の数は4万くらいあるそうです。 すごい数ですね。 中には僕も知らない漢字がたくさんあります。 さて、小学校6年間で学ぶ漢字の数は教育漢字といわれて全部で1006あります。 補習校は年間41日で6年間だからみなさんは平均すると毎週4つか5つくらいの新しい漢字を覚えないといけない勘定になります。 大変だけど非常に大事なので頑張ってください。 でもこの1006だでで終わりではありません。 日本では日常の使用に必要な漢字を常用漢字として決めています。 この数は2000弱ですから教育漢字の倍になります。 これらを覚えれば新聞を読むなど通常の生活には差し支えない対応ができることになります。 あと社会に出て仕事をはじめるようになったらまた他に使われている漢字もありますし、名前などには常用漢字以外のものも多数使われているので実際には4千とか5千くらいの漢字を覚えることになります。 勉強はまだまだ続きますね。
漢和辞典については小学生用からはじまり、学生用、そしてここに持ってきた中辞典といわれるかなり大きな範囲をカバーしているものなどいろいろあります。 その中で最大のものは大きな漢和、大漢和という名前のものです。 これには実に5万以上の漢字が入っていて、これらを使った熟語の数は53万にものぼるそうです。 この大漢和は諸橋 轍次博士(もろはし てつじ はかせ)という方が作りました。 僕は勿論直接は会ったこともありませんが、この方の息子さんが昔僕の働いていた会社のえらい人だったので博士のことについて何度か話を聞いたことがあり、非常に強い印象を持ったのでいまだによく覚えていてみなさんにも話しをしたいなと思ったのです。
諸橋博士がこの大漢和をまとめるのに約20年もかかったそうです。そしてやっと辞典を発行できる準備ができたのですが、これが実は第2次世界大戦の最中のことでした。 日本がだんだんおされてきて、連合軍は日本の各地に爆撃を開始し、ある日印刷会社が空襲で爆弾を受けて建物すべてが焼けてしまいました。 そしてできあがっていた辞典の印刷用の準備が全てなくなってしまったそうです。 このとき博士は60才でした。 20年間の努力の結晶がほとんど無になってしまいました。 普通の人ならここでもうやめた、ということになるのかも知れませんが、ここで諸橋博士の偉かったのはこれであきらめなかったのです。 それまでの無理がたたって片目は失明しもう一つの目も一時はほとんど見えなくなるような条件にもかかわらず、辞典の作成にあらたに挑戦したのです。 そしてそれからなんとまた15年かけて大漢和を作り上げたのです。 結局プロジェクトをはじめてから実に35年もの時間をかけて完成させたのです。 すばらしい気力と努力ですね。
諸橋博士の好きな言葉は中国の古い論語の中にある「行不由径」(行くに径《こみち》に由《よ》らず)だそうです。径(こみち)は小道ですが、ここでは近道のことをいいます。 近道せずに大道を一歩一歩着実に歩むという意味です。 まさに博士ご自身で歩まれた道ですね。 合理化を進めるには近道をさがすのが大事ですが、必要なことをカットしてはなにもなりません。
このように地道に努力することの大事さを覚えておいてください。


2007年4月 平成19年度入学式
今日から平成19年度、新しい年度のはじまりです。 新しく小学校の一年生に5人のお友達を迎えました。 まずは学校長として新一年生の入学を許可するという最初の仕事があります。 それでは正式に本校への入学を許可します。 みなさんご入学おめでとうございます。 これから毎週土曜日にこの学校で勉強することになりますが、まわりにはとってもやさしいお兄さん・お姉さんたちがいますし、先生方もみんな経験十分でやさしい人たちばかりなので心配することはありません。 みんなで楽しく学校生活を過ごして行きましょう。
この学校の正式名称はブルーミントン・ノーマル日本語学校補習校といいます。 1986年に開校しもう20年以上の長い歴史をもって、これまでも数多くの生徒たちが勉強をしてきました。
今日本から海外に出ている小学生・中学生の人数は約5万人います。 この5万人の人たちが海外で何らかの形で日本語での勉強をしています。 一週間ずーっと現地校に通わないで日本語のフルタイムの学校・全日制といいますが、この日本語学校に通っている人がだいたい3万人います。 一方、われわれのような補習授業校は世界で約180校あり、約2万人の生徒がみなさんと同じようにウイークデーは現地校に通い週末に補習校で日本語での勉強をしているわけです。 この180校のうちアメリカには80校ぐらいあります。 デトロイトのように1000名近いせいとを抱える大きなところ、われわれのような小さな学校、いろいろありますが、それぞれに生徒たちは現地校・補習校と両立させています。 日本から来たばかりの人は英語にもなれなければいけないし、とっても大変ですね。 さらに日本では1週間で勉強することを土曜日一日でカバーしなければいけないというさらに大変なことをやることになります。 でも皆さんにはこれらを十分にこなしていける力もあるし吸収力もあります。 今は大変だけど将来きっととっても大きな財産になります。 みんさんのがんばりに期待しています。
さて、新入生の保護者のみなさま、今日は本当におめでとうございます。 お子様の送り迎えなど、決して楽ではありませんが、よろしくお願いします。ところでわれわれの学校はとても小さく特に保護者のみなさまにはいろいろなことでお手伝いをお願いせざるを得ません点ご理解いただき、この面でもよろしくお願いいたします。



2007年3月 平成18年度卒業式
学校の目的は、もちろん勉強するためですね。 人間の一生の間で大きな成長をするのは子どものあいだです。 体の成長は目に見えて大きく分ります。 それとともに頭のほうも計り知れないくらいの大きな成長をとげるのがこの時期です。 学校でみなさんの勉強する範囲はとっても広くて覚えなければならないことがたくさんありますが、若いみなさんはこれらをどんどん吸収していける能力を持っています。 しかし、学校で勉強する範囲はその先社会に出てから覚えることにくらべてほんの小さなものといえます。 しかし心配することはありません。これらの多くの事柄のほとんどは皆さんが学校時代に勉強したことがベースになっているのです。 これらの基礎知識を少し広げて考えていけば大体のことは理解することが可能です。 みなさんのなかにスポーツの好きな人もいるでしょう。 先生もいろいろなスポーツを実際にやり、楽しみました。 今でもやることにゴルフがあります。 ゴルフのスイングを考えてみましょう。 地面の上にあるボールを打つだけのことなので簡単そうだけど、これがなかなか難しいものです。 ただ前に打てばいいのではなくて、タイガーみたいにロングドライブをフェアウエーの真中に打ってみたいと思うから難しくなるのです。 スイングを正しくするためにとっても多くのチェックポイントがあります。 まずクラブの握り方、ボールに向かって立つスタンスの取り方、 そしてスイングをはじめるともっともっと多くのチェックポイントがあります。 これをほんの1・2秒で行うスイングの中で全部チェックすることは無理ですよね。 だから実際にはボールに向かって立ち、スイングをして、ってことになるのです。 でもこれらのチェックポイントのことを覚えておくと、ミスショットをしたときにどこに原因があるのかを探ることができます。 プレー中にボールがどうしても右に曲がっていくということはスタンスの取り方に原因があるのかもしれないし、スイングのクラブヘッドの動き方に問題があるのかも知れないし、これらのチェックポイントを頭の中でいろいろ考えてその対策を次のショットでトライすることでいいショットが出るようになることが多くあります。 このように、実際の生活の中で、または将来仕事をしていく中で困難なことなどに対した時にチェックポイントを覚えていればいろいろな解決策を考え出すことが可能になります。 勉強という言葉を聞くと拒否反応がでる人がいるかもしれませんが、基礎知識の吸収ということがこの時期にとっても大事なので、みなさんは学校で、家庭で、自分で、とにかくいろいろなことをどんどん吸収していく努力をして欲しいと思います。
卒業式の挨拶でよく使われる言葉に「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉があります。 低学年の人にはわかり難いかも知れませんね。 これをこのまま今の言葉に置き換えると、「やればできる、やらなければできない。できないのはやろうとしないからだ。」ということで、ごく当然のことを言ってます。 あたりまえのことをいっているだけなのに卒業式などで使われるのはこの言葉を言った人の実績があるからその言葉に重みがでてきているわけです。 これは江戸時代中期の大名だった上杉鷹山(うえすぎようざん)という人が言った言葉です。 実際の意味はその気になってやれば、どんなことでも出来る、やる気がなければ何事も成功しない、と言うことでしょう。 上杉鷹山は米沢藩の殿様でした。 その昔は上杉謙信という有名な武将がいましたが、この上杉家も18世紀の中ごろには小さな藩になってしまっていました。 にもかかわらず昔の栄光を背景にした特に藩の家老、多分僕みたいな年寄りが多かったと思いますが、彼らが贅沢な生活を止められずにいたために藩は今にもつぶれそうになってしまっていました。 そんな中で上杉鷹山が殿様になったのですが、彼は17歳でした。 17歳ですよ。 今じゃ高校生の年頃ですが、これまでのやり方を続けていったらすぐにつぶれてしまうことを認識して、藩の改革を進めようとしました。 しかし、今までやってきた「意識」を変えることは並大抵のことではありません。 さっき言った家老たちが「若、それはなりませぬ」などといっていろいろ抵抗したのでしょう。 これに対するため、彼は自ら模範となって質素な生活をはじめました。 食べ物も粗末なものにし、着るものも質素なものにして、自分で畑を耕すことまでやってみんなを引っ張っていったのです。 農業のやりかたを改善して藩としての食糧自給率を高めたり、国の産業を育てようと政治改革を行いました。 この結果つぶれそうになっていた藩を最後には見事に復興させることができました。 こうした実績をもった人の、必ず改革を成功させるという意気込みの中から出た言葉なのです。 何事もやる気になれば、どんな困難が待ちかまえていても、やり遂げられ、必ず成功できると信じて、いった言葉です。 月並みな言葉ですが、為せば成る為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり、を覚えておいてください。 覚えておくだけでなく、困難に立ち向かったときに自ら勇気を持って立ち向かう努力をして欲しいと思います。 いつも朝の会で言ってますが目標を持ってその目標に向かって絶えず努力をするということが人間に与えられた使命だと思います。 皆さんの今後の活躍を期待するとともに、祈っています。
さて、卒業生の保護者の皆様、本日は本当におめでとうございます。 お子様の成長をめのあたりにされてその感慨もひとしおと思います。 また、毎週土曜日にこの補習校まで送り迎えも大変だったと思いますが、そのご努力に深く敬意を表します。
われわれ教師団は私と関教頭ほか7名の先生、合計9名で担当しています。 9学年に9名の教師ですが、私と教頭はフルに教えることができません。 そこでこの一年間助っ人をお願いしました。 中学3年生の数学を一年間にわたって教えていただいたのが戸澤先生です。 われわれ9名は有給ですが、戸澤先生はこの間無報酬でまさにボランティアとしてこの役目を快くお引き受けいただきました。 しかもペオリアから通っていただいてわけで、まさに頭が下がります。 また新学期も続けて教えていただくこととなっております。 戸澤先生すいませんがご起立ください。 みなさま、拍手で戸澤先生のご好意に感謝する気持ちを表したいと思いますのでご唱和お願いいたします。 ありがとうございました。
さて在校生のみなさん、これで一年間が終わりました。 来週は楽しい春休みです。 そして4月7日には新学年がはじまります。 英気を養ってもらって、また新しい年にみんなの元気な顔を見るのが楽しみです。 新学年度の先生の担任も決まっています。 これは始業式の時に発表しますので楽しみに待ってください。 それではこれで私の挨拶を終わります。


2007年2月 信頼関係のベース
今日はとっても寒いですね。 今朝の気温は華氏6度でした。 摂氏に直すとマイナス15度くらいです。 しかも風が強かったから体感温度はマイナス20度以下になっています。 ところで今日は立春です。 日の出が7時、日の入りが6時とだいぶ昼間の時間が伸びてきましたね。 あと1ヶ月半もすると昼夜の時間が逆転して気分的にもますますよくなります。 さて、明日はスーパーボールがあります。 シカゴ・ベアーズが21年ぶりにでますね。 インディアナポリス・コルツとの試合ですが楽しみです。 団体スポーツで大事なのはチームワークです。 コルツのコーターバックにペイトン・マニングという素晴らしい選手がいますが彼がパスを成功させるためにはパスを受け取る人がフリーになるのを待つ間ディフェンスを近づけないようにするラインの選手達がそれぞれの仕事をしているのが必要です。 自分のチームの仲間を信頼しているからチームワークができるわけです。 しっかりとした信頼関係を作るためにはみんなが正直であることが先ず大事で、次にそれぞれの役割をきちんとやるということが大事です。 これらの積み重ねの上に信頼関係がますます固くなっていくことができます。
パーフェクトストームという言葉があります。 これはハリケーンが大西洋の赤道付近で発生したあと次第に北上して行くとともに弱まりハリケーンとしての力がなくなり熱帯性低気圧になったものが、たまたま北大西洋の気象条件の悪いものと一緒になったときに起こりうる現象で何十メートルもの大きな波を作ることがあるそうで、こういう状態を言うそうです。 これはめったに起こりませんが、起こるときは突然おそってくるそうです。 去年か一昨年にこの名前の映画がありました。 これは漁船が巻き込まれて漁師たちが格闘する話しで、みなさんの中でも見た人または、名前をきいたことがある人がいるかも知れません。 今話をしようとしているのは別の話しですが、ニュージャージーの沖合いでたまたまこのような嵐に巻き込まれたヨットがありました。 このヨットには父親をメリーという7才の女の子が乗っていたのですが、大きな波のためにヨットは転覆し二人は海に放り出されました。 岸から何マイルもの遠くの場所で父親は二人で泳ぎきるのは不可能と判断し、メリーを残して助けを求めにいくことにしました。 この時父親はメリーに必ず戻ってくるからあきらめずに待ちなさい、そして仰向きに浮かんでいれば何時までも浮いていることができるということを言ってから、父親は岸のほうに向かって泳ぎだしました。 それから2時間ほど泳いだとき、奇跡的に救助にでてきたボートに助けられました。 父親を乗せたボートはそれからメリーを探しに行き、これまた奇跡的に荒海の中でメリーを見つけて助けることができました。 こうして助けられるまでメリーはなんと6時間も海のなかにいたそうです。 あとでメリーはみんなから一人で荒海にいるあいだ何を考えていたかを聞かれたのですが、このときに彼女は「お父さんは私に上向きに泳いでいれば絶対にしずまないと教えてくれました。 そして必ず帰ってくるからあきらめずに待ちなさいと言いました。 「お父さんは今まで約束したことは必ず守ってくれたから、全然心配はしてませんでした。」と言ったそうです。 家族の間での信頼関係がこういう状態で力を発揮します。 信頼関係を家族という小さなものから、学校の仲間、近所の人たちとの間、へとだんだん大きな輪に広げていくことが大事です。 こうして世の中がだんだんよくなっていくと思います。 信頼関係のベースがどこにあるかをいつも考えて、この気持ちを大事にしていきましょう。


2006年12月 渡り鳥の話し
今日で二学期が終わりです。 もう来週末にはクリスマスで、その次の週末にはお正月になります。 クリスマスはサンタのプレゼントが楽しみですが、本当はイエスキリストのお生まれになった誕生日をお祝いするのはみなさんよく知ってますよね。 約2000年前にキリストは生れてこの地上を歩いていました。 3年余りの短い期間でしたが弟子といろいろな人々に大事なことをたくさんお話しになりました。 これらの言葉は今でも多くの人たちの精神上の支えになり、また行動の基本にもなっています。
今日は渡り鳥の話をします。 渡り鳥は寒いところがきらいでまた暑いのもきらいなんでしょう、何千キロもの長い距離を飛んで自分達の生活のしやすい場所を求めて動きます。 中には北極から南極まで移動する鳥もいますがこれは極端なケースとしても、われわれがこの辺でよく見るカナダ雁(カリ)も何千キロも移動します。 この鳥たちが飛ぶときの形はどうなってますか? 先ずは必ず群れで移動しますよね。 決して一羽・二羽とか少数では行動しないで多くの仲間で一緒に飛びます。 一緒に飛んでいることを編隊飛行といいます。 この編隊の形はVの字を逆にしたみたいな形になっています。 先頭の鳥を真ん中にしてその後ろにきれいに一列にならんで形を作っています。 丁度湖の上を進む船の後ろにできる波の形みたいともいえます。 この波は実は手でこぐボートでもうまく乗ると力をそんなに使わなくてもとっても簡単に前に進むことができます。 これは船の推進力の後押しを受けていることになるのですが、鳥たちの編隊飛行でも同じようなことがいえます。 先頭の一羽の生み出す波に乗ることであとに続く鳥たちはなんと30%のエネルギーでみんな一緒に飛ぶことができるそうです。 こうして何千キロもの距離をエンジンもなしに自分の力だけで移動することができるのですね。
さらに先頭の鳥は風をまともに受け止め、さらに後に続く鳥たちの後押しをしているわけですから、最初から最後まで一羽がこの役を務めることはできません。 そこで彼らはこの先頭の役目を次々と後方の仲間と交代しながら旅を続けるわけです。 このように雁はどの雁でもリーダーの役目を持っていて、常に仲間とお互いに支えながらチームワークを築いています。
さて、君たちに言いたいのは、雁だけでなく人間もだれでもリーダーになる資質を備えています。 自分にはそんなことできない、なんて簡単にあきらめないでみんなの先頭にたって自分をためしてみることも大事だと思います。 同時にチームワークがなんといっても大事ですね。
キリストが隣人を愛しなさいという言葉を残しています。 周りの人たちと仲良くして生活していくことが大事だということです。
さて、これから短いけれど冬休みになります。 できるだけ規則正しい生活をして風邪などひかないで元気に過ごしてよい正月を迎えてください。
今日は昼休みに地元の男性カルテットが来てくれてクリスマスキャロルを歌ってもらいます。楽しんでください。


2006年11月 クラーク先生の決意と努力と工夫
もう12月になりました。 12月になったとたんに氷と雪のあらしで昨日はほとんどの学校がお休みだったですね。 喜んだ人が多いのじゃないかな。 今日は道路のコンディションが悪くて補習校に来れなかった人たちがたくさんいます。 これから数ヶ月はいつこんな天気になるか分りません。 でもみんな体に気をつけて頑張って冬を乗り切っていきましょう。
12月は師走です。 先生も走るほど忙しい月ということのようです。 今日はニューヨークの学校の先生の話をします。 ミスター・クラークという小学校の先生はもともと南部のノースカロライナ州で育った人です。 あるとき地元の学校の先生が足りないといわれて先生をやってみたところ、これこそ自分にあった仕事だということが分り、それ以来正式の先生になって生徒の指導にあたりました。 それから何年か経ったある日、たまたまニューヨークのハーレムというところで生徒達の成績が悪いという話しを読みました。 ハーレムというところはニューヨークの中でもマイノリティーといわれる黒人だとか中南米から来た人たちが多く、貧乏なクラスの住んでいるところです。 ギャングだとか、麻薬だとか環境の悪いとこで多分先生になりたい人も少なかったのでしょう。 この地区の生徒の成績が平均よりかなり悪いことを知ったミスター・クラークはしっかりとした指導をすればハーレムの子ども達の成績も絶対によくなるはずだと信じて、自ら挑戦することを決意したのです。 それからハーレムに乗り込んで行き、ある学校の先生になりました。 最初生徒達はこの先生を無視して言うことも聞きませんでした。 そこでクラーク先生はどうしたら子ども達が自分の言うことを聞いてくれるだろうかと考えました。 そしてやったことは生徒達が休み時間に遊んでいたダブルダッチという2本の縄を使った縄跳びの練習をして遊ぶ仲間に入って行き、さらにダンスを練習してこれを授業に利用することです。 このダンスの練習だけでも3週間はかかったそうです。 このダンスにあわせて歌を作りその歌で例えば州の名前など勉強で覚える必要のあることを生徒が楽しみながら覚えるというような工夫をしたのです。 最初は無視していた生徒も次第にこの先生が本当に自分達のことを考えてくれているんだということに気がついて一生懸命に勉強をするようになったのでした。 そうして1年後にはこのクラスの生徒達のテストの成績はニューヨークのなかでもトップクラスになりました。 この結果ミスター・クラークは2000年の全米のティーチャーズ・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。 クラーク先生のお話をしたのはいつも言っているように、先ず自分の目標を持つこと、そしてその目標に向かって努力する、そうすれば必ずいい結果が出るということを、この先生が示してくれたというとこを知ってほしかったからです。 この先生の話は「ザ・ロン・クラーク・ストーリー」という名前で、テレビの映画になっています。 12月にも一度テレビでやることになっているのでもしチャンスがあったら見たらいいと思います。 さ、それでは元気にこの冬を過ごしましょう。



2006年10月 みんなの役割
今月の歌は「もみじ」でした。 だんだん木々の葉っぱの色が変わってきてきれいな紅葉が楽しめる季節になりました。 ここイリノイでは秋があっという間に過ぎ去ってしまう感じがしますが、できるだけ長持ちしてほしいものですね。
1986年10月11日というのはこの学校がオープンした日です。 廊下にこの日を記念したプラックがかさってあるので知らない人は一度見ておいてください。 丁度20年前になります。 人間で言えば成人式を迎える立派な大人になる年ですね。 この間何百人もの生徒がこの学校で学んだことになります。 最初は10数人でスタートして、一時は100人近くまで増えた時期もありますがが、このところ40人ちょっとくらいの生徒数で落ち着いています。 小さな学校だけどまとまりがあっていいですね。 これからもみんなのためになる学校作りを続けていきます。
ところで10月はスポーツに関連したことが多くありますね。 アメリカの4大プロスポーツである野球、フットボール、アイスホッケー、バスケットボールがすべてシーズン中になるのは10月だけです。 日本では来週の月曜ば体育の日です。 みなさんもサッカーだとか外で体を動かすことができるとってもいい季節なので、おおいに楽しんでください。 これらの団体スポーツはチームワークがとっても大事です。 みんなで力を合わせて一つの目的に向かって頑張るわけです。 チームワークとはみんなが同じことをするのではなく、それぞれの人たちがそれぞれの役割を分担してその結果としてチームがいい成果を上げることができるのです。 人間はそれぞれみんな違いがあります。 背の高い人、低い人、足の早い人、読書の好きな人、、、 みんな違いますが、それぞれにとっても大事な役割をもってこの世に生れてきています。 補習校もチームです。 みなさんの家庭もチームです。 みんなの住んでいる町もチームです。 国も、そして世界中もひとつのチームと考えることができます。 その中でみなさんもとっても大事な役割を持っているのだということを覚えておいてください。 団体生活を送るうえでだいじなことのひとつにまわりの人のことを考えることがあります。 いたわりの気持ちをもつことが重要ですね。 他人の気持ちになって考えてみると自分の行動がどうあるべきか自然に分ると思います。 このことをいつも考えて行動するようにしましょう。



2006年9月 徳を掘り起こす
今2年生のみんなが歌ってくれた「虫の声」で「秋の夜長を鳴き通す」ってありましたが、9月は日本の暦では長月だったですね。だんだん夜が長くなってきています。 特に昨日・今日はすっかり気温も下がり秋がもうそこまで来たという感じがします。
秋は読書の秋などとも言われます。 今日は二宮金次郎という人の話しをします。 皆さんの中にも日本の学校で二宮金次郎の銅像を見た人がいるかも知れません。 薪を背負って本を読んでいる姿を銅像にしたもので一時は日本の小学校にはどこにもありました。 とっても読書が好きで、勉強好きな人でその努力が後の成功を招いたことから見習いましょうということでこの銅像が各学校に建てられたものです。 もっとも今では道を歩きながら本を読んでいたら車にひかれてしまうかも知れないので必ずしも奨励できることではないという理由でこの銅像がなくなってきているとも聞いてます。 いずれにしてもこの人は田舎の農家に生れ、小さいときに両親をなくして苦労しながらも勉強をして、大きくなってからは農業の改良だとか政府を立て直したり世の中のためになることを数多くした人です。
勿論、本を読むことは大事なのでみなさんにも多少は見習ってほしいのですが、今日の話しはこの方が言われたことで「人間関係とは徳を掘り起こすことだ」という言葉についていいたかったのです。 学校では机の上での勉強をすることも大事ですが、団体生活をしていくことになれていくという別の意味の大事なことがあります。 われわれが生活をしていくうえでとっても大事なことは他人との関係をよくしていく必要があるのですが、他人の価値・長所を見出していくことによって、必ずしも好きでなかった人とうまく付き合いができるようになるのです。 また他人の価値を見ることによって自分の欠点を直すということに役立つかも知れません。 この補習校では1週間に一度だけですがそれぞれのクラスで、また学校全体の先生やお友達と協調してやっていくことの重要性を再認識しましょう。
さて、二学期は今日で二日目です。 大きな行事としては11月に学習発表会がありますね。 もうすぐその準備に入ることになると思います。 みんなで一緒に成功させるよう努力しましょう。


2006年6月 ミラクル オン アイス
今週の月曜日はメモリアルデーという休日でした。 みなさんもアメリカに住んでいるのでどういう休日がどんな目的でできているか知っているほうがいいと思うのでかんたんに説明します。 今われわれはアメリカで平和な暮らしをすることができていますが、この陰には国を守るために自らの命を犠牲にしてまで戦ってなくなった人たちがいたということを忘れないようにするという目的で作られた休日です。
さてもう6月になりました。 来週は運動会です。 いつもは仲のよいみなさんですが、この時だけは赤組と白組に分かれてそれぞれが優勝するように精一杯がんばりますね。 チームワークをよくすることが大事です。 1980年のオリンピックのときの話しをします。 この年、夏の大会はモスクワ、冬はアメリカのニューヨーク州にあるレークプラシッドというところでオリンピックが開催されました。 このレークプラシッドの大会のアイスホッケーでアメリカが優勝したのです。 このころは今と違いプロの選手はオリンピックに出られなかったのでアメリカの代表選手は大学生を中心とした平均年齢21才という若いチームでした。 実力はプロに比べるとはるかに下のレベルしかありません。 それにひきかえソ連はプロがないので国のベストの選手を集め、しかも10年も15年も一緒にプレーしてきたベテランぞろいの非常に強いチームでした。 実際、アメリカ・カナダのプロのチームにも負けないという世界でナンバーワンをほこる実力をもっていたのです。 これに対して若いチームを指導することになったアメリカのコーチはソ連と10回試合をして9回は負けるかも知れない、しかしチームワークさえよければ1回は勝つチャンスは必ずあると信じて選手を引っ張りました。 6000人の候補者の中から選ばれた20人を相手に彼は徹底的に厳しい練習を繰り返しました。 練習の途中で選手に自分の名前と出身地、どのチームに所属しているかを大声で言わせると、それぞれの選手は名前と出身地、そして所属する大学の名前を答えます。 これを何回も何回も繰り返していよいよ選手達の足腰が立たないくらいまで厳しい練習を行ったのですが、最後にくたくたになった選手の一人が、「コーチ、僕の名前は….です。 僕はアメリカのオリンピック代表チームの選手です。」と大声で言いました。 この時にコーチはオリンピックチームとしてのチームワークができてきたなと感じることができました。 この話しはデズニーが「ミラクル」=奇跡という名前の映画にしました。 まさに奇跡を起こしたのがこのときのチームだったのですが、その陰には奇跡を奇跡と信じない強い目的意識と、厳しい練習、そして素晴らしいチームワークがありました。 運動会もオリンピックと一緒です。 みんなで力をあわせて優勝に向けて頑張りましょう。


2006年5月 信頼を持つこと
あっという間に4月が過ぎ去り5月になりました。新年度のはじめにあいさつを大きな声でいう習慣をつけましょう。 一日のスタートを切るのに朝のあいさつはとっても大事です。
日本ではゴールデンウイークの連休でおそらくみんなが行楽に、スポーツに外へ出て楽しんでいることでしょう。 ここブルーミントンでも3週間ほど前から急に花が咲き始め、新しい木の葉が出てきてきれいな緑の色いっぱいの美しい季節がやってきました。 厳しい冬のあいだ雪に閉ざされ、氷につつまれて死んだように見えていた木々も決して死んでいたわけではなくて、じっと春の来るのを待っていたのです。 木には根っこがあります。 根を通して水分をとり、栄養分をとり、そしてどんな強い風が吹いても嵐がきてもたおれないようにするためにしっかりと地面にからだを支える重要な役目を果たしているわけです。 根が木にとってとても大事なものです。 人間にとっての根はなんでしょう? 人間を支えるベースにはいくつかあります。 先ず家庭・家族があります。 そして知識も大事なベースだといえます。 知識には自然に蓄えられていくものと、自ら意識して得ていくものがあります。 学校での勉強や読書によって知識を増やしていくのは意識して行う必要がありますね。 いろいろな機会を通じて知識を増やす努力をしてもらいたいと思います。
また物事をいろいろな面から見ること、考えることも大事です。 ポストイットという小さなメモ用紙を知ってますね? メモを書いてこれをいろんなところに貼り付けることができる便利なものです。これは弱いノリがついてます。 実は今から40年ほど前にとっても強い接着力のあるノリを作ろうとして研究していた人がこのノリを発明しました。 目的の強いノリとは全く逆の弱いノリができたということは研究は失敗だったわけです。 だからこの発明はしばらくほっておかれていたのですが、ある人が本のブックマークにする紙にこのノリを使ってみたらどうかと考えたのがきっかけで、今は誰でも知っている非常に便利なものができたのです。 ちょっとした工夫からこうした結果がでてきたということを覚えておいてください。
いつも目標を持って努力を続けることの大事さを言ってますが、自分の思ったことに自信を持っていくことがとっても大事です。 アメリカの第16代の大統領にアブラハム・リンカーンという人がいたのはみなさんもご存知だと思います。 ここイリノイ州から出た大統領です。 この方は奴隷解放というとても大きなことをやり遂げたことでも有名ですね。 多くの有名な言葉を残しています。 南北戦争が終わったあとで「人民の、人民のための、人民による政治を行う」ということは特に有名なので知っている人もいると思います。 この方がスピーチの機会でよく「あなたは自分が成功するのだという信念を持つということがなんにも増して重要なことだ」と言ったそうです。 みなさんも自分で信念を持って努力を続けてもらいたいと思います。


2006年3月 平成18年度卒業式 「希望」
今日はもう一つ大事なことをお話したいと思います。 世界で最も寒い大陸は南極大陸ですね。 ここはあまりの寒さと気象条件の悪いことで人間が通常の生活をいとなむことができません。 だからこの大陸は今でも世界中のどの国にも所属しないでみんなの共通の財産だということが国際社会で認められています。 今から100年ちょっと前から南極大陸は世界の各国の注目をあびはじめて、いろんな探検が繰り返されてきました。 その中でも最初にみんなが考えたのは南極点への一番乗りで各国が自分の国の威信もかけて争い、結果としてアムンゼンという人を隊長としたノルウエイのグループが一番乗りをはたします。 このほぼ同じときにイギリスのスコットの率いる探検隊も南極点を目指して行き、到達はしたのですがノルウエー隊には負けてしまいました。 このスコットの元部下でシャックルトンという人がいました。 この人はスコットとともに何度も南極大陸の探検に参加したのですが、南極点到達ナンバーワンになれなかったことから南極大陸の横断をすることに目標を切り替えました。 27人の部下を引き連れて大陸に向かったのですがその年は特に気象条件が悪くて気温が異常に下がり海がどんどん氷っていきました。 南極では気象の変化がものすごく、時には一晩で何十キロにわたって海が氷ってしまうことがあるそうです。 シャックルトンの乗った船が大陸に到達する前に氷りにとざされてしまったのです。 さらに条件は悪くなる一方で船の周りの氷はどんどん厚さを増して数ヶ月後にはこの船を押しつぶしてしまいました。 もう引き返すすべもなくなってしまいました。 なにしろ今から90年以上前の話です。 無線もなく誰とも連絡が取れません。 救助を頼むこともできずしかも冬の間は真っ暗な世界に閉ざされるなど厳しい中で何ヶ月が過ぎました。 しかし次第に食料も少なくなってきてこのままでは死を待つしかないと思われる状態になり、シャックルトンは船から持ってきた救命ボートで自ら助けを求める船旅に出る決心をしました。 一番近い人間が住んでいるところはサウスジョージア島というところにある捕鯨のベースです。 南極近くの海はただでさえ非常に荒れていて大きな船でも航海は難しいところです。 そこに7メートルくらいの救命ボートで4人の部下とともに乗り出し、なんと800マイルの距離を17日間かけて漕ぎきったのです。 やっと島に到達はしたもののなんとステーションと反対側に上陸したため、氷と雪の上をさらに2週間歩いてステーションに着くことができました。 そのおかげで救助隊が編成されエレファント島に残っている人たちが救助されることができました。 それまで1年と10ヶ月の期間が経っていたそうです。 シャックルトンは目的の南極点到達ナンバーワンにもなれず、南極大陸横断もこうしてあきらめざるを得なかったのですが、非常に難しい状況の中で決してあきらめず、冷静に判断を行い、命をかけて荒波の中に乗り出し、部下の命を救ったことで高い評価を受けるようになりました。 28人ででかけていったのですが、この28人全員が救出されたのです。 90年以上前のこの時に一人の死者も出さずに生還できたことは奇跡に近いといえます。 荒波に出て行った5人を見送った23人は島に残されて何ヶ月も待ち続けました。 この間残り少なくなった食料を少しずつみんなで分け合い、時には船から持ち出したバンジョーの演奏で歌を歌って励ましあったり、ボスの帰りをひたすら待ちました。 何ヶ月も待った後、救助の船を見たときにはどんなにうれしかったことでしょう。 あとでこの中の一人が言った言葉があります。 「われわれは食料がなくなって45日間は生きられる。 水がなくなっても10日間はなんとか持つ。 しかし希望をなくしたら一日も生きることができなかったであろう。」 話しは長くなりましたが、人間は気の持ちようでどうにでもなります。 希望を持ち続けるか否かはすべて自分次第です。 目標をたててあきらめずに努力すること、と共に常に希望を失わずにいることが大変大事なことだと思います。


2006年2月 世界に一つだけの花
皆さんもトリノの冬のオリンピックを見ましたか? 4年に一度しかない大会で自分のすべてを出し切って世界のナンバーワンになった人たちの活躍が目立ちました。 日本のフィギュアスケートの選手が見事に金メダルを獲得しましたね。 とってもきれいな素晴らしい演技で見ていて感動しました。 勿論トップになるには大変な努力が必要だったと思います。 この努力には心から敬意を払います。 ところでオリンピックの精神は勝つことではなく参加することにあるといわれています。 優勝した選手が全てではなく、これに参加することだけでとっても素晴らしいことであるのは言うまでもありません。 しかしオリンピックに出ることができない人はもっともっといるわけですよね。 実はこれらの人たち、すなわちわれわれを含めたみんなの努力がオリンピックを支えているんだということが云えます。
数年前日本ででたスマップの歌で “世界に一つだけの花”というのがあります。ご存知ですか?歌詞の一部を紹介します。
「花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね 
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている 
それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに その中で一番になりたがる? 
そうさ 僕らは世界に一つだけの花
その花を咲かせることだけを 一生懸命になればいい 
………………… 
小さな花や大きな花 一つとして同じものはないから 
NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one”」
さわやかな詩(うた)で心の中に魂の渇きを満たしたい願いが伺われるとてもいい歌だと思います。
昔ドイツの学者でイマヌエル・カントという人がいました。 この人は「世界における一切のものは何らかの目的に役立つ、世界には何一つ無駄なものはない」と述べています。 あらゆるものは意味があって宇宙に誕生し、偉大な連関の中で自分の役割をまっとうしているということです。
みなさんひとりひとりがこの宇宙に生を受けたことが、どれほどの奇蹟であり、どれほど深い使命を持っているか、そのことに想像をめぐらせてほしいのです。


2006年1月 初心忘るべからず
広辞苑によると「初心忘るべからず」とは「常に志した時の意気込みと謙虚さをもって事に当たらねばならない」という意味です。 うまくいかない時、行きづまった時、やる気が出ない時、どうしたらいいかわからなくなった時などには、初心を思い出すことで、何かヒントが見つかったり、心を入れ替えるきっかけになでしょう。 何かをする際に、“期するもの”があったほうがいいのです。 目標・目的、望み・願い、心構え、大切にしたいこと、・・・。 忘れないために、時折、思い返すのがいいと思います。


2005年11月 野口博士の話
世界的に有名な医学者、野口英世(幼名清作)博士は1876年福島県(現在の猪苗代町)に生まれました。清作は1歳半のころ、いろりに落ちて左手に大火傷を負いました。15才のときに友人の寄付金などまわりのみんなの協力があり、その左手の手術を受けました。 その時に医学の素晴らしさを知り、医者への道を志すことになりその結果、世界中の人々の命を救うこととなりました。 当時原因が不明だった黄熱病の研究にそれこそ生涯をかけてアフリカに滞在中、ご自身がその病気にかかり51才の若さで亡くなられました。 医者になって世の中のみんなのためになろうというしっかりした目標を持ちその目的に向かってひたすら努力する、その意識がとっても大事ですね。


2005年10月 自分で考え、意識を持ってやること
必殺のキラーパスで相手ディフェンスラインを切り崩す、サッカー日本代表選手の中田英寿の言葉です。「例えば、ボールを右にカーブさせたい時は、ボールのどこを蹴ればいいのか、そういうのを教わるんじゃなくて、いつも自分で考えて工夫しましたね。たとえ苦労はしても、自分で何度もトライをすることできっといい結果を得られ皆さんもトリノの冬のオリンピックを見ましたか? 4年に一度しかない大会で自分のすべてを出し切って世界のナンバーワンになった人たちの活躍が目立ちました。 日本のフィギュアスケートの選手が見事に金メダルを獲得しましたね。 とってもきれいな素晴らしい演技で見ていて感動しました。 勿論トップになるには大変な努力が必要だったと思います。 この努力には心から敬意を払います。 ところでオリンピックの精神は勝つことではなく参加することにあるといわれています。 優勝した選手が全てではなく、これに参加することだけでとっても素晴らしいことであるのは言うまでもありません。 しかしオリンピックに出ることができない人はもっともっといるわけですよね。 実はこれらの人たち、すなわちわれわれを含めたみんなの努力がオリンピックを支えているんだということが云えます。
るはずです。練習も漠然とやるのではなく、自分で目的意識を持ってやり、どういうボールを蹴ればいいのかをイメージする。これを繰り返すのが一番の練習です。」中田選手の独創的なサッカーは、常日頃から、人に教わったことをただ漫然とやるのではなく、自分で考えて、目的意識を持ってやってきたことの証と言えるのではないでしょうか。日常生活の中で、スポーツだけでなく、何をする時にも、この中田選手の言葉の意味を大切にしたいものです。



2005年9月 アメリカの人種問題
アメリカ独特の問題として人種差別があります。これまでにこの問題にたたかった人たちが何人もいます。 先週92才でなくなったローザ・パークスという女性がいます。この方は今から50年ほど前に当時白人専用の座席といわれていたバスの席を私にも座る権利があるといって白人だからという理由だけではゆずりませんでした。 この勇気ある一言でそれまで当然のようにあった人種差別をなくしていく第一歩をきったといわれています。
メジャーリーグではこれも今から約50年前にそれまで白人しかプレーしていなかったところにジャッキー・ロビンソンという黒人の名選手が挑戦して見事にトップクラスの地位を得ることができ、その後人種には関係なく名選手はメジャーリーグで活躍できることができるようになったもとを作った人です。 今では黒人はもちろん、中南米の選手や日本・韓国・台湾などアジア人もメジャーリーグで活躍しているのはみなさんもご存知のとおりです。
大事なことは夢や目的を持って、その実現に最大努力することですね。そして時には大きな壁にぶつかることがあるかも知れませんが、勇気をもって立ち向かえばいい結果が期待できるのではないでしょうか。



2005年8月 マツノギョーレツケムシの話し
ファーブルの「昆虫記」の中に、マツノギョウレツケムシ(オビガの一種の幼虫)の観察が記されています。 このケムシは、春になると(4月頃)、土の中にもぐってサナギになるために、行列をつくって場所さがしをする習癖があるというのです。
ファーブルは、このケムシを捕まえて、植木鉢の周囲をグルグル回らせるのです。毛虫はその名のとおり、前のものの後ろにくっついて一つの輪をつくり、行列をはじめます。鉢の下にはエサもおいてあるのですが、マツノギョウレツケムシは見向きもせず、ただ黙々と歩き回り、八日間休みなくはちの周りを回り続けます。そして、とうとう八日目に飢えと疲れで倒れ、輪が崩れたそうです。
八日間、同じ所をグルグル回り続けたことに、はたして何の意味があるのだろうかと考えさせられます。 やはり何においても目的意識をしっかりと持って物事にあたることが大事だということです。



2006年6月 秋田県能代工業高校バスケットボール部の話し

このクラブの歴史は38年ですが、なんと全国優勝50回もあります。 その内容は、全国高校インターハイ優勝18回、全国選抜優勝17回、国体少年の部優勝15回、ということでした。 その戦術は3通りあり、 1、短足を生かし、45分間走りまくるスピード勝負 2、攻撃と防御の切り替えスピード勝負 3、こぼれ球支配のスピード勝負 ということだそうです。なぜこのような戦術で、全国チャンピオンの大記録を樹立することができるようになったのでしょうか? 全国優勝の歴史は、一人の青年監督の就任からはじまったそうです。 この監督は全国制覇をねらい、当時の全国チャンピオンであった東京の中央大学杉並高校に、合同合宿を申し込みました。 その時、バスケットコートに整列した選手達は、まるで大人と子供位の差があったということでした。 杉並高校バスケ部選手達の平均身長は180センチ、能代高校は169センチ。試合になっては、青年監督として屈辱と失望のどん底を味わったそうです。選手たちも同じ思いを味わったことでしょう。しかしその状況の中で、先ほどの3通りの戦術が監督の頭に浮かんだというのです。 それから2年後に秋田県制覇、5年後には東北地方制覇、7年後には全国チャンピオンになったという能代高校。一人の指導者が全てを変えたのです。そのビジョンが、情熱が、弱点さえ変えて強さとさせたのです。マイナスがプラスに変わったのです。選手達は、この監督に従って行った時、勝利を手にすることができました。 しっかりと目標を持って、がんばることの大事さを教えてくれます。



2005年5月 フローレンス・チャドウィック
今から50年ほど前の話しです。 アメリカの女性でフローレンス・チャドウィックという水泳の好きな人がいました。 この人は1950年にイギリス海峡を両方のサイドから泳ぎきった世界で最初の女性です。 その他にもジブラルタル海峡だとか幾つかの長距離の遠泳を泳ぎきった記録を持っています。 1952年、この人がカリフォルニアのロスアンジェルス沖にあるカタリナ島からロスまで約34キロの遠泳に挑戦しました。 たまたまその日は霧が深く一寸先も見えないような状況で、また海の水は冷たく最悪の条件でしたが、彼女は泳ぎ始めました。 一緒についているボートにはトレーナーが乗り込み一生懸命に声をかけて彼女を励ましたのですが、残り少ないところまで来ていたにもかかわらず彼女はこの挑戦を断念してボートに引き上げてもらいました。 実は彼女はあと1キロのところまで来ていたのですが、先が見えなかったことからあきらめてしまったのです。 すぐ後のテレビのインタビューで「対岸が見えていたら泳ぎきることができたかも知れません」と答えたとのことでした。 その2ヶ月後に彼女は再びこの遠泳にチャレンジしました。 この時も深い霧と冷たい水の中でのたたかいだったのですが、今度は心の中にはっきりとゴールを描き、霧の向こうには必ずゴールがあると信じて!ゴールを見続けて泳いだのです。 その結果フローレンス・チャドウィックはカタリナ海峡を泳いでわたった世界最初の女性となり、しかもそれまでの男性の記録よりも2時間も早く泳ぎきったということでした。 見るべきものをしっかり見て、決してあきらめない気持ちを持って生きるとき、すばらしい結果につながることだと思います。